エゴン・シーレ『自画像』(ウィーン・ミュージアム蔵)
クリムトと生涯にわたって密接な関係にあったのが、エゴン・シーレだ。この画家は最近とみに有名になってきて、日本でも何度か作品が展示され、画集や評伝も出版されるようになっているが、ぼくが子供のころには百科事典にすら名前が載っていなかった。
ずいぶん前に梅田の大丸ミュージアムでシーレ展を観たのが、ぼくの最初のシーレ体験である。なにげなく入ったその会場で、ぼくは途轍もない困惑の底に突き落とされた。当時ぼくはまだ20歳そこそこで、まだ大人の秘められた世界に片足も突っ込んでいないころだったが、決して美しくはない男や女があられもない姿態を晒す絵に激しい衝撃を受けたものだ。しかもそのいくつかがシーレ自身の自画像だと知り、みずからの痩せこけた裸体や苦吟の表情を臆面もなく他人に見せつけるこの画家は何者だろうと訝らずにはいられなかった。
今、世間の多くが無抵抗にシーレを受け入れているように見えるのは、時代の病める部分が彼の芸術に共振しているからだとしか思えない。ということは、現代の日本にもウィーンの前世紀末とシンクロしているところがあるということか。ただそれは、外見だけは綺麗に塗り固められ、一見すると何の不足もなく思えるが、隠れたところでは人間の根源的な苦悩が出口を求めて蠢いているような、いびつな重層性をもっている。
その複雑な構造は、同時代を生きていたクリムトとシーレがまったく異なる表現方法で人間を捉えようとしていたことと通じる。いわば、クリムトによって施された美しい装飾を無残に剥ぎ取ったのが、シーレの絵画だといえるのである。
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エゴン・シーレ『裸婦背面』(ウィーン・ミュージアム蔵)
クリムトはエロスの画家だといわれ、シーレもそのようにいわれる。しかし、ふたりの作品はあまりにもちがう。それがすなわちエロスの二面性だといわれれば、そうなのかもしれない。絶対的な恍惚は、どこかで苦悩と通じ合うのである。
『裸婦背面』は、本来ならばきわめてエロティックなポーズだ。顔が隠されたまま服はずり下げられ、臀部があらわになっている。しかし、描かれているのが本当に女性であることを示す確実な根拠はない(そのみすぼらしい肉付きから、ぼくは最初この人物が男ではないかと疑ったし、実は今でもそう思っている)。
まあ仮に、これが若い女のヌードだとしよう。けれども多感な年ごろの男が観ても、この絵に扇情的なところはまったく感じないだろう。たとえばアングルが描いた裸婦の後ろ姿に比べれば、その差は歴然たるものがある。
参考画像:ドミニク・アングル『ヴァルパンソンの浴女』(ルーヴル美術館蔵)
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クリムトが人間の醜い部分を隠すために金色の装飾で補完するという方便を講じたのだとすれば、それは陶器の欠けたところを漆でつないで金を施す「金接ぎ」とよく似ている。それはそれで新しい風景になり、眼利きたちに重宝されるのだ。しかしそのような良心的処置を一切しなかったのがシーレで、社会的な地位も肩書きも、市民生活を匂わせる背景すら取り去ったところに救いようもなくごろんと投げ出された素裸の人間の姿を描いた。焼物でいえば、“かけら”をありのままに描いてみせたのだ。それは今では流行らなくなった“実存”という言葉を思い出させる。
エロスというこの捉えがたいものに向かって正反対のアプローチをしたのが、クリムトとシーレだった。ふたりは奇しくも同じ年に没したが、彼らが暴いた人間のふたつの局面は、生と死が表裏一体となって複雑に錯綜したわれわれの生きざまを鋭く照らし出しているのである。
(了)
DATA:
「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」
2009年10月24日~12月23日
サントリーミュージアム[天保山]
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謝辞
今年は私生活上のさまざまな変化があり、残念ながら記事を書くのが後回しになってしまいました。展覧会はたくさん観たのですが、そのすべてを書き切れなかったことが心残りです。こんな途切れ途切れのブログでも、1年間読みつづけて下さった方がおられましたら心から感謝申し上げます。来年はもう少し頻繁に更新できるよう頑張りますので、どうかよろしくお願いいたします。
皆さま、よいお年をお迎えください。
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