てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

まえがき

2005年08月21日 | まえがき
 ぼくは小さいころから絵を観るのが好きな子供だった。しかも図工の教科書に載っているような、全国の“優秀な”子供たちが描いた児童画にはてんで興味が持てず、親にせがんでは展覧会や美術館に連れていってもらったものだ。画家の名前や活躍した時代などは知る由もなく、何々派の画家であるとか、誰それの影響を受けたとか、大人になると誰もが気にすることにも興味がなかったが、逆にいえば何の先入観もなしに、無垢な心で作品と対話していたといってもいいかもしれない。

 記憶に残るかぎりで最も古い展覧会は、確か小学校2年生ぐらいのときだったと思う。そのときに買った図録を大きくなってから読み返してみると、ルーベンスやルノワール、ゴッホといったそうそうたる画家の作品が次々とあらわれてきて驚いたものだ。しかし幼かったぼくは、そんなに有名な人が描いたものとは知らず、純粋に目をキャンバスの上に遊ばせながら、心をときめかせていたことだろう。それでじゅうぶんだった。

 ところが、なぜか自分で絵を描こうという気持ちになったことはない。実際、図工や美術の授業でぼくが制作した作品は惨憺たるものだった。実をいうと小学校の高学年ごろに、紙粘土でピカソ風の面を作ったことがある。それは非常に満足のいくできばえで、気をよくしたぼくは大人たちにそれを見せたが、誰ひとりとして好意的な感想をいってくれるものはなかった。ぼくは周囲の無理解と戦うよりも、美術の世界で自分の表現を封印することの方を選んだ。


 だがぼくには何かを創作したいという意欲が欠けていたわけではなかったらしい。長じて小説を書きはじめたり、音楽を作曲してみたりしたこともあったが、どちらも独学にして自己流であり、ひとりよがりの謗りを免れるものではなかった。それらの未熟な芸術の創作は熱病のようにぼくを夢中にさせたが、何の実を結ぶこともなく枯れ果てた。今から思えば当然のことだ。

 しかしそうやってぼくなりに挫折を経験してみると、美術というものがこれまでとは違った相貌を見せるようになっていた。「美しいもの」「目に楽しいもの」であった美術が、創作という困難と真摯に向き合ったあげくに勝ち取った勲章のように、輝きを帯びて見えはじめたのである。

 作品としての優劣など、さまざまな相対的な位置づけはもちろんできる。しかし画家が白いキャンバスを前に絵の具と格闘したという事実、彫刻家が厳然たる形と重さを持った造形をこの世に新しく生み出したという事実は、無条件にぼくをうつ。入念に仕上げられた絵のマチエールには画家の苦闘が塗りこめられているし、照り輝く彫刻の肌は鑿打つ人の汗を吸っているのである。何ひとつ創作できなかったこのぼくは、展覧会場に掛け並べられた絵から「お前はいったい何を生み出してきたというんだ」という問いかけをしばしば聞いた。


 ぼくには本当に何も生み出せないのだろうか? そんな疑問から脱け出すためにぼくは今、美術を文章に定着させることに躍起になっている。展覧会を観ては、そのことを言葉で書き残そうとしている。しかし単なる感想文ではない。美術を前にして揺さぶられた心の軌跡を、丹念に綴ってみたいのである。

 そこには間違った考えや、ひとり合点もあるだろう。ときには非常に重大な誤謬を犯すこともあるかもしれない。しかしそのときぼくがそれを考えたという点では、かけがえのない事実である。それを原稿用紙ならぬブログに紡いでいくことが、ぼくにとってのささやかな“創作”となればいい。ここはそんな希望を託されたページである。

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