てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

師走の京都そぞろ歩き(1)

2007年12月27日 | 写真記


 予定がぽっかり空いてしまったある日曜日、ふと思い立って京都国立博物館に出かけた。すでに今年も押し迫り、賢い人は大掃除に手をつけたりするのだろうが、ぼくは物置きのようになった部屋を尻目に、いそいそと出かけてしまう。

 京博に来るのは、1か月ぶりのことだ。先月は、狩野永徳の展覧会を観るために来たのである。この展覧会が多くの入場者を集めていることは知っていたので、なるべく混雑を避けるために有休をとり(繁忙期のさなかとあって上司の困惑ぶりはすごかったが、どうにか許可が下りた)、金曜日の夜間開館を選んでやってきたのだった。

 ただ、このときは仕事のみならず、私生活でも非常にあわただしかった。それというのも、翌日から東京へ一泊旅行する計画を立てていたからである(東京行きのことはまだ全然書けていないが、いずれじっくり書いてみたいと思っている。主な目的はフェルメールを観ることだったが、それ以外にもいろいろ歩きまわった)。京都へ帰ってきたときにはすでに永徳展は終わってしまっているので、この日に観ておくしかなかったのだ。

 夜間ということもあって、10分ほど並んだだけで中に入ることができた。だが過労と寝不足が山積した状態で無理して出てきたので、途中で気分が悪くなり、ベンチに座ってうとうとしていたら、大幅に時間をロスしてしまった。最大の呼びものである国宝『洛中洛外図屏風』(いわゆる上杉本)の前には、閉館直前になっても長い行列ができていて、手を伸ばせば届く距離にありながら、ぼくは観るのをあきらめた。


〔「狩野永徳」展の帰りに撮った博物館の夜景〕

                    ***

 そんな苦い思い出から1か月。この日の博物館は平常展示のみだったので、日曜にもかかわらず閑散としている。本館の入口は閉まっているが、すでに年明けからはじまる次回展の垂れ幕が下がっていて、用意がいい。肌寒い日だったが、庭の噴水の前に座り込んで何やら熱心にスケッチをしている人がいた。

 新館の中へ入る。国宝・重文クラスの名品がごろごろしているにもかかわらず、展示室には四、五人ほどしかいない。永徳の洛中洛外図も、所蔵先の米沢市上杉博物館に展示されているときはこんな感じかもしれない。山形まで出かけていく余裕はないが、せっかく京都までお出まし願ったのに観そこなった以上、それしか方法はないのだろうか? まあ日本国内にあるのだから、そのうちどこかで出くわすこともあるだろう。そう考えることにした。


〔本館上部の浮彫り彫刻〕


〔噴水の前に鎮座する『考える人』〕


〔噴水越しに新館をのぞむ〕

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