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転職してから初の祝日であり、3連休である。年齢のせいか、新しい職場に順応するのがなかなか難しい。先週の月火水と、熱心に祇園祭の宵山にかよったが、今思えば一種の現実逃避だったかもしれない。
この連休も、精力的にあちこち出かけた。少しは家の片付けをして、体も休め、明日への英気を養わなければとも思ったのだが、気がつくと炎天下を帽子もかぶらずほっつき歩いているのである。こんなことをつづけていると、そのうち熱中症でぶっ倒れてしまうのではないかという気もするが、家でじっとしていることができない性分なのだからやむを得ない。
その代わりといっては何だが、最近は眠りが異常に深く、熱帯夜であっても寝苦しいと思うことはない。というより、寝ようと思わなくてもいつの間にか寝てしまっている。音楽を聴きながらゆっくり眠りにつこうと思っても、1曲目が終わらないうちに意識がなくなっている。
こんなわけでブログの更新も途切れがちになっており、書きかけの記事が山積しているが、義務感にさいなまれて自分を追い込むのもどうかと思うので、マイペースで進めることにした。このところ美術に関する記事が減っていることにも気づいているが、夏休みということで大目に見ていただきたい(美術館行脚は、相変わらずつづけている)。
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連休の最終日、酷暑にもかかわらず嵯峨野を散策した。京都を代表する観光地といってもいい嵐山には、ぼくの家から電車で10分足らずで行ける。しかしトロッコ列車に乗ったこともなければ、保津川下りをしたこともなく、奥嵯峨野あたりまで足をのばしたこともあまりない。要するに、知らないところが多すぎるのだ。
嵯峨野は歩いてめぐるか、あるいはレンタサイクルで周遊するか、ふところに余裕のある人は人力車を利用するのもいいかもしれないが、今度ばかりはあまりの暑さのため阪急嵐山駅前からバスに乗った。京都の路線バスは混んでいるので辟易することが多いが、京都駅方面から嵯峨野を目指してくる便はすいていた。生まれてはじめてバスで渡月橋を渡り、多くの観光客たちをあっという間に追い抜いて、嵯峨釈迦堂前というバス停で降りた。とりあえずここを拠点にして、これから先は意を決して歩いてやろうと覚悟を決めていたのである。
釈迦堂というのは、清凉寺のことだ(間違われることが多いが「凉」はサンズイではなくニスイである)。ここにはだいぶ前に一度来たことがあったが、もう8年か9年ぐらいは経っているだろう。たしかそのときは真冬の寒い時季で、名物の「あぶり餅」というのを食べて暖を取ったことを覚えているが、この日は餅をあぶらなくても体がしじゅう太陽にあぶられているせいか、売店には誰もいなかった。渡月橋とか天龍寺あたりの混雑ぶりと比べれば、祝日にもかかわらず清凉寺は閑散として静かだった。
この寺を有名にしているのは、やはり生き身の釈迦を写したという本尊の存在だろう。つまり生前のお釈迦様の姿かたちを忠実に伝える仏像だというのである。何でも37歳のときのお姿で、釈迦みずからが「似ている」とお墨付きを与えたそうだが、その像が中国に伝えられた挙げ句に模刻され、海を渡って清凉寺にもたらされたらしい(本物と模刻が入れ替わって伝来したという話もある)。
生き写しといわれる釈迦の像は広く信仰を集め、数多くの模造品が作られたばかりか、集まった人々が賽銭をばらばらと投げるので、その傷跡が全身に残っているということだ。現在では国宝に指定されているのでそんなことをしたら叱られるけれど、往時の庶民の信心深さをよく伝える話ではある。今では寺院というと生活から隔絶した特別なところだという感じがするが、昔は人々の暮らしと信仰は不可分のものだったのだろう。
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〔清凉寺本堂、いわゆる釈迦堂。釈迦如来はここに安置されている〕
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〔「栴檀瑞像」の扁額。オリジナルの生き身の釈迦像は栴檀の木に刻まれていたという〕
しかしぼくの眼から見ると、本尊の姿はとても生きているようには思えないというのが本当のところだ。釈迦というのはさまざまな伝説に彩られているにしろ実在の人物であるはずだが、生ける人間の息づかいをその像から感じ取ることは不可能といっていい。要するに、リアルではないのである。それに比べると、仁王門の脇に立っている法然上人の石像のほうがはるかに写実的な感じがする。これはいったいどういうことか。
生き身の釈迦を写して作られたという話が、嘘だといっているわけではない。ただ、最初にお像を彫ったインドの仏師たちが、釈迦の姿をありのままの人間のかたちにとどめておくわけがないだろう、という気がするばかりである。現代においても、カリスマと呼ばれる人の素顔が正確に伝えられることは少ないにちがいない。いやそれでこそカリスマなのであり、教祖なのだ。清凉寺の釈迦如来は、仏教徒の熱狂的な信仰心こそをリアルにあらわした姿なのであろう。
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あまり時間がなかったので境内を隈なく拝観することはしなかったが、本堂に上がらせてもらい、裏手にある渡り廊下を通って枯山水の庭園を観た。紅葉の時季ならずいぶん美しいだろうと思ったが、今は褐色の苔が地面を覆っているばかりである。
庫裏には机が並べられた部屋があって、写経の体験ができるようになっていた。ぼくは字がとても下手なので、たとえ手本をなぞるだけでもごめんこうむりたいほうだが、若い男の外国人がきっちりと正座して写経しているのには驚いてしまった。ぼくはすごすごと尻尾を巻いて、本堂へ引き返した。
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〔渡り廊下はかなり古びていて、歩くだけでも大げさに揺れた〕
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〔枯山水庭園。小堀遠州の作庭という〕
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〔板戸に描かれていた猿図〕
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〔渡り廊下から見える弁天堂〕
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〔池に囲まれた忠霊塔〕
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そろそろ仁王門を出ようとすると、扉のところに無粋な鉄骨が組まれており、トタンみたいなもので囲われているのに気がついた。そのとき、ひとつの忌々しいニュースがぼくの脳裏によみがえってきた。昨年の12月、飲酒運転の車が暴走し、あろうことか門の扉に激突したのであった。
あれからもう7か月あまりが経過するが、まだ応急処置がほどこされただけのように見える。歴史的な文化財ゆえ、修理するにもいろいろな問題が付随するのだろう。寺院の顔ともいえる門構えがこれでは、お釈迦様もさぞお怒りにちがいない。そういえば一昨年の暮れには、車が渡月橋の欄干を突き破るという事件もあった。
嵯峨野は開かれた観光地であり、あちこちに点在する仏閣をめぐるのに車は便利かもしれないが、ちょっと数が多すぎるようにも思う(ついでにいえば、タクシーも多すぎる)。パークアンドライドという試みも各地にあるが、そろそろ嵐山への車の乗り入れを規制することも考えたほうがいいのではなかろうか。文化遺産と観光名所が末永く共存するにはどうするべきか、真剣に議論するべきときだろう。
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〔痛々しい姿の仁王門〕
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〔門の脇には法然上人像が立つ〕
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