てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

川合玉堂の自然観(1)

2007年04月30日 | 美術随想


 大阪で久しぶりに川合玉堂の展覧会を観た。

 実は3月のはじめ、「雪なき冬を送る ― 日本の冬景色選 ― (4)」の記事の中で、ややフライングぎみに玉堂の『宿雪』という絵を取り上げていたのだが、そのときはこの展覧会のことは知らなかった。だがぼくにとって玉堂は、この国の四季が移り変わるたびに必ず思い起こされる画家のひとりである。不気味なほど暖かい冬がようやく終わりを告げようというときに、ぼくが玉堂の描いた雪景色に託して思いを書き連ねたくなったのも、ごく自然ななりゆきであったろう。玉堂の絵の中には、今は失われかけた正真正銘の冬の姿があったのだ。

 特に熱狂的なファンだというわけではないが、まるで通奏低音のように、玉堂の絵はぼくの心の中でつねに鳴り響いている気がする。でも、ぼくがそんなふうに玉堂のことを意識するようになったのは、わりと最近のことかもしれない。玉堂の大きな展覧会は、かなり以前に2度ほど観た記憶があるのだが、ぼくはむしろ他の雑多な画家の絵に混じって玉堂が展示されているのに出くわすたび、彼の絵がもつ独特な個性に気づいていったように思う。

 今、個性といった。たしかに川合玉堂の絵には、他の日本画にはない個性的な何かがある。ありふれた民家や山の風景であっても、彼の絵に繰り返し登場する水車や、あるいは鵜飼の情景であっても、そこからは玉堂にしかないものがただよってきて、ぼくを惹きつける。

 だが、いったい他の画家とどこがちがうのだろう? ぼくはそれが知りたくてたまらないのだった。

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 『焚火』(上図)は、初期の玉堂を代表する一枚だと思う。とはいっても、彼はもう30歳を迎えていたが、それから半世紀以上もつづく彼の画業からすると、まだまだ若描きの部類なのかもしれない。

 以前に観た玉堂展で、ぼくはこの絵に魅了された覚えがあった。そのときはまだ日本画にのめり込む前のことで、川合玉堂という画家に対してさほどの関心ももっていなかったが、なぜかこの絵だけは眼に焼きつき、いつまでも ― それこそ焚火のように ― ぼくの中にくすぶりつづけていたのである。

 今になって改めてこの絵の前に立ってみると、ぼくが親しんできた玉堂の画風とはあまりにも異なっているのに驚かされた。人物をこれだけ大きく描くこと自体が、彼には珍しいのではなかろうか。玉堂といえば、大いなる自然の中に豆粒のような人物が点在する風景画が真っ先に思い浮かぶのだ。

 ちがうのは、それだけではない。画面の手前に散り敷いた落ち葉の表現に、ぼくは奇妙なリアリティを感じたのである。かつて日本画のイロハもよく知らなかったぼくが、この絵に非常に惹きつけられたのは、まるで一枚一枚拾い上げることができそうなほど写実的に描き出された落ち葉のせいだったような気もする。葉っぱがこすれるカサカサという音まで聞こえてきそうなほどだ。だが、このような描写はのちの玉堂の絵にはあまりみられない。

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 絵の上半分に眼を転じてみると、こちらは一転して薄墨をぼかしたような模糊とした表現である。もちろん煙にかすんだ木々をあらわしているのだが、写実的な地面との対照がいちじるしく、これだけのものをひとつの画布の中に描き入れるのはかなりの冒険だったのではないかと思わざるを得ない。

 それに加えて、焚火の向こう側に描かれた農婦は、煙の直撃をよけようと大きく上体を傾けている。一歩まちがえば全体のバランスが崩壊しかねない、あやうい構図である。玉堂はそれを避けるため、周到に考えをめぐらせたにちがいない。

 肩を寄せ合って座るふたりの農民の向こうには、頑丈な大木が描かれている。画面のいちばん手前にも、それと同じようなタッチのやや細い木が、絵の右端をかすめるように伸びている。それら2本の木が、焚火の周りに座る人々をがっちりと取り囲むことで、この絵はようやく安定しているのではなかろうか。

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 ぼくがくどくどと構図のことを書いてきたのは、そこにこそ玉堂の絵の秘密があるのではないか、とにらんでいるからである。彼はただ、日本の豊かな自然の風物を描写しただけではない。そこには知的な構成力が働いているように思われるのだ。

 玉堂自身、次のような言葉を残している。

 《日本画の特徴は(略)自然を日本画風に加工するところにある。この条件があるので、日本画の美しさは存在する。日本画は思ふままに自然を組立て、またそれを改廃することによつて特別の味が出る。故に日本画をよくかくことは、自然をよく組立てるといふことにもなる。》(『和洋絵画描写法』川合玉堂・藤島武二)

 彼は日本の自然を愛し、よく観察し、さらにそれを巧みに“組立てる”名手だったのだろう。

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2 コメント

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TB多謝 (とら)
2007-05-22 08:29:42
当方からもTBします。
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ありがとうございます (テツ)
2007-05-22 14:40:06
今後ともよろしくお願いします。
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