ジョルジュ・スーラ『ポール=アン=ベッサンの日曜日』(1888年)
近代絵画に焦点を当てたこの手の展覧会でも、スーラの絵と出会うことのできる可能性は、はなはだ少ないといえる。それはもちろん、スーラ自身が短命だっただけでなく、創作に多大な時間を費やしたことも関係しているにちがいない。おなじ31年の生涯でも、才能のあふれるままに無数の作品を生み出していったシューベルトとは正反対のタイプである。
ただ、なぜスーラが“点描”という手間のかかる手法にこだわったのかという疑問が、ぼくの胸の内から消え去ることはない。もちろん、彼が生きていた時代に光学や色彩の理論が大きく発展を遂げたということもあるだろうし、スーラ本人が理系の頭をもっていたといおうか、あらゆるものを徹底的に実験して少しずつ完成に導くといったたぐいの、科学者にも似た辛抱強さを有していたことも間違いないところだろう。
でも、まだモネやルノワールらも生きていたあの時代に、彼らと同じ風景を眺め、空気の流れを肌で感じながら、それらが一瞬にして真空に閉じ込められてしまったかのような静謐なる世界を描くようになったのはなぜなのか。とりわけ、日の光が変化するたびごとに慌ただしく絵筆を走らせるモネの性急な描写を否定するかのような几帳面な制作方法へと、スーラを突き動かしていったものは何なのか。
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『ポール=アン=ベッサンの日曜日』の舞台となったのは、モネも愛したノルマンディー地方の港だという。たしかに、モネの絵にもよく登場する海と、退屈そうに浮かんでいる何艘かの船、ぼんやりと雲をただよわせた冴えない空がそこにある。マストのてっぺんにたなびく三色旗は、スーラがフランスというお国柄、いうなれば芸術の最先端として隆盛を極めつつあるパリ画壇に誇りを抱いていたことのあらわれかもしれない。あるいは、自分が絵画の未来を背負って立つといったような気概の片鱗でもあろうか。いずれにせよスーラの絵は、何かしら実験的な試みというよりは、堅固な意思に支えられているという感じがする。
ただ、彼の描きかたは、あまりにもモネとはかけ離れている。先ほど“三色旗”と書いたが、厳密にいうと、三色以上の色が使われていることは明らかである。橋の上を歩いている米粒のような人影も、絵の具の先端で描きなぐることをせず、服の色からそのポーズまでしっかりとらえられている。
ここまで細部にわたって、いわば計算ずくで画面を構成していくやりかたは、モネにしてみればまどろっこしくてやりきれない、といったところだろう。モネの絵筆が人知れずとらえていた空気感、むら気なまでに変化する自然の様相といったものは、ここにはない。スーラの絵を眺めていると、その完成度の高さに圧倒される一方で、あまりの精巧さに少し息苦しい思いがすることもたしかなのだ。
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