ピエール=オーギュスト・ルノワール『シャトゥーの橋』(1875年頃)
ルノワールは、何も人物ばかりを描いていたわけではない。彼も印象派に属する新進の画家たちとともに、近代化へ向けて移り変わる都会のなかで、時代の最先端に立っていたひとりだった。
『シャトゥーの橋』は、たとえばブーダンとの出会いによって絵画への道を見いだしたモネとはひと味ちがって、ルノワールの都会的な一面がよく出ている。画面の上半分は都市の風景、下半分は自然の風景と、見事なまでに二分されているが、彼が自然のきらめきに没入することもならず、だからとって街中に埋没することもせず、微妙な“あわい”の地点に自分をおいていたことを象徴する絵だともいえる。
ルノワールは人物を多く手がけたとはいっても、ミレーのように農民を描いたわけではなく、洗練された社交界で活躍する名士や、少なくともそのように扮した人物をモデルにした。そのためには、田園地帯に引っ込んでいては仕事にならない。よく整備された橋の下を、美しい水の流れる風景は、そんな画家にとって、絶好のロケーションだったのではなかろうか。
それにしても、ルノワールの描く水面(みなも)のせせらぎは、何と優しいことだろう。月並みな表現だが、まるでビロードのようである。この滑らかさは、たとえば女性像を描くときの吸い込まれそうな質感にも直結している。
ルノワールは、“眼に過ぎない”だけの画家ではなかったのだ。
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ピエール=オーギュスト・ルノワール『日没』(1879年または1881年)
そんなぼくの固定観念をひっくり返してくれたのが、『日没』だった。これまで、ルノワールの絵を前にして心安らぐことはあっても、衝撃を受けたことはほとんどない。しかしこの一枚と対面して、ぼくは頭をがんと殴られたような気がした。「これが本当にルノワールか?」と、絵の横に貼られたキャプションを何度も見直したほどだ。
先ほどの川とはまったく異なる、荒々しい筆触。鮮烈なまでの橙色。画面の中央を横切る水平線。これは、明らかにモネを意識した造形だろう。そして、絵の中央に小さく描かれる船のシルエットは、どうしてもあの『印象・日の出』を思わせる。
だが、だだっ広い海の真ん中にひとりぼっちで浮かんでいる船の表現は、それ以上に孤独だ。肖像画を通して人との交流を重ね、人間の“表の顔”を快適に描き上げることを心がけてきたルノワールの心のなかに、予想もし得ない空隙が広がっていたことを思い知らされた。
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