![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/fc/df2b7878ba9900ee33cd0a6710f4c605.jpg)
前にも一度書いたことがあるが、福井には勝木書店という老舗の本屋がある。今では店舗を関東地方にまで広げているらしいが、ぼくには福井駅前にある本店にかよったことが忘れられない。ビルはすでに老朽化していて、床の上を歩くと妙に凹むように感じられるところもあったし、たしかエスカレーターなどもついていなかったように記憶するが、今でも福井に帰省すると、勝木で本を立ち読みしたり、何冊か購入したりするのがならわしになっている。
だが、その名店にも、時代の波は容赦なく押し寄せる。路面電車の走る道路を挟んだ向かい側には、百貨店の新館ができる際、紀伊國屋書店が入った。福井では恐らく無名に近かった書店だと思われるが、例の新宿に本店がある有名書店のひとつである。今の客層はどちらにどう流れているのか知らないが、勝木vs紀伊國屋、という構図がなりたっているような気もする。
そもそも書店とは、古本屋とちがって、どの店に行っても同じものを、同じ料金で売っているのが前提である。もしその店になくても、簡単に取り寄せることができる。いや、“ネット通販”と呼ばれるものが台頭してきている昨今では、もはや本屋の店舗すら必要としない読者も多いはずである。
けれども、かすかに紙とインクの匂いのする本棚のあいだをうろついた挙げ句、思い切って高価な本をレジに運び、ずしりと重くなった鞄を提げながら帰路につくときの喜びは、何ものにも代えがたいと思う。他人から送り届けられた本など、ぼくは読む気にもならない。本は自分で本屋に出向いて、おびただしい書籍の群れのなかから一冊を選び出し、家に持ち帰ってページをめくるその瞬間こそが、まさに至福のときなのだ。
***
そんな本好きの期待に応えるためでもないだろうが、都会に暮らしていると、新しい書店がオープンする機会にしばしば出くわす。
阪急梅田駅のホーム下の大半を占める広大なフロアをもつ紀伊國屋は、福井から出てきたばかりのぼくにとっては、カルチャーショックともいうべきものだった。世の中にはこんなに本があるのか、という率直な驚きと、これだけの本のなかから誰かに選びとって読んでもらうのは大変だなどと、当時作家を目指していたぼくは思ったものである。しかしこの店も、大阪の本屋では老舗の部類ではなかろうか。
その後は近くにブックファーストや、大阪駅に隣接するブックスタジオなどが続々とできた。さっきも書いたが、同じものを同じ価格で売っているのに、なぜこれだけの店舗が必要なのか? という疑問を覚えたことも一再ではない。もちろん、なかには淘汰されたものもある。梅田に新しい地下街、いわゆるディアモール大阪が完成したときには、たしか三省堂書店が広い売り場を構えていたが、いつの間にか閉店していた。ジュンク堂の梅田ヒルトンプラザ店は、5階と6階の二層を使って展開していたが、今は5階だけに縮少されてしまった。
また、紀伊國屋梅田本店と並ぶ老舗である旭屋書店は、いつかも書いたようにビルごと解体され、今年には営業を再開すると報じられていた。先日梅田に立ち寄った際、その場所に行ってみたのだが、たしかに新しいビルができあがってはいるものの、どこから見ても完全なオフィスビルのようである。ここに、あの昔のような旭屋書店が入居するとは、ちょっと考えにくい。ただ、別に旭屋が復活しなくても、他の店にいけば欲しい本が手に入ってしまうのも事実である。
かつて京都では、梶井基次郎の小説の舞台になったという絶対的な“付加価値”のついた丸善でさえも閉店し、カラオケ屋に姿を変えてしまった。それが時代の流れだ、といわれれば仕方はないが、長年の本の匂いが染みついた書店が姿を消してしまうのは、何ともさびしいことだ。
(了)
(画像は記事と関係ありません)