『面構 国貞改め三代豊国』(神奈川県立近代美術館蔵)
片岡球子の絵は、どの展覧会でも異様な存在感を放っていた。
会場に入った瞬間に、惹きつけられる絵というのがある。遠くからひと目観ただけで、たちまち誰の絵かわかってしまうものもある。黙って壁に掛かっているだけで、その場の雰囲気を一変させてしまう絵というのもある。片岡の絵は、まさにそんな絵だった。
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秋の「院展」をここ何年か欠かさず観ているが、ライフワークともいえる『面構(つらがまえ)』シリーズを毎年出品されていた。今年はいったい誰のツラが観られるのだろう・・・そんなことを思いながら足を運んだものだ。
この画家が大変な高齢だということは知っていたが、作品が年齢を感じさせることはなかった。大きな画面に、あくまで大胆な筆致で、力強く絵の具を塗りつけていた。腕の立つ後輩たちがどんなに凝った構図を工夫し、繊細な筆遣いを磨き上げ、絵を思慮深く構築しようとしても、自由奔放でなおかつ芯の据わった片岡の画風の前では影が薄くなってしまった。いい年した親父がバアさんに一喝されてひるんでいるようだ。
「院展」に片岡球子あり、だった。
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最後に観た『面構』は、たしか鍬形斎(くわがた・けいさい)を描いたものだったように思う。なぜそんなことを覚えているかというと、ぼくはこの人物のことを全然知らなかったので、名前をメモしておいて調べたことがあるからだ。津山藩に召し抱えられた絵師だということである。
その前か後か、はっきりしたことは忘れたが、京都でようやくはじまった「春の院展」に、『ポーズ』と題された顔のない裸婦の像を出しているのを観た。片岡の描くモチーフは、どこまでも日本画の常識からはずれていた。『面構』も『ポーズ』も、『富士』と並んで何十年も描きつづけられている連作だ。これまで誰も描いたことのないような絵を、長い時間をかけてとことんきわめようとした人だった。
だが、ある年から片岡球子は「院展」に出品しなくなった。はじめのうちはポスターに名前が書かれていたが、やがてそれもなくなった。100歳を超えて、さすがにもう描けなくなったのだろうか、と心配していたのだが、彼女はそのとき脳梗塞とたたかっていたのである。
そして1月16日、ついに息を引き取った。103歳の誕生日を迎えた11日後のことである。先輩画家・小倉遊亀の105歳に迫る、描きに描いた長い人生だった。
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謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
(了)
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ですが片岡さんも、そこに至るまでにはさまざまな苦労があったようです。小学校の教員をしながら夜中に制作をしていたそうですが、展覧会には落選つづき。親からは勘当同然の扱いを受けたとか。
一芸をきわめるのは、並大抵のことではありませんね。