てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

「人生は狂言だ」(1)

2006年02月06日 | 美術随想
 いつの間にか、日はとっぷりと暮れている。コートの襟を立てて家路につく人々を追い抜き、ぼくは駅へと走った。節分の日、“季節の分かれ目”を意味するとおり春の到来の間近いことを予感させる暖かな日中からは一変して、気温は急速に下がり、冷たい風が吹きはじめていた。

 その日の昼休みに、駅で拾ってきたフリーペーパーをなにげなくめくっていると、各地の節分行事の案内が目に入った。その中に、京都の壬生寺(みぶでら)でおこなわれる壬生狂言のことが出ていた。たいていの追儺(ついな)式や豆まき神事は昼間におこなわれるようだが、その狂言は夜の8時まで演じられているということを、そのとき初めて知ったのだ。

 ぼくが勤めている大阪から、四条大宮にほど近い壬生寺まで、ざっと一時間半もあれば行くことができる。ぼくはにわかに壬生狂言が観てみたくなって、バタバタと仕事を片付けると、会社を飛び出したのである。

   *

 といっても、特に狂言が好きだというわけではない。京都に住んでいながら、大阪のオフィス街との往復だけで毎日が過ぎていくのがやりきれなくなってきたのだ。できるだけ京都の伝統に触れる機会を作りたいと思い、祇園祭のときには宵山や巡行だけではなく鉾を建てているのを見学したり、正月には下鴨神社の「蹴鞠(けまり)初め」に出かけたりした。だが、壬生狂言はまだ一度も観たことがなかった。


 そもそもぼくが壬生狂言に関心を持ったのは、一枚の絵がきっかけだった。いつの展覧会だったか、上村松篁が描いた『壬生狂言』という絵を観たのである。その絵に特に強い印象を受けたというわけではなかったが、およそ松篁らしからぬ作風が、ずっと頭の片隅に引っかかっていた。松篁といえば花鳥画の大家で、人物を描くことはほとんどない。彼が生まれたのは京都であるが、京都の伝統行事を描いた例もぼくは他に知らなかった。

 さてその『壬生狂言』という絵には、簡素な舞台の上に3人の演者が描かれている。それぞれ何という名前で、どういう役柄なのか、もとより知るはずもないのだが、彼らが3人とも面をつけていて、能楽師のように表情を隠しているのが、ぼくには意外なことに思われた。ぼくの乏しい知識では、狂言というものはもっと人間くさいもので、ときには演者が大きな笑い声をあげたり、わざとオーバーな台詞回しをしたりする、おもしろおかしい出し物だとばかり思い込んでいたのである。

   *

 もっとも、狂言については、忘れようにも忘れられない鮮烈な記憶がひとつだけある。


 小学校のとき、国語の授業で「附子(ぶす)」という狂言を習った。教科書には太郎冠者と次郎冠者が交わすとぼけた台詞のやりとりが載っていて、本物の狂言師が演じているテープを聴かされたりもしたが、それはおよそ次のような話だった。

 主人が太郎冠者と次郎冠者に留守番を命じ、桶の中には附子という猛毒が入っているから注意しろ、と言い置いて出ていく。残されたふたりは、附子の毒気に当てられないように扇で風を送りながら、桶に近づこうとする。

 扇げ扇げ
 扇ぐぞ扇ぐぞ


 猛毒だといわれたそれは、いかにもうまそうに見える。食べてみると砂糖であった。ふたりして砂糖を舐め尽くしてしまうと、一計を案じて主人の大切な掛軸を破り、天目茶碗を割ってしまう。帰ってきた主人に、相撲を取っていたらこんなことになってしまった、死んでお詫びをしようと附子を食べたのだ、と言いわけをするのである。

 一口食えども死なれもせず
 二口食えどもまだ死なず
 三口、四口
 五口
 十口余り皆になるまで食うたれども、死なれぬことのめでたさよ


   *
 
 それから数日後、ぼくは放課後の職員室にいきなり呼び出された。家族が病気にでもなったのかと急いで行ってみると、あろうことか、狂言の台本を手渡されたのである。何でも、学校で推進しているあいさつ運動の一環として、全校生徒の前で狂言を演じなさいというのだ。

 教師の手で書かれたその台本は、無愛想な男があいさつの素晴らしさに目覚めるといったような内容のものだったが、台詞は狂言独特の言い回しがそのまま使われていた。選ばれた数人の“にわか狂言師”たちは、放課後の学校に毎日のように居残り、苦心しながら練習を重ねた。なかでも、笑い声の練習ほど苦痛だったものはない。おかしくもないのに大声で笑うとは、いかに困難なことであるか・・・。

 ワッハッハ!
 ワッハッハ!



 本番は大成功で、教員たちにも評判がよく、ぼくは校内で一挙に有名人になった。しかし事前に何の相談もないまま、いわば強制的に狂言を演じさせられ、「ワッハッハ!」と笑わせられたことに、ぼくはいつまでもこだわった。その後、狂言の盛んな京都に越してきてからも、一度も狂言を観にいくことはなかった。そんなぼくが、壬生狂言に駆けつけるために息せき切って駅まで走ったのだから、確かにおかしなことにちがいない。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
続きが早く読みたいです♪ (遊行七恵)
2006-02-06 21:27:26
こんにちは。



わたしは『武悪』ごっこしてました。

なつかしいです。



松篁さんの『壬生狂言』はたしか『桶取』でしたね。



ゴールデンウィーク前には連続して壬生狂言が行われます。ガンデンデンとも呼ばれる古怪で、そのくせ古びることのない何かを持った壬生狂言は好きです。



てつ様の続きが早く読みたいなとワクワクしております。



(レス不要です)←ただのワクワク感想ですから。

失礼しました。♪
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