てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

越年顛末記(1)

2008年01月02日 | 写真記
 新年は奈良の地で迎えた。以前から予定していたことだが、実際には年末のごたごたで年越し準備も何もできず、逃げるように家を飛び出したというほうが正しい。

 年越しそばを食べようと、大晦日の夕方に近鉄奈良駅近くのそば屋に行く。さぞや待たされるのではないかと思っていたら、開店したばかりで誰もおらず、上質の二八そばにすんなりとありつけた。終わりよければすべてよし。何かと心残りの多い2007年だったが、一年の締めくくりは上々の滑り出しだ。

 しかし、調子よくいったのはそこまでだった。

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 しばらくホテルで休んだ後、東大寺の除夜の鐘を突こうと、11時に南大門をくぐる。深夜の奈良ははじめてだが、予想以上にあたりが暗い。降るような星空を何年ぶりかで見た。そして、こごえそうなほど寒い。元日の朝は氷点下まで冷え込むという予報が出ていた。


〔ライトアップされた東大寺南大門〕


〔金剛力士像(吽形)〕

 閉ざされた中門の前に列ができていたので、何も考えずに並んだ。鐘を突くためには整理券が必要ということで、それを受け取るための列かと思っていたのだが、実はそうではなく、大仏殿に参拝しようという人々の列だということが後からわかってきた。

 並びなおすのも癪なので鐘を突くのはあきらめて、門が開くのは今か今かと、篝火の煙にむせながら待ったが、なかなかその気配がない。テレビの「ゆく年くる年」で日本各地の除夜の鐘が中継される時間になっても、東大寺の鐘は聞こえてこない。

 しばらくすると警備の人がメガホンで、開門は新年の零時からだと触れて歩いた。結局2007年は、寒さをこらえてひたすら立っているうちに暮れてしまうのだった。鹿たちが「いったいなにごとか」といったような顔をして、深夜の大行列を遠巻きに見守っていた。

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 やがて、ようやく年が明けた。これまで、新年をこんなに待ち望んだことはなかったかもしれない。並んでいる列のあちこちから、おめでとうという声が聞こえてくる。大仏殿のなかで坊さんたちの読経がはじまり、野外のスピーカーからもその声が響いてきた(ちなみにメーカーは「ボーズ」であった)。少し離れた鐘楼でも、除夜の鐘が突かれはじめた。

 たくさんの人にまじって中門をくぐると、大仏殿の正面に出る。唐破風の下の窓が開けられ、ぼんやりと照らされた大仏のお顔が地上を見下ろしていた。人々の頭の後ろから賽銭を投げ入れ、今年がよい年になるようにと願った。去年はひどい一年だったが、日本一の大仏さんにお願いしたので少しはましになるだろうか。


〔荘厳な威容を誇る奈良の大仏。いつ見てもその大きさに圧倒される〕

 縁起物を買い求める人の群れから離れ、大仏のまわりをゆっくりと一周した。そそり立つ壁のごとき光背のぶ厚さには、いつもながら驚かされる。読経の声は大仏殿いっぱいに充満し、天井から降ってくるかのようだ。いつもは修学旅行生がたくさんいたりして賑やかなことだろうが、この日ばかりはおごそかな祈りにみたされていた。


〔大仏殿内の広目天像〕

 大仏殿を出て、除夜の鐘の聞こえるほうへと石段をのぼっていくと鐘楼があった。見事に反り返った屋根は、夜目に見ても美しい。重々しい梵鐘の音は、遠くまで響き渡っていくというよりも、地の底へと深く沈んでいくような感じがした。正倉院よりも前に作られたという鐘が、気が遠くなるほどの時代の流れを乗り越えて、新しい年の到来を告げているのだった。

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 東大寺を出たその足で、春日大社に向かう。やはり神社でおみくじを引かないことには、正月がきたという気分になれない。

 ここの参道は足場があまりよくないうえに、山麓にあるので坂や石段が多く、夜中に歩くのはちょっと大変だ。道の両脇にはおびただしい燈籠が立っているが、灯りはともされていなくて、電球の光をたどりながら進んでいった。参拝を終えてきた人たちと大勢すれちがう。かなり賑わっていそうな感じである。

 やがて、眼を疑うような大渋滞に行く手を阻まれた。どこまで行っても人の波がつづいていて、神殿らしきものがまったく見えない。しかもその列が遅々として前に進まず、いったいどれぐらい待てば賽銭箱にたどり着けるのか見当もつかないほどだ。

 せっかくここまで歩いてきたが、あきらめて引き返すことにした。年が明けたばかりだというのに、早くも今年最初の挫折であった。

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