てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

ドレスデンからの伝言(1)

2005年12月27日 | 美術随想
※この随想は、過去に某掲示板に発表した記事に加筆訂正したものです。

 ドイツが好きである。もっと正確にいうと、“ドイツ的なもの”への憧れをもちつづけている。それはぼくが年少のころから、美術と並んでクラシック音楽を愛好してきたことと無関係ではない。特にベートーヴェンやブラームスの音楽は、思春期のよき伴走者となってくれたものだ。行き場を見失い、混沌とした中をさまよっていた未熟なぼくの前に、彼らの音楽はひとつの光明のように響いた。それはまさに、懊悩を経たあとに見出される希望の象徴にほかならなかった。クラシック音楽に支えられて、ぼくは10代の精神的危機を乗り越えたといっていい。

 ある日シューベルトの歌曲を聴いていて、歌詞が対訳なしで理解できたらどんなにいいだろうと思い、独学でドイツ語をかじりはじめた。子供のころに英語をむりやり習わされて辟易して以来、知りたいと思ったことは人に教わることなく、独力でやってみる癖がついている。しかしドイツ語のあまりにも厳格な文法と、煩雑な人称変化は、いまだに大きな壁となって立ちふさがっているのである。ドイツ語が話せるようになった暁には、当然ドイツを訪問してみたいものだが、元来が少食で、ビールも全然受け付けないぼくにとっては、ドイツは「遠きにありて想うもの」のほうがいいのかもしれない。

   *

 2002年夏、ドイツを含むヨーロッパ各地を記録的な集中豪雨が襲い、多くの犠牲者が出た。衛星放送で視聴していたドイツ第2テレビ(ZDF)でも、その様子はつぶさに報道され、ぼくは胸を痛めながら画面に見入ったものである。チェコを流れるヴルタヴァ川が氾濫し(この川のドイツ名が、スメタナの交響詩で知られる「モルダウ」である)、プラハを水浸しにしたあげく、下流のエルベ川にも濁流が押し寄せ、ドレスデンにあふれ出したのだ。街のシンボルともいうべきツヴィンガー宮殿には「アルテ・マイスター絵画館」などの展示施設があったが、宮殿もろとも水に浸かってしまい、その水位は10メートルにも達したという。ニュース映像は、悪夢のような現実を伝えていた。

 しかし市民たちの努力によって、一万数千点におよぶすべての絵画や工芸品は、上の階に運び上げられていた。コレクションには一点の被害も出なかったそうだ。これらの中には、誰もが一度は教科書などで目にしたことがあるような重要な作品も含まれている。ジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』や、ラファエロの『サン・シストの聖母』もここにある(この絵の中で頬杖をついて上を見上げる二人の天使は、その部分だけがひとり歩きしてしまって、あまりにも有名だ)。そして、フェルメールの『窓辺で手紙を読む若い女』も忘れるわけにはいかない。

   *

 今年、そのフェルメールを含む多彩な作品群が来日し、「ドレスデン国立美術館展」が開かれた。ドレスデン国立美術館とは、ツヴィンガー宮殿を含む12部門からなる巨大な複合施設の総称だが、その中の9部門から出品されるという、実に豪華な展覧会だ。「日本におけるドイツ年」の一環としておこなわれたのだが、ぼくが出かけた兵庫展では、震災復興10周年記念の開催ということにもなっていた。

 自然災害からの復興ということが、会場となった兵庫県立美術館と、ドレスデン国立美術館とに共通したテーマだということだろう。ぼくたちは当然のように、美術館で古い時代の美術品を観たりしているが、これらを現在まで大切に守り伝えてきた人々がいるということには、ほとんど気がつかない。しかしよく考えてみると、これは本当に大変なことだ。

 特にドレスデンは、このたびの水害以前にも、第二次大戦で大きな被害をこうむっている。1945年2月、連合国軍によって徹底的に空爆されたといわれるこの街は、60年が経過した今でも復興の途上であり、美術館の建物の一部はまだ再建すらできていないのだ。そんな中、過酷な運命を乗り越えてきた多くの美術品と、日本にいながらにして対面できるというのは、なんというかけがえのない機会だろうか。

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6 コメント

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こんばんは (Tak)
2005-12-31 20:49:13
TBありがとうございました。

今年一番嬉しかったことの一つは

この展覧会とりわけフェルメールが

国内でゆっくり観られたことです。



貴blogの記事を読ませていただきながら

展覧会の様子反芻していました。



来年もどうぞ宜しくお願い致します。

それでは、よいお正月を!
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よいお年を (テツ)
2005-12-31 22:03:22
こちらこそ、拙ブログにたびたびコメントいただきまして、ありがとうございました。



年明け早々、フェルメールに会いに神戸のほうまでお越しになるとか・・・。

どうかお気をつけて。ぼくも、近いうちに観にいくつもりでおります。



来年もよろしくお願いいたします。
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フェルメール (はろるど)
2005-12-31 23:35:16
テツさん、こんばんは。TBありがとうございました。



>フェルメールを観るとき、ワインを舌で転がすように、絵の細部を目の中で転がしてみたくなる。いいかえれば、その絵からいかなるドラマが始まることも期待していない。さらにいえば、フェルメールという人物像が作品を通して透けて見えてくることも、まったくもって、期待していない。彼の絵画は描かれた世界の中だけで充足し、完結している。キャンバスの中に、ぼくたちが生きている生活と等価の、もうひとつ別の生活がいとなまれているかのようだ。フェルメールは、ときどきカーテンをあけて、その断面をぼくたちに垣間見せてくれるのである。



長々と引用させていただきましたが、

全く同感に思います。

単に精巧に描かれた、または小さなキャンバスに描かれた作品だと言うことにとどまらない、

外へ繋がらないような、

まるで可愛らしい箱庭を覗いている気持ちにさせられます。

思わず両手で抱えたくなるとでも言うのでしょうか。



この記事で、またこの展覧会のことを思い出させていただきました。
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あけましておめでとうございます (テツ)
2006-01-02 22:17:30
>思わず両手で抱えたくなるとでも言うのでしょうか。



本当にそうできたら、こんな幸せなことはありませんが・・・(笑)。

フェルメールを観ていると、これが平面に描かれた二次元の世界だとは、とても信じられないという思いにさせられますよね。



どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
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あけましておめでとうございます (ak96)
2006-01-07 23:41:36
あけましておめでとうございます。



いつも文章が上手でいらしゃるので楽しく読んでいます。今年もよろしくお願いします。



TBありがとうございます。



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あけましておめでとうございます (テツ)
2006-01-08 00:08:48
画像なし、リンクなし、文章主体(?)の当ブログを、今年もどうぞよろしくお願いいたします。



ブックマークに加えていただき、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
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