シプリアン・カツァリス
中村紘子について書いている途中だが、またひとり名ピアニストの生演奏を聴いた。フランス生まれのシプリアン・カツァリスという男である。この人は、かつてNHKの番組でピアノの講師を務めたこともあって、日本でもその名前と風貌はよく知られているのではあるまいか。
出かけたのは、3年前に西宮北口にできたばかりの兵庫県立芸術文化センター(偶然だが、これを書いている今日はちょうどオープン記念日にあたる)。かつて何度か書いたように、このあたりは震災で壊滅的な被害を受け、ぼくも瓦礫のなかを歩いたことがあったのだが、今では見ちがえるような現代都市に再生された。駅の南側に出ると、以前ここにあった阪急西宮スタジアムは取り壊され、線路の高架化も進められていて、いまだに巨大な工事現場といったおもむきである。
3つのホールをもつセンターはかなり複雑な構造で、玄関を入ると安田侃(かん)の抽象彫刻が出迎えてくれた。2階に上がるとシネコンを思わせるようなカウンターがあったりして驚かされる。兵庫県立美術館にあったブールデルの『風の中のベートーヴェン』という彫刻が、最近見かけないと思っていたらここに出向していたらしく、大ホールの入口近くに狛犬のように鎮座ましましていた。
ホールの内部も、これまた驚くべき構造である。壁面は多くの無垢材が貼り合わされていて、でっかい寄木細工のなかにいるみたいだ。ステージの天井も高く、これならオペラの上演にも向いているだろう(事実、ここでは意欲的なオペラ公演がしばしばおこなわれているらしい)。ビロードもなければシャンデリアもない、見た眼は質素な大ホールは、21世紀の新しい劇場のモデルとなり得るような気がした。
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それはさておき、カツァリスである。彼は高名な演奏家だとはいっても、ちょっと癖のある存在で、月並みなレパートリーで満足するような人ではない。何より特筆されるのは、リストがピアノ用に編曲したベートーヴェンの交響曲全集を録音していることである。こんな偉業(?)をなしとげたピアニストは、数えるほどしかいないだろうと思う。だが、編曲ものもここまでくると一種のゲテモノ扱いされる向きもあって、ぼくは一度も聴く機会に恵まれていない。
今回、彼は兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称PACオーケストラ)定期公演のソリストとして登場したわけだが、やはりありきたりなコンチェルトは弾かなかった。リストの「ハンガリー狂詩曲第5番」をバーマイスターという人が、そしてシューベルトの「さすらい人幻想曲」をリストが、それぞれピアノと管弦楽のために編曲したものを取り上げたのだ。つまりどちらもリスト絡みということだが、ひょっとしたら関西における初演になるのではないかと思うぐらい珍しい選曲である。どうせならリストのオリジナルのピアノコンチェルトを弾いてくれたらいいのに、と思ったのはぼくだけではないだろう(特に第1番)。
小柄なカツァリスはにこやかにステージにあらわれ、ふたつの曲をつづけて弾いた。最初の「ハンガリー狂詩曲第5番」については、有名な2番などとは異なり、リスト特有の華麗なピアニズムよりも、ほの暗い哀愁のただよう重厚な曲であった。
次の「さすらい人幻想曲」は、シューベルトのなかでは演奏頻度の高いほうだろうが、ぼくは「即興曲」や「楽興の時」のようなピアノピースのほうが好きである(ソナタは長大すぎて、あまり聴かない)。リストによる編曲版は、要するにピアノがひとりで受け持つ音をオーケストラと分担しているので、音色は多彩になるものの、技巧的なピアニズムはどうしても一歩後退して感じられる。いかにもフランスらしい流麗なピアノの響きは押しつけがましいところがなく、心地よく素直に耳に染みとおってきたが、屈指のヴィルトゥオーゾたるカツァリスの真骨頂を聴いてみたいという思いは、じゅうぶんに満たされないままぼくのなかでふくれ上がっていったのだった。
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演奏は無事、終わった。しかし観客たちは、もっとカツァリスのピアノが聴きたい、といわんばかりに拍手を送る。彼が超絶技巧を駆使したアンコールを披露し、あっといわせてくれることを期待しているのにちがいない。
何度か舞台と袖を行ったり来たりしてもったいぶらせたのち、カツァリスがふたたびピアノに向かって弾きはじめたのは、ショパンの遺作の夜想曲だった。陳腐な表現だが、音が鍵盤の上を玉のように転がり、1000人を超える聴衆がかたずを飲んで耳を傾けるさまは、まるで時間が止まってしまったかのようだ。そしてひとりカツァリスだけが、ショパンの澄んだ音色を櫂にして、われわれを月夜の湖面へいざなうべくピアノを鳴らしているのだった。
最後の余韻が消えていき、静寂がやってきても、誰も拍手をしようとはしない。カツァリスも鍵盤の上にうつむいたまま動こうとしない。そんな沈黙が、10秒ほどもつづいただろうか。ふとわれに返ると、もう待ちきれないとばかりに盛大な拍手がホールを包んだ。感動的な瞬間だった。この日の2日前がショパンの命日だったことをあとで知ったが、カツァリスは何を思ってこの曲を弾いたのだろう。
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後半のプログラムを聴き終えてロビーに出ると、カジュアルなジャケット姿に着替えたカツァリスが、群がるファンにサインをしているところだった。観客がほとんど帰ってしまい、係員が閉館の準備をはじめても、彼はあわてず騒がず写真撮影に応じたりしている。何とまあ気さくな、サービス精神にあふれた名ピアニストだろうか。
またいつか、カツァリスのピアノを聴いてみたいと思った。できれば今度はソロのリサイタルで、彼の妙技を心ゆくまで堪能してみたい。
(了)
DATA:
2008年10月19日
兵庫県立芸術文化センター
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