てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

レモンとカマキリ(1)

2016年07月19日 | その他の随想

〔京都の繁華街は祇園祭一色だ〕

 暑苦しいなか、京都へ出かけていく。「季節が都会ではわからないだろうと・・・」と昔の流行歌にあったが、ここでは季節ごとの素晴らしさや大変さを味わう術を知っている。

 ただ、そこは都会だけあって、街はいつの間にか変貌をつづけているのだろう。久々に京阪の祇園四条駅で降りたら、ここはどこかといいたくなるくらい、駅の雰囲気が一変していたので驚いた。まさに浦島太郎のような状態である。改札内のトイレは新しく綺麗になり、コンコースにも木を中心とした心地よい内装が施されているではないか。

 その一方で、三条駅の階段をのぼったところにあった飲食街は、気がつけば営業を終えていた。枯山水の庭園を模した中庭もあり、なかなかいい雰囲気の場所であったが、採算が合わなかったということか、それとも思い切ったリニューアルをはかるのか? 京都には何百年も同じ場所に建っている寺院などがあるかと思えば、たいして老朽化もしていないうちに姿を消してしまう施設も少なくない。

 そういえば、梶井基次郎の小説の舞台ともなった丸善という書店が河原町通から姿を消したのも、今から11年前の話である。マニアをもうならせる品揃えのよさと、上品な店構えが好きであったが、跡地はあろうことかカラオケ屋になってしまい、ぼくにとっては二度と足踏みする場所ではなくなった。以来、ここに本屋が存在したという事実は、ぼくの記憶のなかで抹消されてしまっていたといえる。

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 だが先日、河原町通を歩いていて、丸善が復活していることを知った。調べてみると、去年の8月にはオープンしているということだから、ずいぶん知らずにいたものだ。

 店の場所は、前のところから少し離れた複合施設の地下である。もう何年も前、そこに巨大なCD店があったことをかすかに覚えているが、今は知る人も少ないだろう。その施設が、長期にわたって大規模な改装工事をおこなっていたということすら知らなかった。

 京都に出てくる際、このエリアには何度も接近したことがあったのだが、まことに迂闊であったというしかない。まあ、河原町通の人ごみや喧噪は、ぼくにとって京都でいちばん苦手なスポットではあるのだが・・・。

 とりあえずその建物に入ってみることにしたものの、まるで高級ホテルか、結婚式場かと見紛うような贅沢さで、落ち着かない。いわゆる“京都らしさ”とは無縁である。ただ、外に溢れるバスの騒音や人々の話し声などは瞬時に遮断してしまう密室性をもっているように思われた。

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 エスカレーターをおりていくと、丸善があった。やはり、静かな空間だ。けれども、本より先に眼に入ったのは、ハヤシライスのソースが入った大きな缶である。もちろん売り物。書店とは何の関係もなさそうだが、実はハヤシライスは、丸善の創業者である早矢仕(はやし)氏が作ったという説があって、ぼくは東京駅の近くの丸善にあるカフェで、数年前にハヤシライスを食べたことがあった。

 新店オープンの記念に、それをひと缶買うのもわるくないと思ったが、やはり丸善に来たからには、本を買うのが正解だろう。ぼくはじっくりと書棚を見てまわった挙げ句、他の店ではあまり見かけることのない文庫本を一冊買った。品揃えのよさは、相変わらずであった。

 帰り際に、梶井基次郎にちなんで、レモンを描いたスタンプのようなものが置いてあるのを見つけた。一度は閉店したくせに、ふたたび梶井の小説の力を借りて話題を集めようというのは虫がよすぎるともいえるが、とにもかくにも、新たな丸善の誕生を喜びたい。できれば、今後も末永く営業をつづけてほしいものであるが、こればかりは誰も約束できないであろう。ほんの数ページの「檸檬」という短編小説が、すでに90年余りも読み継がれていることを考えると、ひとつの店舗や企業の生命など、はかないものではないかという気がする。

つづく

夏はどこから(4)

2016年07月08日 | 美術随想

〔美術館裏の庭園を歩く〕

 この美術館から帰る前の習慣として、建物を取り巻く庭園を一周することにしている。今日は暑かったが、天気がいいので、ついふらふらと足が向いた。実は、あまり人と出会うことのない穴場でもある。

 庭のある美術館というと島根の足立美術館が世界的に知られているようだが、遠くの山々や滝まで取り入れたその広大な庭園に比べると、こちらの庭はこぢんまりとしている。周辺にある住宅地や小学校 ― あの村上春樹を輩出した学校だそうだ ― から目隠しをするため、庭のぐるりは壁で囲われているけれど、さまざまな植物といくつかの彫刻作品を眺め、ときに水の流れに耳をなぶらせつつ散策するひとときは、眠っていた五感を眼覚めさせてくれる。


〔途中には水琴窟もある。水を滴らせて響きを楽しむのも一興〕


〔ひっそりと咲くガクアジサイ〕

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 あちこちに石灯籠が見え、和の空間を醸し出そうとしているのかと思いきや、そうでもない。茶室もあるが、外観はとてもモダンだ。園内の随所に、山口牧生(まきお)や元永定正といった現代の彫刻も点在している。署名はないが、かつてこのブログで紹介した、津高和一の彫刻もある。

 自然石にほんのちょっと手を加えたように見える山口の作品は、それこそ間違い探しのように、草むらのなかや木の根もとなど、さりげないところに置かれている。ぼくは山口の展覧会というものを観たことはなく、これまで野外彫刻に接したことがあるだけだが ― たしか芦屋にも、滋賀にもあったはずだ ― こういう場所で展示されたほうが、彼の作風が際立って感じられるのは不思議なことだ。自然を模しながら、自然になり切れない、ささやかな“人工”のかたち。たとえれば、古代の墓や、ストーンヘンジなどと近いものすら感じられる。


〔元永定正の彫刻は草に埋もれている〕

 それとは一変して、カラフルに彩色された元永の彫刻は、明らかな“違和感”として、そこにある。つまりは、まったく不自然なのである。ただ、その奇妙な相性のわるさが、次第に心地よく感じられてくるからおもしろいのだ。

 はるか昔、ぼくが子どものころに「ひらけ!ポンキッキ」という番組で見た、歌の背景に流れる映像を思い出す。そこでは公園のような広場の中央に、ミロの巨大な彫刻が鎮座していて、まるで“公園のヌシ”といったようなおもむきで周囲を睥睨しているのだ。しかし子供たちは、やがてそのミロとも仲よくなり、分け隔てなく遊びはじめるのだろう。まだ幼かったぼくが、真っ先にミロの作品を好きになり、そこを入口にして美術の奥深い世界へはまり込んでいったことを考えてみれば、まことに示唆的である。

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岡本太郎『午後の日』(1967年)

 庭園を一周すると、そこに待っているのが、岡本太郎の有名な『午後の日』である。小学生のころ、ミロ展から数年して太郎のこの作品と出会い、夢中になったことを覚えている。実際には丸っこい顔と、それを支える両手しか作られていないのだが、ぼくには顔の向こうに彼の胴体と、その両足すら見えるような気がする。ついでながら、東京の多磨霊園にある太郎の墓標は、これと同じかたちをしているらしい。ということは、太郎の自画像(自刻像)といってもいいのだろうか。

 この美術館には、意外なことだが、この彫刻のほかにも岡本太郎の作品が収蔵されているようである。何年か前、ふと思い立って所蔵品展に足を運んだところ、太郎のものがいくつかあって、思わず心のなかで歓喜の声を上げた。太郎の絵や彫刻を観ると、まだ理屈ではなく、感性のままに美術を享受していた、かつての楽しかった日々が思い起こされるのだ。

 この日も、岡本太郎に見送られて、美術館の門を出た。例によって暑苦しい外気がすぐに全身を包んだが、そのなかをひとり進むぼくは、たった今生まれ落ちたばかりのように、見るもの聞くものすべてが楽しくて仕方ないのだった。

(了)


DATA:
 「川村悦子展 ― ありふれた季節」
 2016年6月11日~7月31日
 西宮市大谷記念美術館

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夏はどこから(3)

2016年07月06日 | 美術随想

〔「川村悦子展」のチケット〕

 川村悦子には、ひとことでいえば、“蓮を極めて写実的に描く画家”という印象をもっていた。同じモチーフを繰り返し取り上げるのは、現代では当たり前のことだ。そしてまた、まるで写真のような写実絵画というのも、昨今の流行のひとつといえるかもしれない。

 ただ、川村は単に写実的な蓮を描いているわけではない、とぼくは思っていた。近づいて眺めるとわかるが、彼女の作品の絵肌には、細かい傷というのか、引っかいた筋のようなものがたくさんある。古い映画のフィルムを流すと、雨が降っているように無数の線が映る、あんな感じだ。

 川村の絵画にとって、この筋は何を意味するのか・・・。ぼくなりに考えてみたが、本当のところはわからない。ただ、精密な絵画が単なる“写真の模倣”のように思われることへの、ささやかな抵抗なのではあるまいか? という気はする。写実的でありながら、やはり絵画でしか表現できないものをこそ、彼女は探求しているのではなかろうか。

 この日は猛暑だったせいか、冷房の効いた美術館でくつろぐために、意外なほど多くの来館者で賑わっていた。ただ興味深かったのは、彼らが絵の前に立つたびに、まるで言葉を忘れたように黙りこくって、じっと作品と向き合っている姿だった。いや、絵に吸い込まれそうになるのをじっとこらえている、というふうにも見えた。

 ありふれた蓮の群生という題材と、近づきがたいまでに細かく丁寧に再現された画家の技法とがあいまって、絵画ならではの混沌とした世界へ、観る者が絡めとられていく。決して難しい絵ではないのに、さりげなくやり過ごすことができないで、思わず立ち止まってしまう。これこそ、ぼくが理想とする、美術鑑賞のかたちだといっていい。

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 ぼくが知らなかった、比較的初期の作品も展示されていた。どこかの外国の景色を、高い窓から眺め下ろしている構図である。ただ、その窓ガラスは一面に結露していて、一部分だけ手で拭ったような形跡があり、そこからほんのわずかだけ鮮明な風景がのぞく。しかし大半は、曇ったガラスの向こう側に、おぼろに隠されている。

 写実という技法を採用しながら、あえて隔靴掻痒たる、もどかしさを醸し出す表現。これはヘソマガリなようにも思えるが、視覚をキャンバスに定着させるという行為に伴う試行錯誤が、そのままあらわれているともいえる。

 特筆すべきは、曇りガラスの上の水滴の表現だ。まるで画面から盛り上がっているようだと、絵を真横から眺める人が何人かいたが、もちろんそれは平面に描かれているのである。そして蓮を描いた近作では、蓮の葉の上にたまった雫として、絵に潤いを与えている。外の猛暑をほんの少しでも忘れることができたとしたら、それは美術館の空調のおかげというよりも、静謐な川村悦子の絵画世界がもたらしたものだろう。美術とは、こうやって心穏やかに眺めるのが本来の姿だ、と思いたい。

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夏はどこから(2)

2016年07月05日 | 美術随想

〔西宮市大谷記念美術館のエントランス〕

 そしてもうひとつ、欠かせないのが、展覧会だ。ただ、最近はさまざまなメディアに取り上げられることによって話題性ばかりが先行し、柄にもない輩がわんさと集まるケースが増えてきたように思われる。ぼくのような真の美術好きには、憂慮すべき事態だといいたい。

 人気のある画家の展覧会には長蛇の列ができ、入場してからも「立ち止まらないでください」という声に急かされ、おちおち美術鑑賞もしていられないのである。その最たるものが、フェルメールと伊藤若冲ではないかと思うが、ふたりともかつては知る人ぞ知る存在だったといっていい。しかし今や、もっとも来館者を集める“客寄せパンダ”のごとき存在に成り果てていることは、喜ぶべきか否か・・・。

 東京では先日まで、若冲の『動植綵絵』全30幅が一堂に会する展覧会が開かれていたらしい。記憶に新しいところでは、9年前に同様の展覧会が京都の小さな美術館で開かれたことがあり、ぼくもそこに出かけたのだったが、とてもではないけれど“芸術を堪能する”といった雰囲気ではなかった。なかにはラッシュアワー並みの混雑に耐え切れなくなったオバサンもいて、列を誘導する係員を大声で叱りつける始末。人の怒声を聞きながら、どうやって絵を観ろというのだろうか?

 こういったありさまが目立つようになり、最近では「美術館でのマナー」などといったものをホームページにアップする美術館も出てきた。いや、来館者ばかりではない。美術館スタッフの誰かと思われる楽しげな笑い声が、およそ美術と関わりのない低俗なワードとともに控え室から漏れ聞こえてきたりすることもある。ぼくは煩瑣な日常から抜け出して、いわば美術館に束の間の避難を決め込もうとしているのだから、そういった場所を大切にすることも心がけてもらいたいものだ。

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 そんなぼくが、猛暑の到来とともに ― まだ梅雨は明けていないが、気温としてはすでに本格的な夏である ― 出かけたのが、西宮市大谷記念美術館だった。ぼくの記憶に残るかぎり、この美術館で行列に並んだことは一度もない。充実した所蔵品もさることながら、通好みの渋い企画展を開催してくれるのが、ここの魅力であるといえるだろうか。

 かつてはフォンタナや山口長男(たけお)など、他館が敬遠しがちな前衛画家の大回顧展を開いたり、「具体」の作家にスポットライトを当てたりするなど、採算度外視の意欲的な催しを開いてくれた。先年亡くなった元永定正は、2階の展示室の壁に絵の具をぶちまけ、即興で作品を描き上げたこともあった。その一方で、最近とみに人気の高まっている影絵作家の藤城清治の展覧会をはじめて観たのも、この美術館だったように記憶する。

 とにかく、スペースがゆったりしているのがお気に入りだ。かの松竹の創業者のひとりである大谷竹次郎 ― 松竹の「竹」は竹次郎の「竹」からきている ― のコレクションを母体としたここは、さほど広くはない建物に、贅沢なまでの空間を設えた、品格のある展示空間を有している。エントランスの広大な窓からは庭園を望むことができ、いささかの開放感を取り込むことも忘れていない。

 そんな稀有な美術館で開かれていたのは、川村悦子という、今もまだ活躍中の、それこそ知る人ぞ知る画家の展覧会だった。これまで京都の画廊で個展を観たことはあるが、美術館を会場とした大規模な展覧会ははじめてである。蒸し器のなかに閉じ込められたようなむさ苦しい週末のひととき、ぼくの脳内に清廉な風を送り込んでくれるにちがいないと思って、彼女の絵と出会うために足を運んだ。

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夏はどこから(1)

2016年07月04日 | その他の随想


 今年も、何もせぬうちに半分が過ぎてしまった。このままでは、ただいたずらに年を取ってしまうのではないかと不安でならない。すべては、ブログの更新をサボっているぼくの責任であるのだが・・・。

 ときどき地元に帰って甥っ子に会うと、底なしの生命力といったものに圧倒される。皆でどこかへ出かけ、家へ帰ってくるが早いか、彼は一休みする間もなくおもちゃ箱をかき回して遊びはじめる。「疲れた」という言葉を、子どもは知らないらしい。

 それにひきかえ、こちらは仕事から帰ってくると、どうしても体を休めたくなる。晩酌の習慣などがない代わり、すぐ寝転びたくなるのである。考えてみればぼくの父親も、かつては他県から長時間かけて帰ってきていたが、晩ご飯を食べてすぐ横になるようなことはなかった。当時は、毎晩のように放送されるプロ野球が、父の元気のもとであったのだ。

 そんな環境に反発したからか、ぼくは野球をはじめ、ほとんどのスポーツが嫌いなまま育った(大阪在住の人はことごとく阪神ファンだと思われるのは、ぼくのような者には迷惑である)。その結果、体を鍛えていないせいで、疲れやすい、自堕落な中年男ができあがってしまったというわけなのだが・・・。

                    ***

 しかしながら、ぼくは肉体よりも頭を鍛えたい、という願望は昔からあったので、そちらのほうの努力は怠っていないつもりだ。といっても、人から勉強を教わるのは大嫌いである。自分の関心があるものを、自分の力で身につけたいというのが、ぼくの願いだ。

 そのために書かせないのが、読書と、展覧会鑑賞である。流行の最先端を追いかけることなどまったく興味がないし、そんな上っ面のことに躍起になるなど、バカげていると思う。いい年をしたオッサンが電車のなかでスマホのパズルゲームに夢中になっているのを見ると、そんな暇があったら本でも読めばいいのに、といいたくなる。

 読書は、学校では教えてくれなかったさまざまな知識を教えてくれる。特にいわゆるムツカシイ本とか、ハウツー本でなくてもいい。普通の小説であっても、些細な地名であるとか、着物の柄の呼び名であるとか、ごくごく細かい知識が山のようにちりばめられているものだ。

 たとえば先日、福井の実家へ帰って両親と話していたときに、たまたま天橋立の近くにある、船を通すために旋回する橋の話題になった。その流れで、かつて東京に単身赴任していたことのある父が、勝鬨橋の名前を持ち出した。勝鬨橋はもともと、大型の船舶を通すために、ゴッホが描いたアルルの跳ね橋のように中央部分が離れて持ち上がるシステムであったのだ。

 ぼくはすかさず、「勝鬨橋は、今は動いてないじゃん」というようなことをいった。そもそもこの橋は、隅田川に架かる橋なので、福井の人間にはおよそ馴染みがない。ぼくも東京に行ったことはあるが、勝鬨橋を見たことはない。それでもぼくが、この話にすぐ反応できたのは、かつて三島由紀夫の『鏡子の家』を読んだとき、勝鬨橋が電力でじりじりと傾いていく印象的な描写が心に残っていたからだった。

 このように、日々の読書は、時代も土地もかけ離れた知識をもたらしてくれるものだ。これだから、本を読むのはやめられない。いや、やめるべきではないのである。

(画像は記事と関係ありません)

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