ベートーヴェンの「第九交響曲」が、好きである。ぼくがクラシック音楽に惹きこまれたのも、10歳のころにテレビで「第九」の演奏を聴いたからだ(指揮は小澤征爾だったと記憶するが、オーケストラはどこか覚えていない)。
それまではクラシックのクの字も知らなかったし、その番組を見ていたのもたまたま父がチャンネルを合わせていたからだったろう。ちなみに父も特にクラシックが好きというわけではなかったが、なぜか「第九」の合唱だけは気に入っていたようである(今では定年になって時間に余裕ができたせいか、クラシックをよく聴いているようだけれど)。
テレビではリハーサル風景が少し流れた後で、全部の楽章が一気に放送されたのだったが、曲が終わるまでの70分あまりのあいだ、ぼくは身動きするのも忘れて、夢中で聴き入っていた。まったく思いがけない、音楽との出会いだった。
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興奮さめやらぬまま、手当たり次第に家のレコード(CDが普及するずっと前の話である)をあさってみると、子供のころに聴いていた「ひらけ!ポンキッキ」の歌のアンソロジーや、誰が買ったのかわからない東京オリンピック開会式の実況録音(!)などに混じって、「運命」と「第九」のLPが出てきた(どちらもカラヤンの指揮だった)。
さらに、大阪万博のドイツ館で買ったらしいベートーヴェン名曲集のようなものも見つかった。万博のあった1970年はこの蓬髪の楽聖が生まれて200年目にあたる年で、それを記念した盤らしかったが、すべてドイツ語表記なのではっきりとはわからなかった(ちなみにぼくが生まれたのはその翌年のことである)。
それからというもの、毎日のようにベートーヴェンのレコードに耳を傾ける日々がつづいた。それだけでは飽き足らず、暇さえあればNHKのFM放送を聴きつづけ、家にあった24冊揃いの大百科事典でクラシックに関する項目を調べ上げ、作曲家の肖像画をノートに描き写すなど、入れ込みようは相当なものだった。音楽の成績はそれまでずっと3だったが、次の学期からは5にはね上がり、最後までそれはつづいた。
そのうち親に無理をいってヴァイオリンを習いだし、子供だけのオーケストラに入団して舞台にも立ったし、学校では全校生徒と多数の父兄の前でクラスの合唱を指揮した。弟の担任の先生からは、ドヴォルザークの8番の録音がほしいと頼まれ、テープにダビングをしたうえに自分で解説を書いて渡したこともある。小学生には珍しいほどのクラシック狂ぶりは、そこらじゅうに知れ渡っていたようだ。
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今でもクラシックが嫌いになったわけではないが、美術にはまってしまってからはすっかり疎遠になった。仕事が忙しくて家にいる時間が短いこともあり、落ち着いてCDを鑑賞する時間はまったくといっていいほどない(家には未聴のCDがたくさん眠っている)。音楽シーンの話題にも鈍感で、新しく台頭してきた演奏家についてはたぶん父のほうが詳しいだろう。何しろ、日本中の話題になったウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの小澤征爾の登板(2002年)も、ぼくは聴いていないのである。
だが年末になり、街中やテレビなどで「第九」のメロディーが流れはじめると、あのころの興奮がよみがえってくるような心地がする。12月には各地で「第九」の演奏会が目白押しだが、毎年どれかひとつを選んでは出かけるようにしている。曲の内容とは無関係なこの“風物詩”が日本特有の現象だということはよく知っているが、逆にいえばそれ以外の時季にはほとんど演奏されないのだから、このタイミングで聴くしか方法がない。
一年の締めくくりにベートーヴェンの最後の交響曲を聴いて終わりたいという気持ちは、何となくわからないでもないが、そこで歌われているシラーの歌詞は日本人にとって非常に難解なものだと思うし、市民合唱団がこぞって「フロイデシェーネルゲッテルフンケン」などと声を揃えているのを見ると、ちょっと違和感を覚えてしまうのもたしかだ。おまけに合唱団は、曲の前半までは舞台裏でスタンバっていることも多く、「第九」を全曲とおして聴く機会を逸しているのは何とももったいないような気がする。
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ともあれ、今年聴いた「第九」の演奏は、いっぷう変わったものであった。詳しいことについては、また明日にでも触れたいと思う。
とりあえずはごあいさつ代わりに・・・
メリー・クリスマス!
〔画像はJR京都駅のイルミネーション〕
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