てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

てつりう欲張り観桜記

2008年04月07日 | 写真記


 京都は今朝から雨だ。花散らしの雨、というのだろうか。遅咲きの桜を除いて、この週末が見ごろのピークだった。今年の桜は、例年になく早かったようである。

 先週あたりから、多忙な日常生活の隙間を縫うように、花の便りを探してちょこちょこと寄り道をしてきた。本当は和歌山あたりにまで足をのばしたいと思っていたが(というのも職場が和歌山寄りにあるからだ)、さすがに体力的にきついので断念した。ほかにも芦屋にあるフランク・ロイド・ライト設計の「ヨドコウ迎賓館」に行くなら桜の季節がいいと聞いていたが、スケジュールが合わないので見送った。

 壮大な計画を立てるだけ立てて、いつもそのとおり運ばないのが、ぼくの悪い癖である。今年も予定を積み残したまま、満開の桜はすでに散りはじめようとしている。ちょっとばかりほろ苦い思いにひたりながら、今年の桜を写真とともに振り返ってみたい。

                    ***

 ぼくの家から電車に乗って少し行ったところに、誰にも教えたくない桜の穴場がある。そこは公園でも何でもなく、ごく普通の住宅街だが、歩道の脇に無数の染井吉野が植えられ、春になると一斉に街を染め上げるのだ。ガイドブックにも載っていない隠れた名所で、嵐山などと比べると不思議なぐらい閑散としているので、おすすめである。とはいいつつ、ここでも一応、場所は伏せておくことにしたい。写真は4月4日の様子。


〔阪急の某駅付近の桜。駅を降りて角を曲がると、すぐに桜並木が始まる〕


〔この日がちょうど満開だった〕

 翌5日、土曜日なので仕事帰りに美術館に行くことにする。中之島にある国立国際美術館の前には、一本だけの枝垂桜が可憐な花をつけていた。


〔無数の蝶が舞い集っているような枝垂桜〕


〔大阪市立科学館をバックに〕

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 さて、いよいよ日曜日だ。好天に恵まれ、絶好の花見日和である。といっても、ぼくは桜を口実にどんちゃん騒ぎがしたいというタイプの人間ではない。この日は時間と体力の許すかぎり、桜を求めて歩きまわる覚悟で出かけた。

 京都屈指の桜の名所である平野神社にはまだ行ったことがなかったので、とりあえずそこを目指して出発する。ずいぶん長い間バスに揺られて着いてみると、境内一面に広がる満開の桜と、こちらも満開といいたくなるような花見客の集団に出迎えられた。普段はきっと静謐な空間なのであろうが、このときばかりは例外である。屋台がいくつも並び、臨時の座敷もたくさん設けられていた。

 賑わいを通り抜けて本殿へ近づくと、参拝者の列ができている。桜の花びらをかたどったおみくじが売られているのも、この神社の特色だろう。拝殿のすぐ隣には紅枝垂桜が見ごろを迎えていて、多くの人がカメラを向けていた。ぼくも人が写り込まないように苦心しながら、何枚か撮ってみた。


〔平野神社の紅枝垂桜〕


〔枝垂れる枝の下にもぐり込んで写す〕


〔鳥居越しに満開の桜をのぞむ〕


〔青空に映える薄桃色の花弁〕

 神社を出ると、バスで植物園の前まで引き返し、そこから賀茂川のほとりを出町柳まで歩いた。見事な桜並木が、堤防をふちどるように一列になって咲いている。この様子を上空から見たら、華やかなモールでデコレーションしたように見えることだろう。


〔河川敷でお弁当を開くグループの姿も多かった。ちなみにこのあたりは鴨川ではなく、賀茂川と表記するのが正しいそうだ〕

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 さすがに疲れたので、出町柳から京阪に乗って三条まで戻った。高瀬川沿いの桜を眺めながら、暖かなテラスでお茶でもしようと思い、よく知られた喫茶店に立ち寄るが、2時間待ちだといわれて断念する。

 展覧会を観たり、食事をしたりして時間をつぶすと、ようやく夜になった。夜桜には昼間の桜とちがい、何だか妖しい風情があるのがいい。


〔祇園白川の巽橋から撮った夜桜。背後には高級そうな料亭の窓が見える〕


〔空を覆いつくす桜の屋根は圧巻だ〕

 さてここまで来ると、円山公園の枝垂桜を見ずに帰ることはできない。ここ数年の間、この夜桜だけは毎年必ず見ているような気がする。今では夜勤の仕事をするようになったので、今夜を逃すと後がない。浮かれ騒ぐ人々の声をよそに、いそいそと公園のなかを歩いた。

 それは見事なまでに、満開だった。他のもろもろの桜を圧して、一段高いところに鎮座ましましていた。そのたたずまいは荘厳でもあり、不思議となまめかしくもある。複雑な枝ぶりには緊張と弛緩とがない合わさり、まるで豪奢な装束をまとった演者が舞いを舞っているところにも見えるのである。京都でもっとも美しい桜は何かと問われたら、ぼくは黙ってその人の手を引き、ここに連れてくるであろう。


〔円山公園の顔ともいえる枝垂桜〕


〔その絶妙な枝の配置はまさに天与のものだ〕

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 駆け足でめぐった今年の桜だったが、最初にも書いたとおり、遅咲きの桜がまだ残っているはずだ。時間さえ許せば2度目の花見に出かけてもみたいと、密かにたくらんでいるところである。ぼくの悪い癖は、なかなか治りそうにない。

(了)

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