てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

ルノワールと、その他の名品(14)

2013年08月31日 | 美術随想

ピエール=オーギュスト・ルノワール『シャトゥーの橋』(1875年頃)

 ルノワールは、何も人物ばかりを描いていたわけではない。彼も印象派に属する新進の画家たちとともに、近代化へ向けて移り変わる都会のなかで、時代の最先端に立っていたひとりだった。

 『シャトゥーの橋』は、たとえばブーダンとの出会いによって絵画への道を見いだしたモネとはひと味ちがって、ルノワールの都会的な一面がよく出ている。画面の上半分は都市の風景、下半分は自然の風景と、見事なまでに二分されているが、彼が自然のきらめきに没入することもならず、だからとって街中に埋没することもせず、微妙な“あわい”の地点に自分をおいていたことを象徴する絵だともいえる。

 ルノワールは人物を多く手がけたとはいっても、ミレーのように農民を描いたわけではなく、洗練された社交界で活躍する名士や、少なくともそのように扮した人物をモデルにした。そのためには、田園地帯に引っ込んでいては仕事にならない。よく整備された橋の下を、美しい水の流れる風景は、そんな画家にとって、絶好のロケーションだったのではなかろうか。

 それにしても、ルノワールの描く水面(みなも)のせせらぎは、何と優しいことだろう。月並みな表現だが、まるでビロードのようである。この滑らかさは、たとえば女性像を描くときの吸い込まれそうな質感にも直結している。

 ルノワールは、“眼に過ぎない”だけの画家ではなかったのだ。

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ピエール=オーギュスト・ルノワール『日没』(1879年または1881年)

 そんなぼくの固定観念をひっくり返してくれたのが、『日没』だった。これまで、ルノワールの絵を前にして心安らぐことはあっても、衝撃を受けたことはほとんどない。しかしこの一枚と対面して、ぼくは頭をがんと殴られたような気がした。「これが本当にルノワールか?」と、絵の横に貼られたキャプションを何度も見直したほどだ。

 先ほどの川とはまったく異なる、荒々しい筆触。鮮烈なまでの橙色。画面の中央を横切る水平線。これは、明らかにモネを意識した造形だろう。そして、絵の中央に小さく描かれる船のシルエットは、どうしてもあの『印象・日の出』を思わせる。

 だが、だだっ広い海の真ん中にひとりぼっちで浮かんでいる船の表現は、それ以上に孤独だ。肖像画を通して人との交流を重ね、人間の“表の顔”を快適に描き上げることを心がけてきたルノワールの心のなかに、予想もし得ない空隙が広がっていたことを思い知らされた。

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ルノワールと、その他の名品(13)

2013年08月30日 | 美術随想

ピエール=オーギュスト・ルノワール『うちわを持つ少女』(1879年頃)

 うら若い美女が、花飾りのついた帽子をかぶり、栗色の髪を優雅になびかせたかっこうで、じっとこちらを見つめる。しかしその手にはうちわが握られていて、背後には菊の花々が盛大に咲き競っている。この奇妙な取り合わせは、当時のフランスにおいてジャポニスムというものがどの程度受け入れられていたかを推察する資料にもなるだろう。

 フランスの画家と日本趣味との関係は、これまでにもさまざまにいわれてきた。特にゴッホは浮世絵の模写も残しているし、アルルへ転居したのも日本に憧れたからだといわれていて、一途なのめり込みかたが彼らしいといえば彼らしい。ロートレックも、自分自身が日本風に仮装した写真を残している。

 ただ、そういった一種の“日本ブーム”は、当の日本に住んでいる立場からすると、少し恥ずかしい。われわれが普段、特に意識することもなく使っているものが、実際にはこれほど珍しいものなのだ、ということがはっきりわかるからである。

 それともうひとつ、彼らにとっては日本というイメージがどこまで正確に伝わっているのだろう、と疑問に思えるときもなくはない。特に印象派の画家の何人かは、浮世絵から大きな影響を受けたとされている。しかし、いわば逆輸入のかたちでそれらの絵を日本人が観たとき、そこに日本的なものを発見したからといって、嬉しくなることはないように思う。

 ぼくらが印象派の絵画を偏愛するのは、おそらくは国民性とか民族性、宗教のちがいといったものを超えた普遍的な美がそこにあるからだ。つまり美しい花は誰が見ても美しく、愛らしい人は誰がみても愛らしいように描かれているのである。

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 そういった点で、ジャンヌ・サマリーがうちわを手にポーズをとるこの絵は、何だか“日本趣味の使用例”のような感じがする。うちわも菊も、まるで写真館でよそ行きの写真を撮影しているかのような、とってつけた不自然さが否めない。

 ジャンヌの表情も、気のせいか、少しこわばっているように思える。「なぜ、私にこんなものを持たせるの?」と問いかけているようですらある。彼女は女優であり、そんなものはなくてもじゅうぶんに美しく、また魅力的であるはずなのだから・・・。


参考画像:ピエール=オーギュスト・ルノワール『ジャンヌ・サマリーの肖像』(1877年、プーシキン美術館蔵)

 そう、この絵のモデルは、今ちょうどプーシキン美術館から来日している『ジャンヌ・サマリーの肖像』と同一人物である。端的にいってしまえば、後者のほうが、ぼくには魅力的に映る(まだ実物を観ていないから、何ともいえないが。この秋に神戸に来る予定なので、そのときにまた触れることになるかもしれない)。

 少なくとも、小道具になど頼ることなく、こちらに真っ直ぐな視線を向けてくれるジャンヌのほうが、ぼくには明るく、美しく感じられる。背景に花が描かれていないぶん、彼女自身が花となって咲き乱れているような気もするのである。

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ルノワールと、その他の名品(12)

2013年08月29日 | 美術随想

ピエール=オーギュスト・ルノワール『自画像』(1875年頃)

 「こんにちは、ルノワールさん」。ここはやはり、画家の自画像から入っていくのが礼儀であろう。

 だが、ルノワールの穏和な絵画世界に慣れている人にとっては、彼の顔はちょっと予想外なものかもしれない。後年の肖像写真でもそうだが、ルノワール自身が笑顔をたたえている姿をいうのを、ぼくは見たことがないのだ。いやむしろ、今まさに危機に瀕しているかのような深刻な、厳しい顔をしている。

 ルノワールは肖像画家としても活動していたから、人の特徴を一瞬で見抜く術は心得ていたはずだ。相手を喜ばせるためには、ある程度の“美化”が必要であるということも、よく知っていたはずである。のちに彼の絵が世に認められるようになり、描きたいものを自由に描くことができるようになってからでも、“現実より美しく描く”という姿勢は、ルノワールの根本に居座っていたのではないかと思う。

 それなのに、である。ルノワール自身の顔から、美しさはさておいても、心地よさを感じ取ることは不可能だ。この『自画像』が描かれたのは印象派展がはじまって間もないころで、いまだに貧乏暮らしから抜け出すことはできなかっただろう。そのことを別にしても、まるで思い詰めたような画家の表情は、彼が絵画に対していかに真剣に取り組んでいたかを物語っているといえる。

 そうやって描かれた数々の名作を、われわれも全身全霊を傾けて鑑賞しなければならない。そう思いたくなるのは、考えすぎというものだろうか? だが、ぼくはただ「綺麗な絵だねえ」というだけで彼の絵の前を通り過ぎてしまうのは、ルノワールに対して失礼なことのような気がするのである。

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ピエール=オーギュスト・ルノワール『若い娘の肖像(無邪気な少女)』(1874年頃)

 それにしても、ほぼ同じころに描かれた女性像を観ると、理屈抜きで心を奪われる。これこそが、ルノワールの魔力だろう。

 けれども、従来の古典的な女性の表現と比べると、やはり大きくちがっているように思う。この少女の姿は、現実にはあり得ないほど極端な撫で肩であり、人体解剖までして正確さを期したダ・ヴィンチからすれば、何という手抜きだ、ということになってしまいそうだ。ついでにいえば、先ほどの『自画像』と同様、背景には何も描かれていない。

 だが、描写の正確さを抜きにしても、女性を愛らしく表現する方法をルノワールはよく知っていた。画面のなかでもっとも濃い色に塗られた瞳、ぷっくりとした質感のある唇。そっと添えられた、可憐な人差し指。これ以上、何が必要だというのか?

 もっといえば、帽子に飾られた花だけが異質なマチエールで描かれていて、絵のワンポイントになっている。このワンポイントという言葉は、いわゆるファッションの世界でよく使われるような気がするが、女性が自分を美しく飾り立てるときに考えるのと同じようなことを、やはりルノワールも考えていたのである。

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ルノワールと、その他の名品(11)

2013年08月28日 | 美術随想

ジャン=レオン・ジェローム『蛇使い』(1879年頃)

 こんにちのルノワールやモネたちの絶大な人気からすると、当時のアカデミスムの画家たちは、どうも旗色がわるい。けれども、決して捨てたものではないのではないかと、ぼくは思ってきた。たしかに、新しい印象派の台頭を容易に肯んじなかった頭の固いところはあるかもしれないけれど、高度なテクニックという点に関しては、疑いもなく第一級だというべきである。

 たとえば、モネの晩年のある時期の絵などを観ると、ひょっとしたら自分にも描けるのではないか、と勘違いさせるところがなくもない(実際には、もちろん描けるはずもないのだが)。この距離感の近さが、われわれに印象派を親しく感じさせる一因でもあるのだろうが、アカデミスムの絵画となると、とうてい太刀打ちできないことは眼に見えている。

 才能だけではなく、長い時間をかけて積み重ねられた鍛錬と、磨き抜かれた技量との見事な精華を前にして、ため息をつかざるを得ない。ジェロームの作品はこれまでにも取り上げたことがあるが、この『蛇使い』は、それとは比較にならないぐらいの力作だろう。ぼくはジェロームの名前を覚える前から、画集などでこの絵を眼にしたことがあった。そして、いざ実物を前にしてみても、その完璧なまでの仕上がりに時間を忘れて眺め入った。

 地面に貼られたタイルのような装飾が、うっすらと厚みを帯びて描かれているところなど、写真を超えたリアリティーを感じさせる。そう、この絵の魅力は、描写力が現実を超越してしまったところにあるのかもしれない。描かれている場所も、人々の服装も矛盾だらけだそうで、これはジェロームがおのれのオリエンタルな趣味を総動員して作った、架空の情景なのだ。

 しかし、あまりにも写実的であるがゆえに、まるで実際に東洋を取材して描かれたもののように錯覚してしまう。考えてみれば、宗教画も歴史画も、そういった錯覚を呼び起こすために描かれたという一面がある。たとえば誰も見たことのないキリストの姿をリアルに描くことで、観る者の信仰心をかき立てるというような・・・。

 その意味でこの絵は、西洋絵画の根本的な意義を、まっとうに受け継いでいるともいえるのだ。移り変わる自然の“かりそめ”の表情を嬉々として描いている印象派の連中が、アカデミスムの画家たちには理解できなかったとしても、無理もないという気がする。

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ウィリアム=アドルフ・ブグロー『座る裸婦』(1884年)

 ブグロー(ぼくはブーグローという呼び名で親しんできたのだが)もまた、アカデミスムを代表する存在だろう。特にうら若い女性像が印象に残っている。その意味で、ついルノワールと比べたくなってしまう。

 頭から布をかぶったこの裸婦は、どことなく東洋的な艶かしさもあるが、結局はどの国の女性ともわからない。背中を丸めて膝を抱えた複雑なポージングと、その虚ろな視線がどこに由来するものなのかも、はっきりしない。ただ、名もない裸婦が完璧なまでに描写されていることを楽しめばいいのだろう。彼女は水辺にたたずんでいるが、アングルの『泉』のような擬人像の一種でもなさそうだ。

 しかし、ルノワールの裸婦像にみられる底抜けの明るさといったものも、やはり感じられない。われわれがルノワールを観るときに心の高揚を覚えるのは、近代以降の人間にとっては口にするのも恥ずかしくなってしまった“生きる喜び”が、率直に描かれているからではないだろうか。

 ということで、次回からはいよいよ、この展覧会の目玉であるルノワールの作品群を観ていくことにしよう。

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ルノワールと、その他の名品(10)

2013年08月27日 | 美術随想

エドガー・ドガ『稽古場の踊り子たち』(1880年頃)

 ルノワールとともに、印象派のなかでもとりわけ人物に興味を示したのが、ドガだった。特に踊り子を描いた絵は、彼の代表的な仕事として広く知られているだろう。日本においても、たとえば小磯良平のような画家が踊り子を盛んにモチーフに取り上げているのは、ドガという偉大な先達がいたからにちがいない。

 そういえば小磯も、日本の画壇において人物表現を追求しつづけた存在だったといえる。その点、ドガやルノワールから教えられるところは多かったはずだ。

 だが、小磯とドガとでは、対象に向ける視線が明らかに異なっていた。基本的に女性を美しく、優雅なものとしてとらえようとした小磯に対し、ドガのほうはもっとクールな、というよりも容赦ないほど冷徹な視線を注いだ。そのせいか、モデルが少しかわいそうになるぐらいに、露骨な姿態を晒している絵もなくはない。

 『稽古場の踊り子たち』も、そんな一枚だ。稽古場の奥のほうで、バーにつかまって足を上げる練習をしている踊り子はまだしも美しく見えるが、手前で座っているふたりの少女は、まるでオヤジがくつろいでいるかのようなかっこうである。彼女たちにしてみれば、あまり見られたくない瞬間をとらえられてしまった、ということになるだろう。

 視点を変えてみれば、描き手であるドガが、いかに巧妙にその存在を消しているか、ということでもある。まるで、カメラマンが誰にも気づかれないようにシャッターを切り、なにげない一瞬をフィルムの上に焼きつけてしまったかのようだ。もちろんこれは写真ではないので、ドガが実際に見たありのままが描かれているという証拠はないし、むしろ彼の頭のなかで再構成されていると考えるほうが自然かもしれないけれど・・・。

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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『待つ』(1888年頃)

 歌手や俳優といった名の知れた人物を、外見的特徴を誇張して描いたロートレックは、たとえば山藤章二などの似顔絵の先駆といってもいいような気がする。それだけに、芸術としては一段低いものにみられがちなところもあるようだ。

 ぼくも、ロートレックの絵がすべて好きだというわけではない。彼が描いたモデルは、もちろんぼくが実際に知らない人ばかりだが、ロートレックの手にかかると、まるで命が吹き込まれたように動き出す。そこにあらわれるのは、ツンとすましたポーズをとる人ではなく、ふとした瞬間を無造作に切り取られた、生々しい姿である。

 録画したテレビ番組を再生していて一時停止ボタンを押したとき、画面の人物が白目を剥いた状態で止まったり、信じられないほど醜い顔に映っていたりすることがあるものだ。ロートレックは、あたかも自分の心の眼で、それをやってしまったかのように思える。彼もある意味で、カメラマンだったのだろう。

 けれども、『待つ』という作品は、それとはちがうようだ。後ろ向きのために正体のわからない女性が、物憂げな横顔を少しだけ見せている。ロートレックには、このように背後から女性をとらえた絵がほかにもあったと思うが、カリカチュアライズされた人物像を得意とした彼にしては意外なほど物静かで、ピカソの青の時代にも通じるような厳粛さをたたえている。

 ロートレック本人は、見た眼の滑稽さもあって(彼は骨折がもとで下半身の成長が止まっていた)、真面目な生きかたを貫き通すには不似合いだったかもしれない。みずから進んでピエロを演じていたふしもある。ただ、誰にも見られていないところでは、絵画に対する率直な思いが結晶することもあったろう。『待つ』は、ロートレックのそんな一面を伝えてくれる。

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