てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

さらばヴォーリズ、さらば2015年

2015年12月31日 | 美術随想

〔モダンな心斎橋大丸本館のエレベーターホール〕

 2015年という年は、ぼくにとって最悪の一年になるのではないか、という予感がしていた。何しろ、今年の途中まで派遣社員として長年勤務していた某社から“雇い止め”を宣告され、挙げ句の果てには、数年前に過剰な残業によって入院・手術にまで追い込まれた会社にふたたび勤めることとなったのである。よって帰宅時間は深夜となり、とてもではないがパソコンに向かう時間が捻出できない。

 さらに、入院して辛い思いをした記憶を考え合わせると、体に無理をさせてまで何かをやろう、という気持ちにはなれないのだ。ぼくももう若くはないし、守りに入った、といえば聞こえはいいかもしれないが、要するに“生活”の維持に妥協しはじめたということでもある。執筆をつづけ、生きた痕跡を残そうと念じていたあの日は、どこに行ってしまったのであろうか。

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〔大丸の象徴でもある孔雀の装飾〕

 勤務先は、大阪南部である。交通費と時間が無駄にかかること、はなはだしいといえる。しかしその条件を逆に利用して、数少ない余暇には堺市の与謝野晶子ゆかりの場所を訪ねたり、和歌山の美術館や、長年の懸案であった和泉市久保惣記念美術館まで足を運んだりするのもわるくないと思っているが、すべては来年の話だ。

 今は、この機会を逃すと二度とは観られないというものを観にいくことしかできない。人ごみがひどく、普段は足を踏み入れないようにしている心斎橋へ、大丸の本館に別れを告げるために、仕事納めの帰路のついでに出かけてきたのだ。ヴォーリズについては、これまで展覧会も観たし、彼が暮らしていた近江八幡を訪れたこともあったが、あまり記事にしてこなかったように思う。

 そんなヴォーリズの建築が、なぜあのド派手な心斎橋に・・・。それは以前からの疑問であった。もちろん、この建物が竣工した昭和8年には、まだ古きよき大阪の街並みが残っていたのだろうが、今はサイケデリックなまでの看板やネオンが溢れ、音の洪水が耳を覆い、それに抗おうとする虚しい呼び声がこだまする騒然たる都会へと成り果てた。敬虔なキリスト教徒でもあったヴォーリズの建築は、百貨店という装いをまといながらも、戦後の人間たちの空虚な変化に流されることなく、そこに建ちつづけてきたのである。

 ある意味で“心斎橋の最後の良心”といってもいい大丸が姿を消すとは・・・。いや、外観は残されるともいわれているが、その中身はおおかた入れ替わってしまうだろう。何も買わないのは承知のうえで、数年ぶりに心斎橋の大丸へと入っていった。

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〔保存が検討されている1階の内装〕

 といっても、以前はここにもしばしば来たことがあったのだ。このブログをはじめた直後に書いた「モダンなパリと心斎橋」も、そのときのことを記したものである。

 それともうひとつ、記憶が定かではないのだが、上村松園の『序の舞』をはじめて観たのも、心斎橋の大丸だったような気がする。そうだとすれば、ぼくが日本画にのめり込んだきっかけは、まさにここだったということになる。「院展」にも何度か来たことがあったし、ぼくの美術にまつわる思い出の数ページを飾ってくれた場所であることにはまちがいない。

 けれども今は、主要なテナントも引っ越してしまい、上階はがらんとしていた。ある階では、すべてのフロアを使って絵画の売り尽くしセールをやっていたが、そう簡単に売れるものでもあるまい。かなり大規模な展覧会にも比すべき絵画の数々を眺めて歩きながら、ぼくが生まれてはじめて観たピカソの展覧会に出ていたのと同じ版画を見つけて心が躍る。こんな“絵を観る喜び”を、これからも忘れないようにしたいと思う。

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〔荘厳なイルミネーションはまるでお城のようだ〕

 閉店間際、日はすっかり暮れているが、年末のイルミネーションはそれと対抗するかのようにまばゆく輝いている。御堂筋を挟んだ反対側に渡り、大丸の全景を眺めた。建物は黒々と聳えているが、おそらくヴォーリズとは何の関係もない電飾が夜を彩っている。よほどのことがなければ、もうここに近づくことはないかもしれない・・・。そんな気がした。

(了)

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 それでは皆さま、よいお年を。