てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

ロシアン・アート・ルーレット(1)

2008年01月07日 | 美術随想
人物画について その1
 新年明けて3日目。よっぽど美術が好きな人でなければ、正月休みの真っ最中にわざわざ展覧会に足を運んだりはしないだろう。そう思いながら、大阪港にあるサントリーミュージアム[天保山]へと出かけた。

 ところが館内に入ってみると、オープンしてからまだ30分も経たないというのに、チケット売り場の前には長蛇の列ができているではないか。しかもゴッホとかモネとかフェルメールとか、日本人に大人気の画家ならいざ知らず、マイナーといってもいいロシア近代絵画の展覧会である。いったい何がこんなに人々を惹きつけるのだろう?

 だが、ぼくはコンビニであらかじめチケットを購入しておいたので、その列はスルーすることができた。ミュージアムのホームページに、大変混み合いますので前売券を買っておいてください、などと書かれていたからだ。年明け早々、人込みはイヤというほど見てきているので、今度ばかりは勘弁してほしかったのである。

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(注:この作品は展覧会の出品作ではありません)

 日本でロシア美術展が開かれることは、非常にまれだといえるだろう。ぼく自身、何年も前にトレチャコフ美術館の展覧会を観たことがあるぐらいだ。

 どの国にもいえることだが、ひとつの国が同時代の芸術すべての分野で世界をリードすることはあり得ないとぼくは思っている。たとえば19世紀後半のフランスでは印象派の画家たちが大活躍し、自然主義の文学者たちも一時代を築いたが、フランス音楽が隆盛をみるのはようやく20世紀に入ってからだ。スペインにおいてはピカソやミロやダリがモダンアートの地平をどんどん切りひらいていたころ、スペイン文学はほとんど見向きもされなかった。

 そしてロシアにおいても、ドストエフスキーやトルストイが歴史に残る大長編小説を書き、チャイコフスキーがオーケストラの華麗なる響きを自在にかき鳴らしていたときには、美術の分野はほとんど黙殺されてきたのである。彼らの国の美術が(特に絵画が)世の注目を一身に浴びるようになるには、ロシア革命前夜まで待たねばならなかった。このたびの展覧会は、そんな歴史の陰に隠れた知られざるロシア美術を垣間見る貴重な機会となるにちがいない。

 今回展示された画家のなかでぼくがよく知っているのは、イリヤ・レーピンただひとりである。彼が描いた晩年のムソルグスキーの肖像画を、自分の部屋に貼っていたことがあるからだ(『モデスト・ムソルグスキーの肖像』国立トレチャコフ美術館蔵、上図)。そのころぼくはクラシック音楽にかぶれていて、音楽で飯が食えるようになればいいなどと思っていたが、アルコールに耽溺して鼻の赤らんだ作曲家の顔は、「そんなに簡単なことではないからやめておけ」とでもいいたげだった。

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 今度の展覧会はすべて、国立ロシア美術館の所蔵する作品からなっている。他の国の絵画展と比べて肖像画の割合が多いような気がしたが、なかでもぼくの注意を引いたのは、やはりレーピンの筆による『ニコライ・リムスキー=コルサコフの肖像』(上図)であった。というのも、ムソルグスキーとリムスキー=コルサコフとは「ロシア5人組」でともに切磋琢磨しあった同志で、切っても切れない関係にあるからだ。

 それだけではない。ムソルグスキーの独創的な音楽は生前ほとんど評価されず、多くが未出版または未完成のまま残されたが、それに補筆して演奏可能な状態にまで仕上げたのがリムスキー=コルサコフだった。今でもよくコンサートで取り上げられる交響詩『禿山の一夜』には大幅な改変をほどこし、奇怪ななかにも洗練された響きを作り上げたし、ラヴェルのオーケストレーションで知られる『展覧会の絵』のピアノによる原曲にさえ、リムスキー=コルサコフの手が入っている。彼がいなかったら、ムソルグスキーの名前は時とともに忘れ去られていたかもしれないのである。

 ところでリムスキー=コルサコフ自身は、順調に成功への階段をのぼりつめていった。「5人組」のなかでもっとも若かった彼は、音楽院の教授にまで出世する。この肖像画が描かれた当時、彼は49歳。整った身なりをし、勤勉な人柄まで伝わってくるような、円熟した姿である。

 一方でムソルグスキーの肖像は、42歳で亡くなる直前のものだ。病人さながらにガウンをまとい、髪はボサボサで、眼が据わっている。ただの飲んだくれのような、いわば未完の芸術家の顔である。これほど胸をかきむしられる肖像画というのも、めったにあるものではない。

 同時代のふたりの作曲家が、露骨なほどに明暗をわけた姿を、レーピンはキャンバスにとどめた。堅実な職業画家としてリムスキー=コルサコフを描き、一方でムソルグスキーの友人のひとりとして、うらぶれたみじめな男をありのままに描いたのである。後者が歴史上もっとも有名な肖像画のひとつになっているのは、大いなる皮肉なのかもしれない。

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