てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

地下に咲く花 ― 須田悦弘について(1)

2006年09月16日 | 美術随想
 大阪と京都にまたがって聳える天王山の中腹に、瀟洒な洋館を手直しして作られた大山崎山荘美術館がある。デパートのミュージアムなどを除けば、ぼくの家からいちばん近い美術館であり、運動不足の解消をかねてときどき出かけるお気に入りの場所である。今から4年前に、そこで不思議な作家を知ることになった。

 入り口を入ると、宝探しの地図のようなものを渡された。それには美術館の間取り図が描かれていて、作品のありかが示されているのである。この美術館には焼物が常設展示されているのだが、陳列棚の片隅や、窓枠の隙間といったさりげないところに、いつの間にか迷い込んだというふうにして、その不思議な作品は展示されていた。いや、展示という言い方が大げさに感じられるほど、それらはごくさりげなく、控えめに置かれていたのである。

 その作品というのは、何も知らない人が見れば、ただの雑草にしか見えないだろう。おや、こんなところに草が生えているな、などと思うかもしれない。だが、それは木を薄く削ったうえに彩色がほどこされたもので、精巧に作られた木彫なのであった。作者の名は須田悦弘(よしひろ)という。ぼくより2歳年上なだけの、まだ若い芸術家である。

   *

 芸術作品というのは普通、日常世界から画然と区切られているものだ。そもそも美術館という入れもの自体が ― 博物館や映画館なども同様に ― 日常から芸術を隔離する、いわばシェルターのような役割を担っているといえるだろう。都市がますます異様な喧騒にあふれ、画一化された殺風景な眺めになればなるほど、人々はすり減った感覚をいきいきと蘇生させるために美術館を訪れるのかもしれない。

 美術館の中ではさらに、絵は額縁で区切られている。彫刻であれば、台座に乗せられている。工芸品であれば、ガラスケースに入れられている。それはぼくたちの目の前にありながら、われわれの日常の延長線上からは慎重に遮断されていて、容易に到達することのできない存在なのだ。やや意地の悪い表現を使えば、ぼくたちは手をこまねいて芸術を“見せていただく”しかない。

 しかし大山崎で出会った須田悦弘の作品は、そのような展示のされ方ではなく、普段から見慣れた展示室にいつの間にかまぎれこんでいて、思いもかけないところにひっそりと“生えて”いるのだった。極端な比喩を使うなら、それは自分の部屋の片隅にキノコが顔を出しているのを発見したときのような、新鮮な驚きをともなっていた。周囲を見回しても、題名を書いたプレートも何もない。それが果たして須田の作品なのか、それともただの雑草なのか、最初に手渡された地図で確かめなければならないほど、あまりにも本物そっくりに作られているのである。

   *

 彼が作っているのは、雑草ばかりではない。大山崎山荘美術館には、コンクリートの新館が地面になかば埋め込まれたように建っていて、地下の展示室にはモネの『睡蓮』をはじめとした近代絵画のコレクションがかかっている。その中央に小さな部屋があり、丸い天窓からうっすらと差し込む光を受けて、地面にも漆黒の丸い板が置かれていた。そしてその板の上に、花弁をいっぱいに開ききった白い睡蓮の花が、幾枚かの浮き葉に囲まれながらひっそりと置かれていたのである。

 目の前に突如として丸い池が出現し、鏡のように静まった水面に睡蓮が浮かんでいるような、不思議な錯覚にぼくはうたれた。しかしそれはもちろん須田悦弘の『睡蓮』という作品であって、本物の睡蓮ではない。よくよく目を凝らしてみると、確かに木を削った上から着色されているのがわかるが、それにしてもあまりに繊細だ。葉っぱの虫食いにいたるまで、精密に再現されているのである。

 須田の作品は、存在を声高に主張することはない。大山崎山荘の中庭では、本物の雑草の中に彼の作った雑草がひとつだけまぎれていたが ― そのように地図に書いてあるのだが ― 本物の雑草とほとんど同化していて、おそらくあれがそうなのだろう、ということがわかった程度である。しかしなぜか、彼の作品はぼくの心の深いところに衝撃を与えたようだった。美術の常識をさりげなく、しかも一気にくつがえされてしまったような、ある静かな興奮状態の中に、ぼくはしばらくの間たたずんでいた。

   *

 このたび、久しぶりに須田悦弘の作品と対面する機会が訪れた。しかもそこには、あの『睡蓮』も咲いて ― いや、展示されているという。大阪の中之島にある美術館の、これまた地下にある展示室に向かっていくと、入り口でまたしても宝探しの地図のような紙を手渡された。ぼくはわくわくして、ひとりほくそえんだ。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (lysander)
2006-09-17 18:20:37
こんばんは



中ノ島の須田さん、行かれたのですね。

感想楽しみにしています。



大山崎は一度だけ行ったのですが、須田さんの作品には気づきませんでした。

テツさんの紹介を読んで、行ってみたくなってしまいました...



私はこの夏、丸亀の展覧会を観てきました。

そのときの感想をTBさせてください。

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こんばんは (テツ)
2006-09-18 00:31:58
コメントおよびトラックバックありがとうございました。



丸亀でも須田悦弘展をやっていることは知っていましたが、とても行けそうもないのであきらめました。記事を拝見したところ、大阪のものより充実していたような感じですね。



大山崎の美術館では、4年前の企画展のときに須田さんの作品を展示していたので、いつでもあるわけではありません。ただ『睡蓮』という作品はそこが所蔵しているそうなので、またいつか展示されることがあるかもしれないですね。モネと須田さんの『睡蓮』競演は、なかなかのものでした。



この記事の後半にたまたま『きんざ』のことを書いたのですが、貴ブログを拝見していたら『きんざ』の記事があったので驚きました。また寄らせていただきます。
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