てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

続・ぶらり、和歌山(2)

2016年05月10日 | 美術随想

〔「村井正誠展」の看板〕

 世間の人は、抽象絵画というとまず何を連想するのだろう。ジャクソン・ポロックのように偶然性を孕んだものか、カンディンスキーのように精密な、念入りに設計された世界か、あるいはミロやクレーのように天真爛漫な、幼児画を連想させる作品か・・・。

 思うに、村井正誠の絵はそのいずれにも属さない。彼は20代のころヨーロッパに渡り、モンドリアンに影響を受けたという。そのムラのない彩色の仕方は、たしかにモンドリアンを連想させるが、ロシアのマレーヴィチに似ているような気もする。しかし描かれている形態は、それほど無機的ではない。

 強引なまとめ方をすれば、平坦な色を塗りわける知的な操作と、何やら人間の情念の深みからにじみ出てくるような曖昧な輪郭が、渾然一体となっているように感じるのである。いいかえれば“人間らしい抽象”とでも呼ぶべきか? そこに村井正誠の息づかいが秘められているといえそうな気もする。

 20世紀の美術にまつわる本を読んでいると、かつては世界中が抽象表現にかぶれた時代があったということがよく書かれている。たしかに、ナントカ主義というのはそういうもので、多くの追随者を生み出すのが常だが、そのうちで後世に残るのはごく一部でしかない。村井は、安易に他人の真似をすることなく、どのようにして抽象に行き着いたのだろう。

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 このたびの展覧会では、なかなか眼にする機会のない村井の初期作品がいくつか展示されていた。その多くは、村井がヨーロッパに滞在していたころに描いた作品である。

 ただ、彼にとっては、自分が異邦人であるという自覚はかなり希薄だったのではないかと思う。どうしてもフランスの風景を描きたくて仕方なくなった佐伯祐三が、二度と日本に戻らない覚悟を決めて海を渡ったのとは対照的に、村井は異文化に出会いながらも、そこを入口にして、絵画というもの全体を改めて問い直そうとしているようだ。

 『パンチュール』と題された連作には、のちの村井の作品によく登場する余白はまったくない。キャンバスをさまざまな色で徹底的に塗りつぶし、その上に淡い光沢を放つ人物の体が点在している。率直にいえば幽霊のようだが、どうやらフランスの壁画などからインスピレーションを得たものらしい。そういった遠回しのモチーフをきっかけにして、彼は自分の画題に切り込んでいこうとした。

 たとえば藤田嗣治が、日本画の筆などを駆使して従来の西洋美術史にない表現を目指したとすれば、村井は狭苦しい国民性のしがらみを突き抜けて、全世界に共通な、普遍的な表現を求めようとしたといえようか。これぞ新時代の絵画だ、という信念とともに・・・。岐阜から和歌山という、いわば日本の辺境で生まれ育ったこの画家は、芸術の中心地・フランスやイタリアを訪れることによって、夾雑物が取り除かれたピュアな造形を手に入れることができたのかもしれない。

 これこそ、抽象画家・村井正誠のはじめの一歩だったのだ。

つづく
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“シンセ”界への架け橋

2016年05月08日 | その他の随想


 冨田勲の訃報が、突然流れた。それはまさに、突然というにふさわしかった。報道によれば、すでに84歳であったということだから、彼がそんなに長い時間を生き抜いていたことに、今さらのように驚かされる。

 彼はいわゆるクラシック音楽の作曲家ではなく、ポップスの作曲家でもなく、テレビや映画から大イベントのための音楽まで数多く手がけた、いわば“何でも屋”であったといえるだろう。しかし今でも一般に広く知られているのは、やはりNHKの「きょうの料理」のテーマ曲であるかもしれない。これはほとんどヤッツケに近い仕事であったそうだが、それがもっとも耳馴染みのある作品になるのだから、人生とはわからないものである。

 同じNHKの「新日本紀行」のテーマも、ぼくが子供のころから慣れ親しんだ音楽だった。改めて聞き直してみると、2拍目に鳴らされる拍子木の音がまことに印象的だが、かつて芥川也寸志が大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマで使ったいわゆる“むち”という打楽器の用法を意識していたのではあるまいか。

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 ただ、「きょうの料理」も「新日本紀行」も、それが冨田の作品であると知ったのはずっと後のことで、その曲ばかりがぼくの脳裏にしみ込んでいたのだった。冨田勲が、人間の姿をしてぼくの前に立ちあらわれたのは、シンセサイザーを駆使したド派手な「サウンドクラウド」と呼ばれる野外コンサートの奏者としてである。

 このときの模様も、かつてテレビで放映されたはずだ。まるで飛行機のコックピットのような、複雑な機材に取り巻かれた狭苦しいスペースに座り、レーザー光線なども導入した巨大なショーを取り仕切るこの男はいったい何者だろう、といった疑問符がぼくの頭に渦巻いた。小学生のころからクラシック好きだったぼくにとって、それは決して心地いいだけの世界ではなく、音楽を楽しむのにこれほどの電力と機械と大勢の人数が必要なのだろうか、と首を傾げたくなったことも事実だ。

 しかし、冨田は機械だけに頼ってはいなかった。たしか、開催地に住む小学生たちを集めて竹笛を作らせ、マーラーの「交響曲第4番」の一節を吹かせていたのを覚えている。自然と人工との境界線を自在に行き来して音楽を作り上げるこの男は、これまで使い古されてきた職業名ではあらわしきれない型破りの人物なのではあるまいか、と思わせられた。

 その後、冨田が演奏したシンセサイザー版「展覧会の絵」のレコードを親戚から借り、繰り返し聴いたことがあった(まだCDが発売されるより前の話だ)。ぼくはやはり、ラヴェルが編曲した色彩的かつ繊細なオーケストレーションのほうが好きだが、機械ひとつでここまで多彩な表現ができるのか、と感心させられる一枚だった。のち、自分でもさまざまな音色の出せるキーボードを買い込んで、多重録音などして楽しむことになろうとは、まったく想像もしていなかった(ちなみに、この趣味はもうやめてしまったけれど)。

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 最近は生活に追いまくられているせいもあって、なかなか音楽に耳を傾ける時間がなく、冨田勲の活動ぶりに接することもなかったが、NHKのBS放送で流れるクラシック番組のテーマ曲が2年前から冨田の曲になり、久しぶりに彼のことを思い起こした。

 トランペットとチェンバロで奏でられるそれは、シンセサイザーで一世を風靡していたころの音色とは程遠く、まさにぼく好みの“クラシック”な、しかしあまり前例のない響きで、ほんの数秒の小品ながら“音楽職人”としての冨田勲の面目躍如たる作品だったように思う。機械に偏らず、かといって自然にのみ固執することなく、最後までジャンルを超えて活動した彼は、真の意味で音楽を楽しんだ人だったのかもしれない。

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 ご冥福をお祈り申し上げます。

(了)

(画像は記事と関係ありません)