てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

老境の洋画家たち(1)

2006年06月20日 | 美術随想
序章

 ぼくは当年とって35歳になる。この年齢は、世間一般においてかなり中途半端な年齢だという気がする。そろそろ中年にさしかかっているともいえるが、まだ若年の部分をかなり残してもいる。それではまだまだ若者と呼べるかというと、体力的にも気力的にも、いささかの衰えを自覚せざるを得ない。

 そうかと思うと、この年になってもスポーツ競技で華々しく活躍する人がいたりする(スピードスケートの岡崎朋美選手は、ぼくと半月ほどちがうだけだが、たいしたものだ)。立場的にも、すでに社会的な相当の地位にまでのぼっていて、堂々たる家庭を構えている人もいるし、ぼくのように鳴かず飛ばずで、単身のわびしい暮らしに甘んじている人も少なくないだろう。

 もっとも、ぼくは生まれつき虚弱な体質だったので、第一線で八面六臂の大活躍をやってのけることは困難だったかもしれない。30代なかばにして、ぼくはすでに自分の人生の構えというものが、守りに入ってきているのを感じるのである(といっても守るべきものとて、何もないようなものだが)。そのせいか、希望をもって将来を見晴るかすというよりも、これからの人生をいかにして生きたらいいのか、というようなことに関心が向くようになってきた。例えば人間の“老い”というものについて、ときどき考え込むようにさえなった。

   *

 いくら何でも、35歳で“老い”について考えるのは早すぎるではないか、と人はいうかもしれない。だが、一概にそうともいえないのだ。この4月から、作家の黒井千次がNHKのラジオで「老いるということ」について語る番組を放送しているが(ぼくはラジオを聴くことはサボって、もっぱらテキストを読んでいるだけだが)、今年74歳を迎える黒井は、さすがに“老い”というものについて深い考察を重ねているなあと感心する。

 その番組の中で、黒井は古代ローマのキケローの著書『老年について』を取り上げている。この本そのものをぼくはまだ読んでいないが、黒井によると、政治家のカトー(いわゆる大カトー)が85歳で死ぬ前の年に、30代なかばのふたりの後輩と交わす対話篇の形式をとっているという。紀元前の当時としてはかなりの長寿を生きたカトーが、若い世代に向けて老年の何たるかを説くのである。そしてその若い世代とは、今現在のぼくとちょうど同じくらいの年齢ということになる。

 テキストの中で黒井千次は、この本に描かれたシチュエーションについて次のような説明を加えている。

 《一人の老人が不特定多数の人々を相手に声高に語るのではありません。尊崇の念を持って接する若い世代の求めに応じて話すのですから、聞く耳と語る口とは人格の地平で結ばれているのだ、とも言えましょう。(略)老いとは老人の抱える課題であるとともに、本当はより若い人にとっての宿題でもあることを、三人からなる対話篇の形式全体が表現しているものと思われます。》(「古代ローマの老い」『老いるということ』NHK こころをよむ 2006年4~6月号テキスト)

 さらに彼は重ねて、こうも書いている。

 《老年期だけを取り上げて老いを考えることは出来ないのです。ひとつながりの人生の流れの中でしか老いの本質は掴めない。つまり老年とは、そこまで生きて来た結果として出現するのであり、突然訪れるものではない。としたら、老年に達してから慌てて老年のことを考えても間に合わないわけです。(略)いかに老いるかは、老い始めた人にとってより、むしろ若い人々にとって一層深刻な問題なのです。》(同)

 これを読んだぼくが深くうなずかされたことは、わざわざことわるまでもないであろう。まさに“老い”とは、今のぼく自身にとっても切実な問題だったのである。

   *

 ところが残念なことに、ぼくの身近にカトーはいない。ひとりで暮らしている以上、指南を仰ぐべき古老もいない。ぼくはいつしか“老い”のモデルを、老年に達した画家たちに、そして彼らが描きのこした作品の中に求めていたようだ。思い起こしてみれば、ひとりの画家の生涯をたどる展覧会を観たおりに、人生の最期に到達した画境を前にして深い感銘を受けるのは、“ひとつながりの人生の流れの中”でいかに“老い”が顕現するかをまのあたりにしたからであろう。

 絵画と人生とを切り離して考えることは観る人の自由であるが、画家がみずからの老境とどうやって向き合い、そのときどのような作品を生み出していったかということは、今のぼくにとってこの上なく興味を惹かれる問題なのである。それでは、“老い”のモデルとなるような画家とはいったいどんな画家なのであろうか・・・。

 詳しく調べたわけではないが、日本画家には概して長命の人が多いように思う。小倉遊亀や奥村土牛のように、100歳を超えた人も何人かいる。それに比して洋画家には、ゴッホやスーラのように、日本人なら関根正二や青木繁のように、夭折した人が目につく。これは以前から素朴な謎としてぼくの中に巣食っていた。

   *

 もちろん若くして死んだ日本画家もいるし、天寿をまっとうした洋画家もたくさんいる。だが、かなり以前に何かで「最も寿命の短い職業は詩人だ」という説を聞いたとき、なるほどと思った。同じ短詩の世界でも、歌人や俳人に長生きの人が多いのにひきかえ(石川啄木は例外だが)、詩人の命ははかなく燃え尽きるというイメージがなくもない。

 そうなると、技術の鍛錬と精神修養とが分かちがたく結びついていた感のある往年の日本画家たちに比べて、自由で直感的な(時には破滅的な)感動の発露を旨とした洋画家たちが命を早くすり減らしてしまったのは、むしろ自然なことのようにも感じられてくる。人の命というものは、その表現の仕方いかんによって長くも短くもなるのかもしれない。

 では、90歳を過ぎるまで長く生きた洋画家は、いったい何を描いていたのだろうか? こんな疑問が、ぼくの興味を強くかきたてはじめた。ぼくは絵描きではないので、彼らと同じように生きることはできない。しかし美術をこよなく愛するぼくにとって、人生の大先輩である彼らと“人格の地平”で結ばれたいと願うことは、ぼく自身の人生にとっても決して無意味ではないと思うのである。

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