おどろおどろしい絵があった。恐怖映画が苦手な人なら、思わず目をそらしてしまってもおかしくないだろう。かくいうぼくも、ホラーやオカルトのたぐいは大の苦手なはずだが、しかしこの絵にはぐいぐいと惹きつけられた。おぞましい妖怪たちが跋扈し、数知れない裸の人間どもがひしめき合いながら渦を巻いているありさまに、ひたすら見入ってしまったのである。
『地獄のアイネイアス』(上図)、作者はヤーコプ・ファン・スワーネンブルフという画家だ。しかし、ぼくはこの画家のことをまったく知らなかった。家へ帰って調べてみても、詳しいことはほとんどわからない。たしかなことは、彼がライデンに生まれてユトレヒトで没したということ(つまり彼はベルギーよりもオランダの画家というべきだろう)、ブリューゲルやヒエロニムス・ボス(ボッシュ)の影響を受けたらしいこと、ごく若いころのレンブラントに絵の手ほどきをしたということぐらいである。ブリューゲルとレンブラントという、一見あまり関連のないふたりの巨匠が、このスワーネンブルフという画家を介してつながるところが興味深い。
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ここに描かれているのは、古代ローマのウェルギリウスによって書かれた『アエネイス』という叙事詩の一場面だそうである。ただ、ぼくは西洋の古典文学に関して何の素養もないので、絵の内容について詳しく触れることはできない。ひとつだけいえることは、紀元前の古い文献をもとにしながらも、この絵は現代のわれわれにまで激しく訴えかける迫真的な地獄のイメージを達成し得ているということである。画家の想像力というものは、やはりたいしたものだ。
さて何といってもまず眼につくのは、画面の右下であんぐりと口を開けた化け物の巨大な顔だろう。極端に大きな口はトトロを連想させるし ― などといったらアニメファンに怒られるかもしれないが ― 水木しげるが描いた妖怪にもこんなやつがいたような気がする。ブリューゲルの『悪女フリート』(下図、部分、マイヤーファンデアベルヒ美術館蔵)にも大きな口を開けた怪物が登場するが、こちらは建物が化けたもののように見える。その点スワーネンブルフの描いた化け物は、ふにゃふにゃしていて、どことなく間抜けで、愛嬌がある。
だが、この化け物は実際に人間を飲み込んでいるというわけではなく、アイネイアスが冥界を訪れた場面を描き入れるための、一種の額縁の役割を果たしているのかもしれない。というのも、アイネイアスの姿は同じ絵の中にもう一度登場するからだ。まるで幽霊船のような、傾きかけた帆船の上に、おびただしい死者たちを従えて乗り込んでいるのである(日本美術でよくいわれる「異時同図法」だが、何も日本の専売特許というわけではない)。
しかし、死者たちはあとからあとから絶え間なく堕ちてくる。いつ尽きるとも知れない、果てしない渦の流れを見るようだ。まさしく、無間(むげん)地獄だとしかいいようがない。
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ひしめき合う死者たちの凄惨な描写は、ぼくにひとつの絵を思い出させた。大原美術館にある、レオン・フレデリックという画家が描いた『万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん』(上図、部分)という作品である。
もうかなり前のことになるが、はじめてその美術館を訪れたとき、展示室の壁を一面に覆いつくした数え切れないほどの肉体の群がりを観て、ぼくは感動するよりもただただ驚愕した。エル・グレコやゴーギャンなどの名画があるということは前もって知っていたが、この絵についての予備知識は何もなく、文字どおり不意打ちをくらわされたように、なすすべもなく絵の前に棒立ちになってしまったのである。
フレデリックという画家の名前も初耳だったが、そのときは作者名も絵のタイトルも頭に入らず ― 後者は今でも暗記できているかどうか疑わしいけれど ― とにかく圧倒的な迫力だけが脳裏に焼きついた。というのも、7枚のパネルからなるこの作品は、全長が11メートルにもおよぶ途方もない大きさなのである。そこには地獄から天国への復活の物語が展開されていて、何百人という裸の老若男女が描き込まれている。なかでも地獄の場面に描かれたぎゅうぎゅう詰めの死者の描写は、およそ正視するにたえないほどむごたらしいものであった(画像にはあえて別の場面を掲げた)。
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ぼくがこの絵を冷静に鑑賞することができるようになったのは、数年経ったのちに大原美術館を再訪したときのことである。ぼくは悪夢にもう一度向かい合うかのように、覚悟して絵の前に立った。フレデリックの精細を極めた筆は、驚くべき写実性で人間のありのままの姿をとらえていた。あれだけの数の人がいるのに、ひとりひとりに表情があり、個性があり、それぞれのドラマがあるようだった。そして悲惨な地獄の場面ですらも、それが神の愛によって救われるべきものという前提で描かれていることを考えれば、単にまがまがしいだけのものとも思えなかった。
レオン・フレデリックがベルギーの画家だということを認識したのは、おそらくそのときだったろう。19世紀の半ばにブリュッセルに生まれた彼は、世紀の変わり目をまたいで『万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん』を描き継ぎ、25年の歳月をかけて完成させたという。
第二次世界大戦がはじまって間もなく、1940年に彼は没した。あの恐るべき地獄絵図が、現実のものとなってしまう直前のことであった。
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