てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

季節はめぐりて ― 「院展」の画家たち ― (1)

2007年06月15日 | 美術随想


 先日、京都の百貨店で開かれていた「春の院展」の最終日に滑り込んだ。「院展」というと、京都にはいつも9月から10月にかけて巡回するのが通例になっていて、秋の風物詩のような気がしてしまうほどだが、「春の院展」は3年前からようやく京都でも開かれだしたのだ。

 この展覧会は3月に東京で開幕するそうで、そのときはまさに春たけなわだが、京都にまわってくるのは6月で、すでに「春」というには遅すぎる。その日の京都は真夏日を記録する暑さで、すでに夏といってもよかった。だが巡回スケジュールを見てみると、「春の院展」は9月の中ごろまで全国のどこかしらで開かれているようだ。秋の声を聞くころに「春の院展」を観るという奇妙なことも、ある地方では起こっているわけである。

 それはさておき、画家が春や秋の展覧会に出品したり応募したりするための絵を描くのは、季節でいえばいつごろのことなのだろう。いうまでもないことだが、絵は一朝一夕に描けるものではない。春の情景を描いたからといって、それが春に描かれたとはかぎらないのだ。おそらく画家の心の眼に積み重なった何年もの春の堆積があり、それを掘り出し、磨き上げるようにして、一枚の絵に結晶するのではあるまいか。

 日本画の展覧会は、さまざまな季節の花がいっせいに咲き出す植物園のようなおもむきがある。向日葵の隣に、菊の花があったりする。それどころか春夏秋冬、異なる季節をあえて並べた連作も少なくない。四季の豊かな日本に住む人だけに許された、豪奢な贅沢なのかもしれない。

 ・・・と、こんなことを考えているうちに、いつの間にか近畿地方も梅雨に入ってしまった。日々の暮らしに追われてせかせか生きているうちにも、季節は着実にめぐっている。

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 田渕俊夫『刻』(上図)は、秋の夜の情景を鮮やかに切り取った一枚だ。木々はそよぎ、人家からは灯りが漏れているが、不思議なほど静まりかえった夜。ただ、満月が星空の中をゆっくりと動いていくばかりだ。その神秘的な光で、この世を浄化するかのように・・・。

 季節はたしかに際限なく移りゆくけれど、それを絵の中に封じ込めるのが画家の仕事でもあるだろう。季節を味わうということは、決してとどまることのない変転の中に、いわば永遠に過ぎ去ることのない一瞬を知覚することである。心ある画家はそれを表現するために、幾年もの季節の推移を積み重ね、その本質を掘り下げようとしているにちがいない。

 そしてそのために、同じモチーフの絵を繰り返し描く。田渕は、そんなタイプの画家だと思う。先日も同じ百貨店の画廊で田渕の新作展を観たが、夜空に貼り付けたようなくっきりとした満月が煌々と輝く絵が多くあった。はた目には単調なマンネリズムに映るかもしれないが、画家は描くことによって模索しつつ前進するものである以上、似たような絵が何枚も描かれるのはやむを得ない。ただ、まったく同じではないはずだ。それこそ季節が少しずつ変動するように、どこかが少しずつちがって描かれているにちがいないのである。

 だが、田渕俊夫にはもうひとつの大きな柱がある。その新作展でもっとも人目を惹いていたのは、襖に描かれた巨大な水墨画であった。彼は三十三間堂や京博にほど近い智積院(ちしゃくいん)という寺院に奉納するために60面からなる襖絵に取り組んでいて、そのうちの『朝陽』『夕陽』(各6面ずつ)が公開されていたのである。

 田渕は5年ほど前に福井の永平寺にも襖絵を描いているが、本格的に水墨画に取り組んだのはそのときがはじめてだったというようなことをテレビで見た覚えがある。以来、彼が毎年の「院展」に出品する作品も水墨画になっていったが、それは光の微妙な移ろいを繊細な墨のタッチでとらえた独創的なものだった。このたびの智積院のための奉納画は、その集大成となる作品ではないだろうか。木々に映える光のきらめきを写しとったような『朝陽』『夕陽』を観ながら、ぼくはつくづくそう思わずにはいられなかった。

 そしてその一方で、明確に構築された彩色画も彼は描きつづけていたのだ。ひとりの画家が描いたとはとても信じられない画風の振幅、その間口の広さには驚かざるを得ない。田渕俊夫の絵画世界がこれからどんな深まりを見せるのか、60面の襖絵の完成ともども、まことに楽しみである。

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 満月というと、平山郁夫の『朧月夜 ブルーモスク イスタンブール』(上図)も印象深かった。こちらは田渕俊夫が描いたようなくっきりと際立つ月ではなく、夜空にぼんやりと溶け出すような月である。朧月夜というと、俳句の世界では春の季語だそうだ。はたしてトルコのイスタンブールに朧月夜があるのかどうか、ぼくには想像がつかないけれど・・・。

 ブルーモスクというのは、会堂の内部が青いタイルで装飾されていることからついた呼び名だそうだが、この絵はまるで建物全体がブルーに染め上げられたようである。このモチーフも、実は平山が繰り返し描きつづけているものだ。これはぼくの勝手な推測だが、彼は公職に忙殺されていて、新しい取材地におもむくことが難しいのかもしれない。いやそれとも、数年前の『平成洛中洛外図』をもって、日本文化の源流をたどる旅はひとまず終息したのかもしれない。

 それにしても、この朧月はあまりに日本的な感じがする。「菜の花畑に 入日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし」・・・「朧月夜」の歌から思い起こされる月そのままである。だが、考えてみれば月は日本だけのものではなく、どこに出る月も同じひとつの月だ。日本の春の宵を物憂げに照らした月が、まわりまわってイスタンブールの夜空にかかっている。われわれの日常を超えた時の流れが、ここにも描かれていたのだった。

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