てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

太陽の塔が泣いた日(1)

2008年02月24日 | 写真記


 その日は朝から強風が音を立てて吹きすさび、ときどき横なぐりの雨さえまじるという悪天候だった。こんな日に大阪吹田の万博記念公園に出かけようなどという人は、よっぽど時間に余裕があるか、よっぽど太陽の塔が好きか、どちらかにちがいない。ぼくは断然、後者である。

 でも実は、ここ4年あまり、この公園を訪れたことはなかった。園内にあった国立国際美術館が閉館し、中之島に移転してしまったからだ。その後、太陽の塔のてっぺんにある両眼に34年ぶりの灯りがともされるというイベントがあり、そのときに中央ゲート前まで行ったことはあるが、中に入ることはしなかった。

 今、国立国際美術館についての文章を書いていて、旧館跡がどんなことになっているのか、どうしても知りたくなってきた。取り壊されるらしいとは聞いていたが、実際にこの眼でたしかめてみたかった。そのついでに、久々に万博公園内をあちこち探訪し、太陽の塔にもおめもじしてこようかと思ったのである。

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 モノレールの窓から太陽の塔が見えてくる瞬間は、いつもわくわくする。他の記事でも書いたが、まだ小学生だったころにはじめてここを訪れたときのことが、いい大人になった現在でも鮮明に思い出される。大阪万博はぼくが生まれる前の話だし、その後はだだっ広い自然公園になってしまっているが、何か底抜けに楽しいことが今でも待ち受けているような気がしたものだ。実際には塔のなかに入ることもかなわず、少々がっかりして帰路についたものだけれど・・・。

 ちなみに何年か前、応募者のなかから抽選で選ばれた人だけが太陽の塔の内部に入ることができるという企画があった。ぼくももちろん応募したが、待っていたのは非情な落選通知であった。後から知った話では、何でも全国から応募が殺到し、大変な競争率だったということだ。これではまあ落選しても仕方がないが、今でも万博当時の展示物が塔の内側にしっかり残されていることがわかって、妙にほっとしたこともたしかである。

 久しぶりに見る太陽の塔は、やや薄汚れていた。以前一度お色直ししたことがあったと思うが、また汚れはじめていた。木造の五重塔などとはちがって、白塗りだから目立つのだろう。太陽の塔は永久保存されることが決まっているそうだが、重力に反した奇抜なポーズとも相まって、未来永劫にわたって維持するのは大変そうである。

 ふと気がつくと、正面の顔の右目の下に、涙が頬を伝って流れたような跡があった。まるで、塔が泣いているかのようであった。

 高度成長の頂点にあったあの日、この千里丘陵に忽然とあらわれた異形の塔は、夢と希望にみちたイベントのシンボルだった。それから38年もの間、時代の移り変わりをつぶさに見届けてきたはずである。世紀も新しくなり、多くの夢が実現されているはずの今、彼はいったい何を悲しんでいるのだろうか。人々が思い描いた明るい未来像と、現実となった21世紀の日本の姿とが、あまりにもかけ離れていることを?


〔涙を流しているように見える太陽の塔〕


〔背後にある「黒い太陽」はいつも無表情に見える〕


〔万博開催時、さまざまなイベントの舞台となったお祭り広場。「具体美術協会」による野外パフォーマンスもここでおこなわれた。現在はフリーマーケットの会場として使われている〕


〔かつて空を覆っていた大屋根の一部。設計は丹下健三〕

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 美術館はもうないが、ここには万博当時の遺物がまだまだ残されているらしい。この機会に、ちょっと園内を探検してみるのもおもしろそうだ。

 とはいっても如何せん天気がわるく、びゅうびゅうと風が吹きまくり、落ち葉があちこちの地面を目まぐるしく疾走している。公園内の梅林では「梅まつり」の最中で、望遠レンズと三脚を携えたグループが大挙して押し寄せていたが、こんな日にゆっくり観梅という気分にもなれない。

 突然、激しい雨が降ってきた。広い公園にいると、こういうときには本当に困る。傘を差しながらでは、撮影もできない。ぼくは日本庭園のなかにある無料休憩所に逃げ込み、モニターから流れる万博の記録映画をぼんやり見ながら、しばらく雨宿りをすることにした。

 本のなかだけで知っていたパビリオンが、動く映像として眼の前にぞくぞくとあらわれる。未来が、本当に未来だったあのころの記憶が、人々の心のうちにはどれほど残っているものだろう。運転席にモニターのついた新型のトラクターなど、斬新ではあるがどことなくとぼけた発明品が紹介される背後には、BGMとして当時の前衛音楽がずっと流されていた。今みたいに人畜無害なイージーリスニングが幅をきかせている時代からすれば、まさに隔世の感があるといわざるを得ない。大阪万博で長期間にわたるコンサートを開いたシュトックハウゼンも、去年の暮れに世を去ってしまった。新しいものが古くなるのは、何と早いことか!

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 ふと気がついて外を見ると、すでに雨はやんでいて、雲の切れ間から青空さえのぞいている。ぼくは日本庭園のなかを少しぶらついてみることにした。

 茶室があったり、竹林や滝があったりし、散歩するのに退屈はしないが、この時季に花をつけている植物はまだほとんどない。小さな梅林もあるにはあるが、咲いているのは数本だけで、見ごろには遠かった。


〔侘びた茶室のまわりには苔むした庭が広がる〕


〔訪問客を導く飛び石〕


〔南天の赤い実が華やぎを添える〕


〔日本庭園の滝。流れ落ちた水は小川となって園内をめぐり、池へとそそぐ〕


〔ここが大阪とは思えないほど静けさにみちた光景だ〕

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