てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

鉄骨の塔のもとに ― 近代都市パリと芸術家たち ― (1)

2008年11月17日 | 美術随想

ロッペ『エッフェル塔の落雷』(オルセー美術館蔵)

 通勤するサラリーマンや、最新のモードで飾り立てた若者や、制服を着た学生たちなどが絶え間なく行き交い、まさに人々のるつぼと化している阪急梅田駅の改札前に、先ごろまでルノワールの絵の複製が掲げられ、パリの街を紹介しているらしい映像がモニターに映し出されていた。

 毎日梅田を経由して職場にかよっているぼくは、それが展覧会の広告だということを知っていたが、足を止めてしっかり眺めたことは一度もなかった。あんなにたくさんの人が行き来しているというのに、注意を向ける人もほとんどいない。ルノワールの描いた若く美しいパリジェンヌは、誰からもかえりみられることなく虚空を見つめつづけている。都会のど真ん中に放り出された芸術とは、かくも無力なのかと思う。

 その展覧会というのは、先日まで京都で開かれていた「芸術都市パリの100年展」。梅田駅の看板になっていたのは、ニニ・ロペスというモデルである。今回の目玉として、この『ニニ・ロペスの肖像』がはじめてフランスを出たというような触れ込みが書かれていた。

 ところがどういうわけか、ぼくはこの絵の存在をまったく知らなかったのである。ルノワールの名画は数多く、これまで展覧会や画集でたくさん眼にしてきたが、この絵には覚えがなかった。所蔵先のマルロー美術館というのも聞いたことのない名前だったが、あのアンドレ・マルローが設立した美術館だという話である。いずれにせよ、はじめてフランスを離れて日本にやってくるというのがニュースになるほど有名な絵だとは、どうしても思えなかった。

 気になったので調べてみると、これまで東京・広島を経て京都へ巡回してきた同展のなかで、この絵を呼びものにしているのは京都展だけらしい。わが国の人種が「日本初」とか「期間限定」といった宣伝文句に弱いのは周知の事実だが、ニニ・ロペスはまさに「日本に来るのははじめてで、この機会を逃すと次はいつ出会えるかわからない」という、巧妙に仕組まれた“客寄せパンダ”の役を演じるはめになったようなのである。あわれなニニ嬢よ。

                    ***

 その展覧会の会期は文化の日までだったが、ぼくは最終日の午後にようやく空き時間を見つけて会場にすべり込んだ。京都市美術館の中央、2階まで吹き抜けになったフロアにエッフェル塔の土台の部分が再現され、地図の上にはパリ市内のおびただしい美術館のありかが示されている。ルーヴルやオルセーをはじめ、芸術家個人の名を冠した建物もあちこちに点在していて、疑いもなく世界随一の美術のメッカであろう。

 タイトルになっている「100年」というのは、1830年から1930年までのことらしい。展示の特徴として、フランス国内の15の美術館や記念館から集められたさまざまな作品を、作家ごとではなくテーマ別に並べていたことが挙げられる。誰もが知っている有名画家もいれば、はじめて名前を聞くような画家の作品も多い。ジャンルも絵画だけでなく、写真や彫刻にまで及んでいて、かなりバラエティーに富んでいる。ただ、当時のパリで活躍していたはずのモネやモディリアーニ、ゴッホやピカソやマティスは含まれていない。たくさんの作品が一堂に会しているわりには(あるいはそれだからこそ)、展覧会の焦点がいまひとつはっきりしないうらみが残る。

 1889年のエッフェル塔建設をひとつのターニングポイントとして、前後100年にわたるパリ画壇を概観しようとしたのかもしれないが、何しろロマン派から印象派、象徴主義から野獣派までを含む壮大なる1世紀である。日本の美術史では、260年以上にも及ぶ江戸時代を前期・中期・後期の3つにわけてすましているが、近代都市パリの100年間は、それらを全部合わせたものより激しい動きに満ちていたといえるだろう。もちろん革命や戦争があり、君主制から共和制国家へと激しく揺れ動いたわけだが、それを別にしても、西洋近代の“美の規範”が一大転換点を迎えたのがこの時代のパリであったのはたしかである。

 そしてその象徴こそが、今でもパリの空に君臨するエッフェル塔であろう。建設当初は悪評の嵐に見舞われたが、今では誰もが知っている指折りの名建築となっているのはいうまでもない。美術の歴史はごくおおざっぱに眺めると、“醜い”と思われていたものが“美しい”という評価を獲得していく過程だといってもいいが、それを身をもって実証してみせたのが、ほかならぬエッフェル塔だったのである。

 自然主義の作家モーパッサンは、エッフェル塔を蛇蝎(だかつ)のごとく忌み嫌ったことで知られている。ぼくは作家を目指していたころ、短編小説の手本としてモーパッサンを読みあさったものだったが、古くさい権威を批判し揶揄することの好きな彼が新時代の到来を告げるエッフェル塔を認めなかったのは、やや意外な気がしないでもない。モーパッサンは心の奥底では、きたるべき機械文明の勝利を、そして奴隷と化した人間のみじめな敗北を予感していたのかもしれない。

 そんなモーパッサンの盟友のひとりであるエミール・ゾラが撮影した写真も、このたびの展覧会に出品されていたのだから、彼も天国で苦笑していることだろう。

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