てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

画家として死ぬということ(11)

2007年08月24日 | 美術随想


 須田国太郎という洋画家は、全国的にはどんな位置づけがされているのかわからないけれど、京都においては別格の存在だ。

 日本画の一大メッカだった京都の地に、洋画の種を撒いた最大の功労者は浅井忠だろうが、彼の門下からは梅原龍三郎や安井曽太郎といった日本を代表する洋画家が巣立っていった。「梅原・安井時代」などという呼称をも生んだこの二大巨匠が、ともに1888年の京都に生まれているという事実はもっと喧伝されてもいいことのように思われる。しかし彼らは、画家として成熟するとともに京都を離れていった。

 このたびの展覧会にはその梅原をはじめ、黒田重太郎や里見勝蔵など、京都ゆかりの洋画家の絶筆がいくつか集められていたが、そんな中で京都に生まれ京都に没した数少ない“生粋の京おとこ”が、ほかならぬ須田国太郎なのであった。京都市が主催する公募展「京展」には須田賞という賞が制定されているし、地元の美術館に彼の絵が所蔵されているのを眼にする機会も非常に多い。決して一般受けする作風ではないが、ぼくにはもっとも身近に感じられる洋画家のひとりである。

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 とはいっても、もちろん彼は京都を一歩も出なかったというわけではない。須田の絵画について語られる際には、必ずといっていいほどスペイン留学の影響ということがいわれる。洋画を志す若者の多くがパリを目指して旅立つ中で、彼はスペインに長期間滞在し、あちこちの風景を描いたり、美術館の絵を模写したりしているのである。

 その体験が、のちの須田の画風を大きく方向づけていることは疑いない。たしかに須田の絵は、異常なまでに“どす黒い”のだ。ここに、スペインの強烈な日差しから生まれる濃厚な影を連想する人もいるし、ゴヤの一連の『黒い絵』を思い起こす人もいるだろう。キャンバスから黒を追放したといわれる ― ぼくは必ずしもそうだと思わないが ― フランス印象派の影響を受けて帰国した洋画家たちの明快な作風とは、明らかに一線を画している。しかしぼくには、ちょっと気がかりな点がないでもない。

 一昨年、京都で須田国太郎の大規模な回顧展が開かれたとき、ティツィアーノの『ヴィーナスとオルガン奏者』の模写が展示されているのを観た。これは須田がかよいつめたプラド美術館の名品だが、偶然にもその一年後、大阪で「プラド美術館展」が開かれ、ティツィアーノの原作が出品されているのに出くわしたのである。両者を比較してみると、細部にかなりの異同があるばかりか、原作には描かれているキューピッドの愛らしい姿が、須田の模写では完全に欠落している。これでも模写と呼べるのか、といいたくもなるが、それよりも特筆すべきは、須田の模写のほうが明らかに“どす黒い”ということであった。

 須田絵画の異常なまでの重厚さを、単純にスペイン体験に帰することはできないのではないか、とぼくはそのとき思ったものだ。これは、彼が持って生まれた気質なのではなかろうか。色彩が輝きだすようなティツィアーノの絵を、あのように黒々と模写してしまうという時点で、すでに須田の生涯をつらぬく色調は決定されていたようなものである。それは何らかの視覚的な影響から出発したものではなく、彼の精神がもともと黒を欲していたのだ。

 須田は後年、あなたの絵は暗すぎるといわれたことに対して、「日本の絵は明るすぎる」と答えたという。「絵を描くには不器用なほうがいい」という発言もある。京大の哲学科で美学を修めた思索家の彼にとって、対象の上っ面を体裁よくなぞっただけの薄っぺらな絵はとうてい認めることができなかったのだろう。須田国太郎の絵画は、梅原や安井の絵と並べてみても晦渋で、重苦しい。彼がキャンバスに塗りこめた黒には、大いなる謎が秘められているような気がする。だからこそ、ぼくは彼の絵に惹きつけられるのである。

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 晩年の彼は体調をくずしながらも、病床に仰臥したまま絵を描いたという。まことに強靭な意志の持ち主である。しかし絶筆となった『めろんと西瓜』(上図)には、ほとんど黒が使われていない。須田絵画には例外的といっていいほど、これは明るい絵だ。

 ここに描かれた果物は、もしかしたら誰かが持ち込んだ見舞いの品かもしれない。生涯の最期にあたって、彼はようやく人生の謎から解放されたかのように、軽快な筆致でそれを描いて逝ったのだった。

(京都市美術館蔵)

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1 コメント

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ありがとうございます (飯田大輝)
2019-02-05 19:02:51
須田国太郎の絵についてネットで調べまわっていたところこのブログに出会えました。

あの重厚感、構図、それらがもたらすどしっと構えた雰囲気、それでいて大胆であり独特の色彩、目に焼きつきます。

僕も洋画家を志す者です、アーティストという括りでなく、洋画家をです、勉強になりました、また覗かせてもらいます、ありがとうございます。
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