『肘掛け椅子に座るオルガの肖像』
2003年に東京で開かれた「ピカソ・クラシック」という展覧会は、『海辺を走る二人の女』をはじめ多くの名作が来日した豪華な展覧会だったそうだが、ぼくには行くことができなかった。『肘掛け椅子に座るオルガの肖像』(パリ・ピカソ美術館蔵)も、そのとき出品された一枚である。この絵はポスターなどを通じてたくさんの人の目に触れたことだろうし、そのうちのかなりの人々が、これがあのピカソの作品かと思ったことだろう。
描かれているのは、ピカソの最初の妻である。といっても、この端整な肖像画が描かれたとき、ふたりはまだ結婚していなかった。ロシア・バレエ団公演の美術を担当することになったピカソは、そこの踊り子のひとりであったオルガ・コクローヴァと出会う。評伝などによれば、ピカソの熱烈なアプローチの結果、ふたりは結ばれたそうである。ピカソというと掟破りの好色漢みたいにいわれ、苦もなく女を手に入れているような印象がなくもないが、このときばかりはちがったようだ。
***
ここに描かれたオルガの顔つきやポーズを観ていると、さもありなん、と思う。オルガの姿は確かに美しいし、それを完璧なまでに再現し得たピカソの傑出した腕も、もちろん素晴らしい。だがこれは、恋する女の顔ではないという気がする。いかにもガードが固そうな、冷ややかな、自尊心にあふれた顔である。言い寄る男たちなど、鼻もひっかけないといわんばかりだ。椅子の背もたれに乗せた右腕が、彼女のプライドの高さを物語っているかに見える。
一見近寄りがたくも思われるオルガのこの風貌は、結婚後のピカソの生活にもたらされる決定的な変化を、はるかに予告しているかのようだ。妻となったオルガはピカソを連れて、さかんに社交界に出入りしはじめる。ピカソもひとかどの紳士きどりで、上流社会へと交友の場を広げていったという。
この時代の、正装ですまし返ったピカソの写真がいくつか残されている。それを眺めていると、やはり奇異の感を禁じ得ない。ぼくが子供のころから、さまざまな本で見慣れてきたピカソの姿の多くは、ボーダーのシャツを着てらんらんと目を光らせていたり、上半身裸で腕組みをして立っていたりするような、まことに野性味あふれる男の姿だった。髪をきちんとわけ、スーツを着用に及んだピカソなど、まるで牙を抜かれたライオンのようである。だが、ピカソがふたたびその本性をあらわすのに、それほど時間はかからなかった・・・。
***
『女の肖像』(下図、ジャクリーヌ・コレクション蔵)というこの奇怪な肖像画が、誰の顔を描いたものかはわからないが、やはりオルガだと考えるべきなのだろうか。だとすれば、優雅な衣装を身にまとい、肘掛け椅子に座っていたあの美しいオルガの、9年後の変わり果てた姿である。
この悪意にみちた ― としか考えられない ― 人物像は、キュビスムだとか何々主義だとかいう以前に、ピカソの率直な感情の表現だと思う。ピカソがこの女の顔を醜く誇張して描いたのは、彼女との関係が非常に険悪であったからにほかならない。子供に絵を描かせたりすると、嫌いな人の顔に角が生えていたりするのと同じで、嫌いなところを誇張して描いたまでである。
よくいわれるように、ピカソは決してメチャクチャを描いたわけではない。よくよく観ると、筋の通った鼻梁や細長い首の表現に、やはり昔日のオルガのおもかげを認めることができる。彼は基本的に、現実から出発した画家だったのだ。現実が彼にとって醜悪であれば、それは醜悪に描く以外にないではないか?
***
『女の肖像』を描いた翌年、ピカソはマリー=テレーズという若きミューズと出会う。ピカソはオルガとの婚姻関係を解消できないままに、愛人関係にのめり込んでいくのである。オルガとの仲がますます悪化したのは、いうまでもないだろう。
『赤い背景の接吻』(下図、ジャクリーヌ・コレクション蔵)を観ると、接吻とは名ばかりで、実際には噛み付き合っているようにしか思えない。ここまでくるとオルガの個性は認められないどころか、人物としての態をなしていない。どちらが男でどちらが女か、それすらも明らかではない。
このときピカソは、現実から目を背けていたのだろう。彼はマリー=テレーズのもとへ逃げようとしていたのかもしれない。いや、むしろマリー=テレーズの存在こそが、徐々に彼にとっての現実となっていったのではなかろうか。ここに描かれたふたりの人物(?)は、ぬけがらでしかないのだろう。
(未完)
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2003年に東京で開かれた「ピカソ・クラシック」という展覧会は、『海辺を走る二人の女』をはじめ多くの名作が来日した豪華な展覧会だったそうだが、ぼくには行くことができなかった。『肘掛け椅子に座るオルガの肖像』(パリ・ピカソ美術館蔵)も、そのとき出品された一枚である。この絵はポスターなどを通じてたくさんの人の目に触れたことだろうし、そのうちのかなりの人々が、これがあのピカソの作品かと思ったことだろう。
描かれているのは、ピカソの最初の妻である。といっても、この端整な肖像画が描かれたとき、ふたりはまだ結婚していなかった。ロシア・バレエ団公演の美術を担当することになったピカソは、そこの踊り子のひとりであったオルガ・コクローヴァと出会う。評伝などによれば、ピカソの熱烈なアプローチの結果、ふたりは結ばれたそうである。ピカソというと掟破りの好色漢みたいにいわれ、苦もなく女を手に入れているような印象がなくもないが、このときばかりはちがったようだ。
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ここに描かれたオルガの顔つきやポーズを観ていると、さもありなん、と思う。オルガの姿は確かに美しいし、それを完璧なまでに再現し得たピカソの傑出した腕も、もちろん素晴らしい。だがこれは、恋する女の顔ではないという気がする。いかにもガードが固そうな、冷ややかな、自尊心にあふれた顔である。言い寄る男たちなど、鼻もひっかけないといわんばかりだ。椅子の背もたれに乗せた右腕が、彼女のプライドの高さを物語っているかに見える。
一見近寄りがたくも思われるオルガのこの風貌は、結婚後のピカソの生活にもたらされる決定的な変化を、はるかに予告しているかのようだ。妻となったオルガはピカソを連れて、さかんに社交界に出入りしはじめる。ピカソもひとかどの紳士きどりで、上流社会へと交友の場を広げていったという。
この時代の、正装ですまし返ったピカソの写真がいくつか残されている。それを眺めていると、やはり奇異の感を禁じ得ない。ぼくが子供のころから、さまざまな本で見慣れてきたピカソの姿の多くは、ボーダーのシャツを着てらんらんと目を光らせていたり、上半身裸で腕組みをして立っていたりするような、まことに野性味あふれる男の姿だった。髪をきちんとわけ、スーツを着用に及んだピカソなど、まるで牙を抜かれたライオンのようである。だが、ピカソがふたたびその本性をあらわすのに、それほど時間はかからなかった・・・。
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『女の肖像』(下図、ジャクリーヌ・コレクション蔵)というこの奇怪な肖像画が、誰の顔を描いたものかはわからないが、やはりオルガだと考えるべきなのだろうか。だとすれば、優雅な衣装を身にまとい、肘掛け椅子に座っていたあの美しいオルガの、9年後の変わり果てた姿である。
この悪意にみちた ― としか考えられない ― 人物像は、キュビスムだとか何々主義だとかいう以前に、ピカソの率直な感情の表現だと思う。ピカソがこの女の顔を醜く誇張して描いたのは、彼女との関係が非常に険悪であったからにほかならない。子供に絵を描かせたりすると、嫌いな人の顔に角が生えていたりするのと同じで、嫌いなところを誇張して描いたまでである。
よくいわれるように、ピカソは決してメチャクチャを描いたわけではない。よくよく観ると、筋の通った鼻梁や細長い首の表現に、やはり昔日のオルガのおもかげを認めることができる。彼は基本的に、現実から出発した画家だったのだ。現実が彼にとって醜悪であれば、それは醜悪に描く以外にないではないか?
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『女の肖像』を描いた翌年、ピカソはマリー=テレーズという若きミューズと出会う。ピカソはオルガとの婚姻関係を解消できないままに、愛人関係にのめり込んでいくのである。オルガとの仲がますます悪化したのは、いうまでもないだろう。
『赤い背景の接吻』(下図、ジャクリーヌ・コレクション蔵)を観ると、接吻とは名ばかりで、実際には噛み付き合っているようにしか思えない。ここまでくるとオルガの個性は認められないどころか、人物としての態をなしていない。どちらが男でどちらが女か、それすらも明らかではない。
このときピカソは、現実から目を背けていたのだろう。彼はマリー=テレーズのもとへ逃げようとしていたのかもしれない。いや、むしろマリー=テレーズの存在こそが、徐々に彼にとっての現実となっていったのではなかろうか。ここに描かれたふたりの人物(?)は、ぬけがらでしかないのだろう。
(未完)
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