てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

文化勲章の秋(1)

2008年10月30日 | その他の随想

小澤征爾

 今年も文化勲章受章者・文化功労者の面々が発表された。特に勲章をありがたがるつもりはないが、日本の文化や科学技術の粋をてっとり早く知る一助にはなる。

 ぼくは川端康成がもらった文化勲章を実際に見たことがあるが、橘をかたどった五弁の花が紫の綬の結び目の先に下がっていて、オリンピックのメダルのようにきらびやかなものではない。川端はのちにノーベル賞をもらった際、紋付袴に首から文化勲章をぶら下げたかっこうで授賞式に出席した。晩餐会の席でもやっぱり首に下げていて、スープを飲もうとするたびに皿に当たって邪魔そうだったという。今から思うと、何とも珍妙な姿である。

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 今回発表された8人のなかでは、やっぱり小澤征爾の受賞がぼくにはうれしい。指揮者では朝比奈隆に次いで2人目、西洋音楽関係者では山田耕筰と吉田秀和を入れて4人目だろう。しかし文化勲章の長い歴史からすると、文学者や画家、工芸家、あるいは歌舞伎役者などに比べるとその数ははるかに少ない。

 小澤がスクーターにまたがって単身ヨーロッパに乗り込んでから半世紀近く、ようやく機が熟してきたというか、クラシック音楽も他の芸術と同等の扱いをされるようになってきたと思うと感慨深いものがある。思えば小澤もすでに73歳、最近は病気がちで療養していたりもしたが、まだまだがんばってほしいと思う。

 とはいっても、ぼくは彼の熱烈なファンというわけではない。生演奏に接したのはただの一度、たしか10代の後半ぐらいに、新日本フィルを振ったコンサートでブルックナーの7番を聴いたきりだ。当時はさすがに若すぎてブルックナーの演奏のよしあしなどわかるはずもなく、ぼくはその曲が聴きたいというよりも、小澤の指揮姿が見たいというだけの理由で演奏会に出かけたような気がする。

 だが彼は、日本人のクラシック演奏家として、これまで誰も到達したことのない最前衛に立ちつづけていることは事実だ。朝比奈隆があくまで日本に拠点を据え、自分が設立したオーケストラをじっくり育てながら地道な演奏活動をおこない、次第に名声を世界に轟かせていったのに比べて、小澤はいきなりクラシックの本場で認められ、カラヤンやバーンスタインに指導を受け、現在までずっと欧米のオーケストラや歌劇場のシェフを務めつづけてきた。

 もちろん日本でもしょっちゅう演奏をしていて、今もちょうど日本にいるらしいが、彼が来日するとなぜか凱旋といった感じが付きまとうような気がする。小澤征爾は、逆説的な意味で、西洋と日本との間にある容易に越えがたい壁の存在を象徴する人物でもあるのだろう。

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 それにしても魅力的なのは、フランクな彼の人柄だ。年はとっても、少年みたいな純粋さと率直さに満ちている。そして何といっても眼につくのは、あのライオンのたてがみのような蓬髪である。生まれてこのかた、一度も櫛を入れたことがないのではないかと思えるほどだ。

 おそらく彼のことだから、天皇陛下の御前に出るときにも髪を整えたりはしないだろう。岡本太郎の秘書だった敏子さんは、どんな海外の要人の前に出るときも決して化粧をしなかったそうだが、あふれんばかりの人間的魅力が形式ばったマナーを飛び越えてしまうのである。

 これで、文化勲章を首から下げたまま演奏会でもしてくれたら最高のパフォーマンスなのだが、いくらなんでもそれは無理かな?

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