〔岡崎公園から見た大文字〕
8月16日の夜、京の盆地を取り囲む山々で順繰りに灯され、そして消えていく五山の送り火は、ひと夏の大きな節目という感じがする。
お盆になっても里帰りもせず、先祖の墓に手を合わせることもしない私は不孝者だというそしりを甘んじて受けるつもりでいるが、実際問題として、そうそう簡単には帰省できない事情もあるのである。しかし、長い夏を無為にだらだらと過ごすのも得策とはいいかねる。海水浴やプールにはまったく出入りせず、花火見物に出かけるのも最近はおっくうになってきた私にとって、京都五山の送り火は家から比較的遠くないうえに、「夏」らしい破天荒さや無軌道ぶりとは縁のない、一年のうちで大晦日に匹敵するほどの厳粛な夜のひとときを送ることのできる大切な日だといえる。
ただ、地元の信心深い人たちのように護摩木を奉納したりしたことはない。その点、私は京都市内に部屋を借りて住まった数年間のうちにも、ついに最後までよそ者で ― あるいは熱心な傍観者で ― あることをやめることはできなかった。京都に思い焦がれる気持ちがある一方で、やすやすとは人の群れにもぐり込めない奇妙な孤立意識が、京都市民としての私の身の上を縦横に揺り動かした。結局、後ろ髪を引かれるような気持ちで大阪へ移り住んでから二度目の夏を迎える。
けれども、今年もやはり送り火を見に出かけずにはいられなかった。かつて無情な残業のために大阪の会社に釘付けにされたときにも、インターネットの中継映像で点火から最後の一灯がかき消えるまで見守っていたほどであるから、私にとって送り火を眺めることは、自分の先祖に礼拝するのと同じぐらいの宗教的体験の一種なのであろうと思わざるを得ない。
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〔2008年、北嵯峨あたりから見た鳥居形〕
本当のことをいえば、今回の送り火見物は断念するつもりでいた。ところが想定外の事情で、16日のうちに岡崎公園の図書館へ本を返しに行かなければならないことになったのだ。
例年のことを思い返してみる。都合よく送り火を見に行く時間がじゅうぶんにあったとしても、その日を平静な気持ちで、心穏やかに過ごしおおせたことはあまりなかったような気がする。火を見ると胸騒ぎがするという性格でもないのだが、なぜか京都の闇を隔ててのぞまれる橙色の炎は、私を物狂おしくさせるのだ。
2年前のことだったか、鳥居形を見ようと思って嵐山まで赴いたが、北嵯峨に潜む広沢池(ひろさわのいけ)というところで灯籠流しがおこなわれているということをぼんやり覚えていたので、道もよくわからないままにずんずんと夜の奥に向かって分け入ったことがあった。案の定道に迷ってしまい、池にたどり着くことはかなわなかったが、人工の光がほとんど届かない田んぼの畦道に立ち尽くして、まるであの世の入口を覗き見るように、眼の前の夜空に信じられない大きさで燃え盛る鳥居形を茫然と眺めていたのは今でも鮮やかな思い出だ。
今年はそこまで深入りする気にはなれず、あくまで安全に、無駄な骨折りをすることなく、如意ヶ嶽の大文字だけを拝んで帰ろうと考えた。というのも図書館のすぐ近く、平安神宮の参道と二条通が交差する四つ辻あたりから大文字をのぞむことができるのを知っていたからである。
つづく