てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

「無言館」は語る(3)

2005年08月25日 | 美術随想
 東京美術学校日本画科に学んだ前田美千雄は、卒業して程なく5歳年下の絹子と婚約する。それは折しも盧溝橋事件が勃発した年のことであった。にわかに軍事色が強まる中、美千雄は絹子との挙式を先延ばしにして応召、日中戦線へと送られる。日本にいて自分の帰りを待ちわびている人のために、美千雄は絶えることなく絵手紙を書き送りつづけた。

 しかしそこに描かれていたのは、戦争とはまるで縁もゆかりもない異国の日常の光景である。美千雄はあたたかな眼差しと尽きせぬ好奇心で、見慣れぬ中国の自然や人々を観察し、素朴に描いていった。絵に添えられた文章からは、ときに中国人に対する畏敬の念すら見て取れるのである。

 兵隊として戦地で生きるということがどういうことなのか、戦後生まれのぼくには想像するしかない。小説や映画などで苛烈な軍隊生活の描写をよく見かけるが、まさかそれがすべてではあるまい。前田美千雄は戦地にあっても、“画家の平常心”を失うことはなかった。日々の訓練、行軍、歩哨任務などの繰り返しの中でなお、彼は中国の街並みや風景に心を動かされ、道ばたの花に目をとめることを忘れなかったのだ。彼こそ、根っからの画家だったというべきだろう。


 婚約者の帰りを待つあいだ、絹子は日本画の先生について学んだというが、それはみずからが絵を描くためというよりも、未来の夫の画業を手伝うためだったようである。婚約から5年後、美千雄はようやく除隊され、ふたりは結婚した。画家として再スタートを切った美千雄と、それを支える絹子。この二人三脚の蜜月がどんなに満ち足りたものであったか、想像に難くない。しかし式を挙げてから1年も経たないうちに、美千雄は再び召集されるのである。

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