てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

年の瀬の水羊羹

2014年12月31日 | その他の随想


 作家で脚本家だった向田邦子は、自称“水羊羹評論家”というほど、水羊羹が好きだったそうである。彼女はどことなく洋風のたたずまいがするからか、ぼくには思いもよらないことであった。

 それも、ただの好物というだけではない。水羊羹を食すときの雰囲気、BGM、皿、合わせて飲むお茶などにもこだわりがあったらしい。向田は文字どおり『水羊羹』と題したエッセイでそのことを語っているというが、ぼくはそれをまだ読んだことはない。ただ、かなり以前にNHKの「グレーテルのかまど」という番組で、そのことが紹介されていたのだ。

 ひんやりとして、喉をつるりと滑り落ちる水羊羹は、夏のお菓子として愛好されているものらしいが、ぼくが生まれ育った福井では、もっぱら冬の食べ物であった。それもとことん念が入っていて、冬期しか販売されないのである(この意外性についても番組では紹介されていた)。福井のテレビから流れるCMソングは、福井生まれの人なら知らない人はないのではないかと思うが、こたつに入りながら水羊羹を味わうというのは、向田邦子にもちょっと想像がつかない光景かもしれない。

                    ***

 わが家では、年末になると実家から水羊羹を送ってもらう。この広い大阪で、12月に水羊羹を食べる家など数えるほどしかないのではないか、と考えるとおかしいが、それが習慣になってしまっているのだから仕方がない。慣れというのは、おそろしいものである(その一方で、“郷に入っては郷に従え”ともいうけれど・・・)。

 ただ、実をいうと、ぼくは水羊羹がそれほど好きではないのだ。そもそも、子供のころから粒餡は食べることができなかった。饅頭や大福に嬉々としてかぶりつく人の気が知れぬ。会社などで粒餡入りのお菓子が配られても、ぼくは人にあげるか、こっそり捨てるしかないのである。

 水羊羹は丁寧に漉して作られているので、粒餡のように舌にざらつく触感はない。けれどもあの風味は、どうごまかしてもアンコのあれである。たとえ向田邦子のいうように緑茶を添えて食べたとしても、ぼくにはあまりおいしく感じられないだろう。水羊羹を製造している菓子メーカーによれば、ブラックコーヒーにも合うということだが、ぼくはミルクと砂糖で甘くしたコーヒーしか飲めないときている。何とも厄介だ。

 ともあれ、箱に入ったままの水羊羹に切り込みを入れ、フォークで“ちくりさして”(福井の方言で“刺して”の意)食べるのが、わが家の年末の風物詩のようになってしまっているのである。

 しかしながら向田邦子は、「水羊羹の命は、切り口と角」と書いているらしい。直角な切れ目と、鋭い切り口をもつ水羊羹が、小皿の上でひんやりと凝り固まったようなたたずまいこそが、雰囲気を引き立てるのであろう。わが家のずぼらな食べかたを見ると、彼女はその美しい額に青筋を立てて怒り出すにちがいない。

(了)

                    ***

                    ***

 今年も、例年どおりといいますか、“竜頭蛇尾”ともいうべきブログに堕してしまいました。まことにお恥ずかしいかぎりです。

 また来年も、自分なりのペースでつづけていく所存ですので、何とぞよろしくお願い申し上げます。

 それでは皆さま、よいお年を。

(画像は記事と関係ありません)

冬の散策路、八幡にて(3)

2014年12月30日 | その他の随想

〔この門をくぐると松花堂が建っている〕

 庭園内をしばらく歩くと、塀で厳重に囲まれた門が見えてくる。そのなかに、松花堂という小さな庵が移築されている。なぜかこの門の内側は撮影禁止になっているが、それだけ貴重な文化財ということであろうか。

 したがって、ぼくは小道を歩きながらそっと建物を覗き見るだけだ。ただ、閉ざされていた現代の茶室とは異なり、戸が開け放たれて内部が晒されている。松花堂の広さは、たったの二畳という。そのなかに茶室があり、土間があり、小さな仏壇があって、晩年の松花堂昭乗はこのなかで寝起きし、仏を拝み、来客をもてなしたということである。

 もちろんこういった極小の空間は、利休の茶室をはじめとして日本人には馴染み深いもののはずだ。事実、戦後間もない時期には、一部屋に家族数人が寝起きしたケースも多かったことだろう。彼らは最低限の生活を維持することに必死で、“わびさび”などということを考えていたとは思えないが・・・。

 ただ、最近の住宅事情を考えてみると、やはり隔世の感がある。居住する家のみならず、ホテルの部屋にしてみたところで、やはり広さがものをいう。スイートルームなど、不必要に広いだけではないかと思うのだが、いかがなものだろう。いや、世の中にはカプセルホテルという、二畳より少ない宿泊施設も存在して、そこに寝泊まりしているビジネスマンもいることを考えると、いったい何が現代のスタンダードなのかわからなくなってくる。

 おそらくお門違いかもしれないが、ぼくの脳裏に浮かんだのは、ル・コルビュジエが暮らしたというモナコ近くの小さな休暇小屋であった。ぼくは写真でしか見たことがないが、例の「モデュロール」を基準に設計された必要最小限の空間は、ごくごく小さなものだった。それは20世紀最大の建築家が過ごすにしては、あまりにも小さすぎる建物に思われた。しかし、「ユニット」の単位で建築を作り上げてきた彼の思索からすると、ただ茫漠と広いだけの空間を求めるのではなく、人間が暮らすのにどれだけのスペースを要するかということを、みずから実験してみせたのだったろう。

 松花堂昭乗も、寝て、置きて、食事をし、礼拝し、お茶を点てるという生活のすべてをどれだけのスペースに収めることができるのか、身をもって知っていたのではなかろうか。庭園の隣の高級料亭で、松花堂弁当が豪華な食事として供されているのは、わるい冗談のような気がしないでもなかった。

                    ***


〔鬱蒼とした木立を縫って歩く〕

 ひと気のない庭園を、庭師らしい人が何人か、大声で喋りながら歩き過ぎる。静寂が乱されるが、すぐに静まった。ほかには誰もいない。庭園の外の駐車場にはたくさんの自動車が停まっているが、人はどこへ行ってしまったのか。

 高級なお弁当を食べるのも結構だが、こうやって都会の喧噪から離れ、しばし心の洗濯をすることも、安上がりながら大切なことだろう。庭に関する本を読むと、何々式だのという形式の説明や、石組みが何をあらわしているかという絵解きの記事が多いが、ぼくはいかなる先入観もなしに、無人の庭園にたたずんで自分を見つめ直したいものだと思う。もっとも、京都の主要な庭には観光客があふれているかもしれないが、ここ八幡の松花堂庭園は、願ってもない穴場である。

 いつかまた、気分が鬱屈したときに訪れることにしよう。そう思いながら、後ろ髪を引かれる思いで、庭園を出た。激しい車の往来が、ぼくを瞬時にして21世紀の殺伐とした世界へと引き戻した。

(了)

この随想を最初から読む

店のあとに

2014年12月29日 | その他の随想


 会社へ向かう道の途中に、漫画喫茶ならぬ“漫画お好み焼き屋”とでもいうべき店がある。

 外観は、ごく普通の飲食店のようだ。ぼくが出勤する時刻にはまだ開店していないが、家へ帰るときに通り過ぎると店内には煌々と明かりがつき、壁沿いに大量の漫画が詰め込まれた本棚が見えてくる。そしてそれらの本に囲まれ、お客がお好み焼きをパクつきながら漫画を読みふけるという、他ではあまり見られないような ― ぼくが世間知らずなだけかもしれないが ― 光景が現出するのである。

 実はぼく自身も、食事をしながら本を読むことが多い。そんなことをすると舌の感覚がぼやけてしまい、味がわからないのではないか、といわれそうだが、それほど味覚に集中しなければならないような極上の料理を食べているわけでもないのだ。ただ、うっかりすると箸に挟んだものが落ちたり、汁が飛んだりして、本のページを汚すことがしばしばある。これには気をつけなければいけない。

 お好み焼きを食べながらだと、その危険がいっそう増すような気がする。お好み焼き屋に入ったことのある人は誰でも感じていると思うが、テーブルの周りはけっこう汚れているはずだ。ひょっとしたら、あの店の本棚にぎっしり詰め込まれている漫画の数々も、茶色のソースで紙がひからびていたり、青のりが挟まっていたりするのかもしれない。そんなことを思いながら、漫画に関心のないぼくはその店の前を黙って通り過ぎるばかりだった。

 けれども、店のなかにはいつも常連客がいて、焼きそばとかモダン焼きなどを頬張りながら漫画を読み進めるという、困難な作業に腐心していた。彼らもまた、びっくりするほどおいしい“極上のお好み焼き”を堪能していたわけではないだろうけれど・・・。

                    ***

 ところがある晩、その店の前を通りかかると、明かりがついていないのに気づいた。ふと見ると、入口のガラス戸に閉店のお知らせが貼られ、力なく風になびいているではないか。

 ぼくの知るかぎり、満席というわけではないにしても、普段から何人かのお客はいたようだった。それほど、お好み焼きを食しながら漫画を読むという“ながら”の行為が魅力的なのかどうかわからないが、常連客があったにもかかわらず、採算が合わなかったということだろうか。この店以外に、漫画とお好み焼きとを同時に提供してくれる店はちょっとありそうもない。

 とはいえ、店の都合で店じまいしてしまったものは、どうしようもないだろう。ここもやがては取り壊され、マンションか何かに生まれ変わってしまうのか・・・。いずれにせよ、店に一歩も足を踏み入れたことのないぼくには関係のない話であった。

                    ***

 年末が近づいてくる。誰も彼も、わけもなく慌ただしがる妙な日々が訪れようとしているし、一年の区切りという、動かしようのない節目もやって来る。こんな時季なのに、クリスマスに仕事納めに忘年会、大掃除に年賀状書きにおせちの準備に帰省の支度と、日本人は何かと用事を詰め込みすぎている。

 ただ、閉店したその店はひっそりとしていて、ひと気もない。ガラス越しによく見ると、壁に並んでいた大量の漫画はどこかへ撤去されていて、作り付けの棚などがむき出しになっている。壁はお好み焼きの油で汚れているかもしれないが ― かなり以前、京都のお好み焼き屋の鉄板の上に奥村土牛の日本画がかかっているのを見たが、あれは無事だったのだろうか ― こぎれいに片付いた感じである。

 クリスマス間近になると、一般の家でも派手な電飾を飾りつけるところがあったりして、賑やかだ。しかしその店は、奥のほうから小さな明かりが漏れているばかりで、静かだった。一日の終わりに、お好み焼きを口に運びながら漫画を読むというささやかな楽しみを奪われた人たちは、今ではどうしているかわからない。街の喧噪の真ん中に、ぽつんと取り残されてしまったようなその店の残骸は、まるでささやかな余韻をただよわせているみたいに、年の瀬の夜の底に沈んでいた。

(了)

(画像は記事と関係ありません)

冬の散策路、八幡にて(2)

2014年12月18日 | その他の随想

〔かすかな響きを立てる水琴窟〕

 庭園内には、複数の茶室がある。もっとも、そのうちのいくつかは最近になって再現されたものだという。

 実をいえば ― というより現代人の大半がそうかもしれないのだが ― ぼくは茶室に入ったことがない。そもそも、あんなかしこまった場所で茶など飲んでも味がわかるものかどうか、さっぱり自信がないのだ。「結構なお点前で」というのが決まり文句のようにされているが、そこには相手を揶揄するような響きが含まれている気がして、ぼくは好きではない(実際の茶席でそんなことを本当にいうのかどうか知らないが)。

 古美術を集めた美術館でも、お茶にまつわる品が多く陳列されているのに出くわす。それらは古くから受け継がれてきたもので、たとえば家康が所有していたとか、三井家伝来であるとか、その履歴を聞くだけでおそれ多いほどのものだ。けれども、ぼくは茶碗などの品物それ自体よりも、誰の手から渡ってきたのかという“属性”をありがたがる気持ちにはなかなかなれない。

 ただ、コレクターたちにしてみれば、歴史上の人物が触ったかもしれないものを自分の手中におさめるということは、格別の喜びを伴うものだろう。もちろん、ぼく自身はそういった由緒ある品に囲まれて暮らしているわけではなく、毀れてもどこかのデパートで買ってくればすぐ埋め合わせのできるものしか手にしていないので、彼らの気持ちは容易にわかるまい。できることといえば茶室を外から眺めて、この小さい空間で営まれてきた質素な催しに思いを馳せることだけだ。

 そこには、現代の喫茶店 ― 今ではカフェというのだろうか ― とは次元の異なったもてなしの姿がある。心身をくつろがせることを求めるのは、おそらく間違っているだろうか。現代生活では失われかけた厳しい節度が、茶を点てる人と一対一で向き合う瞬間に込められているように思う。一期一会とは、茶道に由来する言葉なのだ。

                    ***


〔精巧に編まれた「寒竹あやめ垣」〕

 ぼくは茶を飲まなくても、この庭園を散策することそのものが、またとない機会であると感じる。

 季節が季節だからか、茶室の窓はほとんど塞がれていて、内部をうかがうことはできなかった。そんなときに眼を楽しませてくれるのは、さまざまな種類の“垣”であるかもしれない。まるで植物に名前が掲げられているように、垣の呼び名を記した札が眼につく。

 建仁寺垣、四つ目垣、ぐらいは知っていた。あまり聞いたことがないが、金閣寺垣というのもここにはあるし、ほかにもいちいち書きとめてこなかったけれど、垣のバリエーションは際限がない。住宅を画一的に仕切ってしまうブロック塀が、いかに日本の街の眺めを単調にしてしまったかがよくわかるというものである。

 外側から眺める茶室の楽しみは、垣にあり・・・。こんなこともいえそうな気がした。

つづきを読む
この随想を最初から読む

冬の散策路、八幡にて(1)

2014年12月16日 | その他の随想

〔松花堂庭園の入口前には大きな石碑が建つ〕

 うかうかしている間に、冬も本番になっている。気がつけば、今年も残りわずかだ。この時季になると、ああ今年もロクな一年ではなかった、という失望とも悔恨ともつかぬものに襲われるのが常である。

 だからといって、家で悶々としていてもしょうがない。ある寒い日曜、何にも用事がないのに出かけてきた、といえば百鬼園先生みたいで聞こえはいいが、家から比較的近い松花堂庭園へ、京阪電車とバスを乗り継いで足を運んだ。

 松花堂といえば、まず頭に浮かぶのは弁当だが、もとはその名の由来ともなった松花堂昭乗(しょうじょう)が結んだ庵のことである。かつては石清水八幡宮の近くにあったが、今では八幡市内の庭園内に移築され、誰でも見学することができる。庭園は小さな美術館とひとつながりの施設で、その展覧会のほうも観たのだが、昭乗にまつわる書状の展示が中心で、あまりピンとこなかった。そもそも、ぼくは少年時代にお習字を強制的に習わされて以来、筆で書かれた文字というものに一種のアレルギーがあるのである。

 しかし、他にはお年を召されたご婦人がふたりばかり、のんびり鑑賞されているだけの展示室内はしんとして、居心地がよかった。今時分になると各地でイルミネーションのイベントがかまびすしく、年々過熱していくかのようだが、人ごみに揉まれて難渋するよりは、こういった落ち着きのある静謐な空間で過ごすほうが性分に合うようだ。

                    ***


〔庭園に生えている黒竹〕

 美術館を出て、庭園へと入る。ここへ来るのは二度目だ。春には梅や桜が咲いたり、椿が鮮やかな花弁を開いたりするのだろうし、秋には紅葉が眼を楽しませてくれるのかもしれないが、今は何の彩りもない。こんな季節を選んでわざわざ庭を散策しにくる人は、よほどの物好きだといわれても仕方ないだろう。だが、人工的なクリスマスツリーを眺めているだけでは、日本の真の冬の姿というものを見失ってしまいそうな気がする。

 だいたい、冬とはいっても、雪が積もっているわけではない。雪は雪で、風景にそれなりの感興を添えてくれるのではないかと思うが、それすらもない庭の姿はうら枯れて、物寂しいばかりである。案の定、見学者はほとんどいない。ときどき職員らしい人が早足でぼくを追い抜き、小川に餌を投げ込んで歩いていく。食事にありつこうと群がる鯉の水音が、かすかに静寂を乱す。

 庭園の周辺には、さまざまな種類の竹が植えられていた。よく知られた孟宗竹だけではなく、黒竹、亀甲竹といった珍しい種類もある。松花堂昭乗が竹を好んだのかどうかは知らないし、むしろ名前のとおりに松が好きだったのではないかという気もするが、ここ八幡において、竹はシンボルともいえる存在なのだ。エジソンが白熱電球を発明したとき、フィラメントとして使われたのは八幡産の竹だったという。それを讃えて八幡市駅前にはエジソンの胸像があるし、石清水八幡宮のそばには大きな記念碑もある。

 今は無論、白熱電球に竹は使用されていない。それどころか、白熱電球そのものが淘汰されようとしている。偶然にもこの数日前には、青色LEDの発明によって日本の科学者たちがノーベル賞を受けたばかりだった。こうやって人類の暮らしに変革がもたらされ、進歩を遂げていくのは素晴らしいことだが、まさか松花堂庭園がLEDでライトアップされるようなことはないだろう。かのエジソンの手前、それはできないはずだからだ。

つづきを読む