作家や画家などの経歴を見ていると、「芸術院会員」と書かれていることがある。公募展に出かけると、「日本芸術院賞」などという札が貼られていたりする。しかしこの「芸術院」というのは、そもそも何なのか? これまであまり深く考えたことはなかった。というのも、世俗の底辺(に近いところ)に暮らすぼくにとっては、およそ一生関係ないもののような気がしたからである。
調べてみると、その判断はほとんど間違っていなかった。今年度の「日本芸術院」の概要をしるしたリーフレットによると、その実体は「芸術各分野の優れた芸術家を優遇顕彰するために設けられた我が国最高の栄誉機関」だそうだ。ここに書かれているとおり、対象は13分野に及んでいて、日本画・洋画をはじめ、彫塑や建築、小説や詩歌、洋楽と邦楽(ここではもちろんクラシック音楽と純邦楽のこと)、演劇や舞踊まで網羅する内容となっている(現在のところ映画は含まれていない)。
同じリーフレットには、栄えある「日本芸術院会員名簿」の一覧が載っていた。確かにそうそうたる顔ぶれであるが、なかには作家の丹羽文雄や阪田寛夫といった、今年度に入って亡くなった人の名前もある(この稿を書いている最中、書家の村上三島も鬼籍の人となった)。原則として会員は終身であるそうで、計算してみたわけではないが平均年齢はかなり高いだろう。いちばん若いのがバレエの森下洋子で、唯一の戦後生まれの会員である(といっても50代半ばを過ぎておられるけれども)。
だが、この文章は「日本芸術院」を紹介する目的で書いているのではないし、ましてやその是非を問うようなものではまったくない。肝心なのは、ここには278点もの美術作品が所蔵されていて、しかもそれらが公開される機会は必ずしもじゅうぶんでない、ということである。展覧会でまれに「日本芸術院蔵」と書かれた絵を見かけることがあるが、その程度にすぎないのだ。
東京近辺の人なら、上野公園にある「日本芸術院会館」の展示室を訪れることもできようが(地図によるとJR上野駅の真ん前にあって、アクセス至便なことこの上なく、しかも無料だそうだ)、それすらも不定期の公開だということである。地方にいる人間にとっては、その存在すらあまり知られていないのではないだろうか?
ところが、「日本芸術院」に収蔵されている全63点の日本画のうち60点が、お揃いではるばる神戸の地までやってくるとなれば、これはまたとない機会にちがいない。ぼくは、お国が認めた作品を観たいと思ったわけでは決してなく、日本画を愛する者の端くれとして、そのコレクションをぜひともこの目で観ておきたかったのである。
結論からいえば、予想以上に素晴らしい展覧会だった。というよりも、素晴らしかったのは「日本芸術院」に集められた日本画そのものである、というのが本当のところだろう(所蔵品をごっそり持ってきただけで、展覧会のために作品を選んだわけではないからだ)。そこには日本画の精髄が凝縮されているといっても言い過ぎにはなるまい。しかもその中には、日本画には少々詳しいつもりだったこのぼくですら、一度も目にしたことのない画家の作品も含まれていたのだ。ぼくは自分の思い上がりを恥じると同時に、日本画の層の厚さを感じないわけにいかなかった。
大丸ミュージアムの自動ドアが開いて、まず目に飛び込んできたのは、上村松篁の『樹下幽禽』という絵だった。松篁の生前から(彼は4年前に満98歳で亡くなった)何度となく彼の展覧会に足を運んできたぼくにとって、この絵は確かに見覚えがあった。その長い生涯にわたって、倦まずたゆまず花鳥画を描きつづけてきたこの画家の仕事ぶりは、その愚直さゆえにぼくをうつ。
母の上村松園が人物画家だったのに対して、松篁の絵には人物はほとんど登場しない。そのかわり、多彩な鳥たちが目を楽しませてくれるのだ。ちなみにぼくの父親は「日本野鳥の会」の会員になっているほどバードウォッチングが好きである(会員といっても「芸術院会員」とは比較にならないが)。しかし、ぼくはほとんど鳥類に関心を持ってこなかった。松篁の絵によって初めて、ぼくは鳥たちのしぐさを愛でるということを覚えたのである。止まっている絵なのに、しぐさとは変ではないか、と思われるかもしれないが、彼の絵は実に見事に、鳥たちの一瞬のしぐさをとらえているのだ。
『樹下幽禽』は、そんな松篁が熱帯地方の珍しい鳥に取材した絵である。見るからにふかふかした芝草の上に、まるで真っ赤なハートのような顔をした鳥が立ち、ふと後ろを振り返っている。そこには彼より何倍も小さな小鳥が、精いっぱい翼を羽ばたかせて、今まさに飛び去ろうとしているところだった。きょとんとした鳥の表情が、まことにユーモラスである。鳥に表情があることなども、ぼくは松篁から教わったようなものだ。
少し先へ進むと、今度は松篁の息子である上村淳之の『雁金』という絵があった。こちらは一転して、モノトーンの厳しい画面である。2羽の雁が一列に連なりながら、よどんだ空気を切り裂くように、素晴らしい速度で目の前を横切る。横長の画面と、2羽の翼のリズムが、そう錯覚させるのだろう。これほどスピード感にあふれた花鳥画は、ちょっと例がないのではないか。
淳之はもちろん現役の画家である(この展覧会の後、京都の「創画会展」で彼の新作を観たが、こちらは2羽の鶴が舞う優雅な絵だった)。松篁から淳之に受け継がれた鳥たちへの眼差しは混じりけがなく、その絵にもいっさい虚飾がない。
ぼくはいつかのテレビで見た、最晩年の松篁と淳之とが触れ合う姿を思い出した。淳之の自宅にある巨大な鳥小屋を、大画家松篁は息子の背に負ぶさりながら見物していたのだ。その姿にはやはり、何の虚飾も気取りもなかった。それを見て、ぼくは彼ら親子の絵がますます好きになったのである。
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調べてみると、その判断はほとんど間違っていなかった。今年度の「日本芸術院」の概要をしるしたリーフレットによると、その実体は「芸術各分野の優れた芸術家を優遇顕彰するために設けられた我が国最高の栄誉機関」だそうだ。ここに書かれているとおり、対象は13分野に及んでいて、日本画・洋画をはじめ、彫塑や建築、小説や詩歌、洋楽と邦楽(ここではもちろんクラシック音楽と純邦楽のこと)、演劇や舞踊まで網羅する内容となっている(現在のところ映画は含まれていない)。
同じリーフレットには、栄えある「日本芸術院会員名簿」の一覧が載っていた。確かにそうそうたる顔ぶれであるが、なかには作家の丹羽文雄や阪田寛夫といった、今年度に入って亡くなった人の名前もある(この稿を書いている最中、書家の村上三島も鬼籍の人となった)。原則として会員は終身であるそうで、計算してみたわけではないが平均年齢はかなり高いだろう。いちばん若いのがバレエの森下洋子で、唯一の戦後生まれの会員である(といっても50代半ばを過ぎておられるけれども)。
だが、この文章は「日本芸術院」を紹介する目的で書いているのではないし、ましてやその是非を問うようなものではまったくない。肝心なのは、ここには278点もの美術作品が所蔵されていて、しかもそれらが公開される機会は必ずしもじゅうぶんでない、ということである。展覧会でまれに「日本芸術院蔵」と書かれた絵を見かけることがあるが、その程度にすぎないのだ。
東京近辺の人なら、上野公園にある「日本芸術院会館」の展示室を訪れることもできようが(地図によるとJR上野駅の真ん前にあって、アクセス至便なことこの上なく、しかも無料だそうだ)、それすらも不定期の公開だということである。地方にいる人間にとっては、その存在すらあまり知られていないのではないだろうか?
ところが、「日本芸術院」に収蔵されている全63点の日本画のうち60点が、お揃いではるばる神戸の地までやってくるとなれば、これはまたとない機会にちがいない。ぼくは、お国が認めた作品を観たいと思ったわけでは決してなく、日本画を愛する者の端くれとして、そのコレクションをぜひともこの目で観ておきたかったのである。
結論からいえば、予想以上に素晴らしい展覧会だった。というよりも、素晴らしかったのは「日本芸術院」に集められた日本画そのものである、というのが本当のところだろう(所蔵品をごっそり持ってきただけで、展覧会のために作品を選んだわけではないからだ)。そこには日本画の精髄が凝縮されているといっても言い過ぎにはなるまい。しかもその中には、日本画には少々詳しいつもりだったこのぼくですら、一度も目にしたことのない画家の作品も含まれていたのだ。ぼくは自分の思い上がりを恥じると同時に、日本画の層の厚さを感じないわけにいかなかった。
大丸ミュージアムの自動ドアが開いて、まず目に飛び込んできたのは、上村松篁の『樹下幽禽』という絵だった。松篁の生前から(彼は4年前に満98歳で亡くなった)何度となく彼の展覧会に足を運んできたぼくにとって、この絵は確かに見覚えがあった。その長い生涯にわたって、倦まずたゆまず花鳥画を描きつづけてきたこの画家の仕事ぶりは、その愚直さゆえにぼくをうつ。
母の上村松園が人物画家だったのに対して、松篁の絵には人物はほとんど登場しない。そのかわり、多彩な鳥たちが目を楽しませてくれるのだ。ちなみにぼくの父親は「日本野鳥の会」の会員になっているほどバードウォッチングが好きである(会員といっても「芸術院会員」とは比較にならないが)。しかし、ぼくはほとんど鳥類に関心を持ってこなかった。松篁の絵によって初めて、ぼくは鳥たちのしぐさを愛でるということを覚えたのである。止まっている絵なのに、しぐさとは変ではないか、と思われるかもしれないが、彼の絵は実に見事に、鳥たちの一瞬のしぐさをとらえているのだ。
『樹下幽禽』は、そんな松篁が熱帯地方の珍しい鳥に取材した絵である。見るからにふかふかした芝草の上に、まるで真っ赤なハートのような顔をした鳥が立ち、ふと後ろを振り返っている。そこには彼より何倍も小さな小鳥が、精いっぱい翼を羽ばたかせて、今まさに飛び去ろうとしているところだった。きょとんとした鳥の表情が、まことにユーモラスである。鳥に表情があることなども、ぼくは松篁から教わったようなものだ。
少し先へ進むと、今度は松篁の息子である上村淳之の『雁金』という絵があった。こちらは一転して、モノトーンの厳しい画面である。2羽の雁が一列に連なりながら、よどんだ空気を切り裂くように、素晴らしい速度で目の前を横切る。横長の画面と、2羽の翼のリズムが、そう錯覚させるのだろう。これほどスピード感にあふれた花鳥画は、ちょっと例がないのではないか。
淳之はもちろん現役の画家である(この展覧会の後、京都の「創画会展」で彼の新作を観たが、こちらは2羽の鶴が舞う優雅な絵だった)。松篁から淳之に受け継がれた鳥たちへの眼差しは混じりけがなく、その絵にもいっさい虚飾がない。
ぼくはいつかのテレビで見た、最晩年の松篁と淳之とが触れ合う姿を思い出した。淳之の自宅にある巨大な鳥小屋を、大画家松篁は息子の背に負ぶさりながら見物していたのだ。その姿にはやはり、何の虚飾も気取りもなかった。それを見て、ぼくは彼ら親子の絵がますます好きになったのである。
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TBから飛んできました。
とても細かい記録を書かれていますね!
読むと、見た日のことや作品のひとつひとつを思い出します。
ワタシは招待券をもらってなかったら見てなかったかもしれないんですが、
思いがけず良い展覧会でした。
見に行って良かったです^^
ぼくの拙いブログが、過去の展覧会のことを思い出すきっかけになってくれたのでしたら、うれしいです。
ぼく自身も、こういう文章を書きとめておくことで、展覧会の記憶を少しでも長くとどめておきたいと願っています。
>xwingさん
読み応えがある、といっていただけると、随想冥利(?)に尽きます。ありがとうございます。
ぼくの方はxwingさんと逆で、建築を勉強したいと思っているところです。そのうち、このブログで建築を取り上げられればいいな、と思っています。
その節には、ご教授いただけたら幸いです。
私もいつもこの館の前を素通りしていたのですが、
たまたま入ってみたら、素晴らしい作品が展示してあり
びっくりしてしまいました。
そのときの喜びは、また格別なものがあるような気がしますね。