てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

色彩夢譚 ― 絹谷幸二の神々 ―

2008年10月13日 | 美術随想

『三美神』(1996年)

 絹谷幸二氏には、かつて一度お眼にかかったことがある。といっても、あるデパートのギャラリートークで、20人ほどの観客に混じって遠くから話を聞いただけだけれど。

 それなのに「お眼にかかった」という表現は、いくらなんでもオーバーではないかといわれそうだが、彼の猛禽類のように鋭い眼光は、そこにいるすべての人の心を射抜く力をもっているようだった。一緒にいた平岡靖弘氏の話しぶりが紳士的でソフトで、マイクを通しても聞き取りづらいような小声であったのに比べ、絹谷氏にいったんマイクが渡ると、会場いっぱいにエネルギッシュな大声が反響した。

 彼の姿は以前からテレビで拝見していたが、なるほど芸術家というのは凡人とはちがう強烈なオーラを放っているものだ、と実感したのを覚えている(平岡氏にオーラがないといっているわけではない、念のため)。

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 そんな絹谷幸二の(ここからは敬称を略させていただく)初期から最近作までを並べた展覧会が、京都で開かれていた。

 本当のことをいうと、ぼくは絹谷の作品を好んで観る人間ではない。これまで「両洋の眼」展などでしばしば眼にしてきたし、図書館で画集を借りたこともあったが、あまりしっくりこなかった。というより、彼の作品の前に立つと、妙な気恥ずかしさにとらわれるような気もするのである。

 何よりも、その底抜けの明るさが、ぼくの心情と微妙な不協和音を奏でるのだ。ぼくは概して、ものごとを暗く深刻にとらえがちな人間である。しかし眼もくらむほどの原色で彩られた絹谷の作品は、徹底して楽天的で、生きる喜びに満ちているように感じられる。人生には思い悩むことなど何ひとつなく、絶えざる夢と活力にあふれているのだといわんばかりに、決して曇らぬ太陽のように燦然と輝いて見えるのである。

 このことは、彼が若いころにイタリア留学したことと大いに関係があるだろう。情熱の国、愛の国、歌の国イタリア。もしヨーロッパに行けるチャンスがあるならイタリアよりもまずドイツを訪れてみたいと思っているぼくとは、方向性がかなりくいちがっているのは明らかだ(なお、絹谷はのちにメキシコにも留学している)。

 しかし絹谷は、朗々たるテノールのような輝かしい色彩だけではなくて、イタリア独特の絵画技法も持ち帰った。一種のフレスコ画のようなもので、いったいどのように描いているのかはよく知らないが、そのマチエールは一見して油彩画のそれとはまったく異なり、肌ざわりは(もちろんさわってはいけないが)ざらざらとしてぶ厚いようだ。そしてときには金箔や銀箔がふんだんに使われ、いったいどこの国の絵だかわからないような多国籍的な仕上がりを見せているのである。

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 『三美神』は、彼のもっともスタンダードな作風を代表する一枚だろう。迫力ある大写しの顔に、華麗な色彩。そして女神の口からは、文字がこぼれ出る。翌年に描かれた長野オリンピック公式ポスターも、ほぼ同じモチーフを踏襲して描かれている。

 三美神といえばボッティチェリやルーベンスの絵に代表されるように、裸体または薄絹をまとった3人の女性が舞っている図柄で表されることが多い。けれど絹谷の三美神は、顔だけである。しかも、3人分の顔がひとつに合体している。これを観て、奈良の興福寺にある有名な『阿修羅像』を連想するのはぼくだけではないだろう。


国宝『阿修羅像』(興福寺蔵)

 どうやら、この連想は突飛なものではないらしい。経歴を見てみると、絹谷幸二は奈良の出身で、しかも興福寺のすぐ近くにある老舗の料亭の子であるという。となれば、かなり幼いころから実際に『阿修羅像』を見慣れていたことはじゅうぶんに想像できるのである。

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『蒼穹夢譚』(2000年、日本藝術院蔵)

 湿潤なこの国の風土から生まれた突然変異のような絹谷の絵には、実は伝統的な仏教美術へのオマージュがひそんでいた。それを物語るもうひとつの作品が、『蒼穹夢譚』である。これまでの絹谷の絵とはちがい、深いブルーが画面のほとんどを占めている。そして蒼穹に姿をあらわしたのは、俵屋宗達以降さまざまな画家たちによって繰り返し描かれた風神雷神である(ただし左右の位置関係は逆になっている)。

 地面の上には、ひとりの人間がうつぶせになって倒れている。その体のまわりには3つのモニターが埋まっていて、火山の噴火や潜水艦など不穏な情景を映し出す。人の力ではどうすることもできない天変地異や、あるいは戦争の危機を暗示しているのだろうか、いずれにしても人間の未来が決して明るいだけのものではないことをほのめかしているようだ。

 この絵が20世紀の最後の年に描かれたことも、何だか意味深長である。いくら楽天家の絹谷といえども、時代の変わり目を迎えるにあたって、地球と人類の将来をうらなってみずにはいられなかったのではあるまいか。

 翌年、『蒼穹夢譚』の流れを汲んだ『炎々明王夢譚』を描いているとき、絹谷はアメリカの同時多発テロを知った。新しい世紀もまた、戦争のない世紀とはなり得ないことがはっきりした瞬間である。絹谷はその絵のなかに、炎にかすむニューヨークの摩天楼と、地の底から這い出てくる戦車を描き加えたのだった。

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『炎炎・東大寺修二会(しゅにえ)』(2008年)

 展覧会のなかで圧巻だったのが、祭りをテーマにした連作の数々だ。いずれも大作ぞろいで、しかもほとんどが今年に入ってから描かれた新作である。実際に日本中の祭りを取材し、スケッチを重ねたという。65歳を迎えた画家の、あふれるばかりのエネルギーには頭が下がる。今の日本の元気のなさを見兼ねて、威勢のよい作品を描こうとしたという。

 だが、今年の春の雑誌に載ったインタビューで、彼は「これからゴヤの『黒い絵』みたいな絵でも描こうかな」ともいっている。たしかに最近の絹谷の絵には、イタリアの壁画には決して描かれることのなかったような深い黒があらわれているものもあった。

 人間社会のみならず、地球規模でも曲がり角にさしかかっているといわれる21世紀を、何の不安ももたずに生き抜くのは至難のわざだ。今はまさに、『黒い絵』が描かれ得るべき時代だともいえる。さて絹谷の『黒い絵』は、いったいどんなイメージをわれわれに突きつけてくるのだろうか。楽しみなような、こわいような気がする。

(了)


DATA:
 「絹谷幸二展 情熱の色・歓喜のまなざし」
 2008年9月24日~10月6日
 京都高島屋グランドホール

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