てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

女神のアンチエイジング ― 中山忠彦の世界 ―

2008年05月05日 | 美術随想

『粧春』(1981年)

 中山忠彦の展覧会に出かけるのは、たしか2度目だ。そうでなくても、中山の新作は「日展」で毎年必ず観ている。彼が所属する「白日会展」で観たこともある。いつになっても、その作風はほとんど変わらない。

 中山のモチーフは一貫して女性であり、なかでも良江夫人の像がその大半を占める。これほど徹底して自分の妻をモデルに描きつづけ、独自の境地に到達した画家を、ぼくは他に知らない。

 今ほど美術に興味をもつ以前の話だが、ある年の暮れに銀行に出かけたとき、「ご自由にお持ち帰りください」と書かれた箱のなかに筒状に巻かれた来年のカレンダーがさしてあった。これは買う手間が省けたと思い、家に持ち帰って広げてみると、めくってもめくっても同じモデルの絵が出てくるので驚いたものだ。思えばそれが、中山絵画と出会った最初であったろうか。描かれていたのはもちろん良江夫人であった。

 画家には息子や娘がいるのか、あるいは孫がいたりはしないのか、そのへんのことは詳しく知らないが、夫人以外の家族は作品にまったく登場しない。良江夫人は画家の妻としてでなく、家族の一員としてでなく、やはりひとりの女性として描かれているのだ、と推測するしかない。ヨーロッパのアンティークドレスをまとった夫人の姿からは、家庭的な要素がいっさい削ぎ落とされている。

 モデルは同じだが、身につけている衣装や背景の家具、壁にかけられたタペストリーの模様などはすべて異なる。典雅なもの、瀟洒なもの、情熱的な深紅で染めあげられたもの、実にさまざまなドレスを良江夫人は着こなしている。しかもなお、それらは画家が実際にコレクションした衣装であるという。小道具や調度品のたぐいも含めて、彼は実際に眼の前にあるものしか描かない。いわば、嘘のつけない画家なのだ。

 もうひとつ特徴的なのは、描かれている夫人の表情である。凛としている。笑顔は決して見せない。その眼光は鋭いが、かすかな母性を秘めているようにも感じられる。芯の通った、日本女性の顔だと思う。ただし着ているものは、時代を百年以上もさかのぼった西洋の華美なドレスだ。けれども中山の手にかかると、それらが何ともいえない独特の調和を生み出すから不思議である。

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『マスク』(1991年)

 中山は基本的に、リアリズムの画家だといって間違いではないだろう。いや、そうであることを自分に課しているといってもいい。だからこそ、着るものから装飾品ひとつにいたるまで、本物にこだわるのである。ありもしないものを想像で描くということを、自分に固く禁じているかのようだ。

 しかし彼はひとつだけ、現実と異なることを描こうとしている。良江夫人が、いつまで経っても年を取らないということである。画家が夫人を描きはじめてから40年余りが経過していて、絵のなかの女性も当然同じ数だけ年齢を重ねているはずだが、絵を観ているかぎりそのようには思えない。もちろん女性として少しずつ成熟し、表情のうえにも確実に年輪が刻まれているのを感じることはできるけれど、ある程度以上に老け込むということはない。

 だがこのたびの展覧会で、昨年ごろに収録されたアトリエでの制作風景のビデオを見て、ぼくは愕然とした。大変失礼ないい方になってしまうことを承知のうえでいうのだが、モデルを務める良江夫人は年相応に老いていた。

 それはむしろ当然なことである。人間とはそういうものである。そしてその老いたモデルが、まるでこれから舞踏会にでも出かけるところだとでもいうような、西洋の豪華なドレスを着てたたずんでいるのだ。実写で見るかぎり、異様な眺めだといわざるを得ない。それを一枚の絵画として、美の調和のとれたリアリズムで描きとめるため、衰えることのない美貌と若さを、画家はいつからかモデルに与えるようになったのだろう。展覧会のタイトルにあるように、“永遠の女神”として描くようになったのだろう。

 写実とは、ただ見たままに写し取ればいいというものでないことを、これほどよく証明している事実もない。

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『花のある部屋』(2004年)

 けれども、とぼくは思う。かつてレンブラントは、老いさらばえた自身の姿を包み隠さず描き出すことで、西洋絵画史上まれに見る深みに到達した。岸田劉生が愛娘を繰り返し描いた麗子像も、年を経るにつれて奇怪ともいえる様相を垣間見せることがあった。若手を代表する写実画家の諏訪敦は、病床のベッドに横たわる父の末期の姿を驚くべき迫真性とともに描いた。入念に練り上げられた美のバランスがもろくも崩れたところに、人間の真実が思いがけず姿をあらわすことがあるのである。

 中山忠彦の絵画は、そういったところとは別の次元に成立している。彼の絵は、彼自身が定めた美の規範にのっとって描かれている。しかし彼があくまで写実に徹する画家である以上、現実の変化を受け入れなければならない日が、いつかくるだろう。“永遠”に変わらないことなど、何ひとつありはしない。

 そしてそのとき、中山の芸術は新しい局面を迎えることになるだろう。生きるということは、いやでも訪れる変化を受け入れつつ、それに応じて展開していくはずのものだからだ。そして中山が、実生活での生涯の伴侶を絵のモデルに定めた以上、その変化は絶対に避けて通れないにちがいないからだ。

(了)


DATA:
 「中山忠彦 永遠の女神展」
 2008年4月23日~5月5日
 京都高島屋グランドホール

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