仕事が忙しすぎて、記事を書こうとしてもなかなかつづかない。困ったことだ。もちろん、ぼく自身の“不徳の致すところ”なのかもしれないが、この言辞もまた、わかるようでよくわからない。何か不祥事が起こったようなおりに、関係者がコメントを出して「誠に遺憾だ」などといったりするが、結局は誰かを名指しで弾劾することを体よく避けているようなにおいがする。それと同じ。
このぼくも、今さら何かをいいわけしようというつもりもない。ただ、体がひとつしかないことと、一日が24時間しかないことを、恨めしく思うような日々が繰り返されている。なかには時間の使いかたが驚くほどうまい人がいて、いったいいつ寝ているのだろうといいたくなるぐらい八面六臂の活躍をしてみせる人もいるが、ぼくなどは時間を使うのが極めてヘタクソなひとりだと思う。決して偏見ではなく、実感である。
ただ、日々の読書と、芸術への嗜好は、相も変わらずもちつづけているつもりだ。ただ、前者は、ぼくが遅読だというせいもあるかもしれないが、あまりはかどらない。図書館で本を借りても、読み切れずに返却してしまうことも多い(もちろん貸出の延長をしてもらったり、継続して借りたりすることもあるが)。しかし結局のところ、ぼくが本を何ページ読むのにどれだけの時間がかかるのか、自分でも把握できていないせいだろう。
音楽に関してもそうだ。CD1枚聴くだけでもせいぜい1時間前後のはずだが、その時間がなかなかとれない。意を決して聴きはじめたところで、途中で意識がなくなったりする。これでは、音楽を聴いたとはいえない。ああ今日も駄目だったかと、むなしくディスクをケースに戻す日々がつづくのである。
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展覧会には、できるだけ出かけたい。しかし、休みが少ないので、かなり厳選して足を運ばねばならない。今のような生活になってから改めて気がつくと、関西では実にたくさんの展覧会が開かれているということに驚かされる。もちろん、東京ではもっと多い。地方で優れた企画展が開かれていることもあるし、MOA美術館の光琳の屏風みたいに、わざわざ出かけないとめったにお眼にかかれない名品もある。
ぼくにできることはといえば、近場に巡回してくる展覧会を、逃さずとらえることぐらいだろうか。それでも、なかなか厳しいこともある。せっかくの休日でも、午前中を無為に過ごしてしまって、ついにはどこにも行けなかったという日もなくはない。まあ、これが勤め人の性(さが)だといえば、それまでなのだが。
しかし世の中には、活力旺盛にあちこちへ出没する人がいるものだ。週末ごとにマラソンに出場しているかのような公務員ランナーは、世界のどこかの大会にしょっちゅう参加しているジャンプの高梨選手と同じぐらいすごいと思うのだが、プロ野球のキャンプを見るために南国へ飛んだり、ゲームの新機種を買うために徹夜で並んだりしている人のバイタリティーですら、とても真似できない。いくら美術が好きでも、睡眠不足のままでひとつの展覧会を堪能することは、ぼくにはできそうにないからだ。
つづく