京都国立博物館(京博)には、赤レンガで有名な本館のほかに、新館というものがある。正式には前者を特別展示館、後者を平常展示館というらしい。
本館のほうは京都を代表する洋風建築のひとつに数えられ、表門などとともに重要文化財に指定されている。それに比べると、新館の建物はいまひとつパッとしないようだ。一見したところ、展示棟というよりも事務所といった感じさえしないでもない。本館にみられるようなうるわしい装飾がなく、無機質でそっけない外観なのである。もっともこれが建てられた昭和40年代初頭には、新しい時代の潮流をしっかりとらえていたのかもしれないけれど・・・。
余談だが、この博物館にはさらに百年記念館と呼ばれる新しい建物が建設される予定であるらしい。設計は谷口吉生で、以前に少し触れた丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の設計者でもある。いったいどんなものができるのか今から楽しみであるが、独立行政法人の理事長で東京国立博物館の館長でもある野崎弘氏は、次のようにいっている。
《平成9年が百周年ということで施設の狭隘化、新館の老朽化などの問題を解決するため、新しい平常展棟を建築しようとするものです。設計など準備は相当程度進んでおりますが、私からは展示空間、管理棟などは、できるだけ固定壁を設けないようにするなど変化に対応できるようにするよう指示をしています。変化が激しく、しかもますます予想が困難な時代になることを考えると、現状で最善と思ってもすぐに時代遅れとなることが懸念されるからです。》(「独立行政法人 国立博物館」ウェブサイトより)
この文章をやや意地の悪い仕方で援用すると、今ある京博の新館は“現状で最善と思ってもすぐに時代遅れとなってしまった”ということなのかもしれない。・・・ともあれ、ぼくは本館で特別展を観たおりにも、新館には立ち寄らずにさっさと帰ってしまうのが常だった。実際のところ、11もの部屋からなる本館の展示を熱心に観たあとでは、さらに16のセクションからなる新館をじっくり鑑賞する気力など、ほとんど残っていないというのが正直なところでもある。
*
さて何年前のことだったか忘れたが、気が向いたので初めて新館に立ち寄ってみた。そこにはいったい何が展示されているのか、何の予備知識もないままにぶらりと入ってみたのである。絵画を陳列している薄暗いフロアに入っていくと、なぜか観客はひとりもおらず、しんとしていた。だが、教科書でいやというほどお目にかかった源頼朝の肖像画がさりげなくかけられているのに気づいたとき、ぼくは本当に仰天してしまったのだった。
なるほど平常展示館とは要するにこういうところなのか、とそのとき思ったものだ。よそへ貸し出すと人垣ができかねない国宝クラスの名品であっても、ここでなら誰に気兼ねすることなく、気がすむまで向き合っていることができる ― いつも必ずというわけではないが、少なくともそのチャンスはある ― というわけである。
頼朝像の隣には、これも有名な平重盛の像が並べてかけられていた。これらは正確にいうと京博の所蔵品ではなく、神護寺から寄託されているそうであるが、ぼくはふたつの国宝をこっそり独り占めしているかのような、まことに贅沢なひとときを味わったのであった。
*
京博の本館が開館してから来年で110周年を迎えるのを記念して、大々的な特別展が最近まで開かれていた。ここでは例によって、会期中に展示替えというものをやる(他の博物館ではどうなのか知らないが)。しかし貧乏かつ多忙な一介の勤め人にとっては、2度も足を運ぶのはなかなか困難なことでもある。
いったいいつ出かけたものか、さんざん迷っているうちに、いつの間にか会期の終わりが近づいているのに気づき、あわてふためいて駆け込むはめになった。前期の目玉であった俵屋宗達の『風神雷神図屏風』や雪舟の『天橋立図』は、すでに展示期間を終え、厳重な収蔵庫にお帰りになってしまったらしい。そのかわりに(といっては失礼だが)、頼朝公と重盛公が揃ってお見えになっているという。ぼくは久しぶりに、彼らと再会できることを喜んだ。
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本館のほうは京都を代表する洋風建築のひとつに数えられ、表門などとともに重要文化財に指定されている。それに比べると、新館の建物はいまひとつパッとしないようだ。一見したところ、展示棟というよりも事務所といった感じさえしないでもない。本館にみられるようなうるわしい装飾がなく、無機質でそっけない外観なのである。もっともこれが建てられた昭和40年代初頭には、新しい時代の潮流をしっかりとらえていたのかもしれないけれど・・・。
余談だが、この博物館にはさらに百年記念館と呼ばれる新しい建物が建設される予定であるらしい。設計は谷口吉生で、以前に少し触れた丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の設計者でもある。いったいどんなものができるのか今から楽しみであるが、独立行政法人の理事長で東京国立博物館の館長でもある野崎弘氏は、次のようにいっている。
《平成9年が百周年ということで施設の狭隘化、新館の老朽化などの問題を解決するため、新しい平常展棟を建築しようとするものです。設計など準備は相当程度進んでおりますが、私からは展示空間、管理棟などは、できるだけ固定壁を設けないようにするなど変化に対応できるようにするよう指示をしています。変化が激しく、しかもますます予想が困難な時代になることを考えると、現状で最善と思ってもすぐに時代遅れとなることが懸念されるからです。》(「独立行政法人 国立博物館」ウェブサイトより)
この文章をやや意地の悪い仕方で援用すると、今ある京博の新館は“現状で最善と思ってもすぐに時代遅れとなってしまった”ということなのかもしれない。・・・ともあれ、ぼくは本館で特別展を観たおりにも、新館には立ち寄らずにさっさと帰ってしまうのが常だった。実際のところ、11もの部屋からなる本館の展示を熱心に観たあとでは、さらに16のセクションからなる新館をじっくり鑑賞する気力など、ほとんど残っていないというのが正直なところでもある。
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さて何年前のことだったか忘れたが、気が向いたので初めて新館に立ち寄ってみた。そこにはいったい何が展示されているのか、何の予備知識もないままにぶらりと入ってみたのである。絵画を陳列している薄暗いフロアに入っていくと、なぜか観客はひとりもおらず、しんとしていた。だが、教科書でいやというほどお目にかかった源頼朝の肖像画がさりげなくかけられているのに気づいたとき、ぼくは本当に仰天してしまったのだった。
なるほど平常展示館とは要するにこういうところなのか、とそのとき思ったものだ。よそへ貸し出すと人垣ができかねない国宝クラスの名品であっても、ここでなら誰に気兼ねすることなく、気がすむまで向き合っていることができる ― いつも必ずというわけではないが、少なくともそのチャンスはある ― というわけである。
頼朝像の隣には、これも有名な平重盛の像が並べてかけられていた。これらは正確にいうと京博の所蔵品ではなく、神護寺から寄託されているそうであるが、ぼくはふたつの国宝をこっそり独り占めしているかのような、まことに贅沢なひとときを味わったのであった。
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京博の本館が開館してから来年で110周年を迎えるのを記念して、大々的な特別展が最近まで開かれていた。ここでは例によって、会期中に展示替えというものをやる(他の博物館ではどうなのか知らないが)。しかし貧乏かつ多忙な一介の勤め人にとっては、2度も足を運ぶのはなかなか困難なことでもある。
いったいいつ出かけたものか、さんざん迷っているうちに、いつの間にか会期の終わりが近づいているのに気づき、あわてふためいて駆け込むはめになった。前期の目玉であった俵屋宗達の『風神雷神図屏風』や雪舟の『天橋立図』は、すでに展示期間を終え、厳重な収蔵庫にお帰りになってしまったらしい。そのかわりに(といっては失礼だが)、頼朝公と重盛公が揃ってお見えになっているという。ぼくは久しぶりに、彼らと再会できることを喜んだ。
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テツ様の感想がとても待ち遠しかったのです。うれしいな♪
>今ある京博の新館は“現状で最善と思ってもすぐに時代遅れとなってしまった”ということなのかもしれない
今現在の建築物も結局はそうですね。
戦後の建築には「思想」はあっても未来を見通す目が不足していたように思います。
そして今デキのブツは作り手の自己満足が多く、使う側のことを考えていないようです。
そんなふうにおっしゃられると、何だか恐縮してしまいますね。
展覧会は毎週欠かさず観ているのですが、思うように言葉にできず、自分に嫌気がさすこともしばしばです。構想だけはたくさんたまっているのですが・・・。
とりあえず、マイペースで頑張ります。