てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

再び、現代美術に肩まで浸かる(4)

2018年06月23日 | 美術随想

ドナルド・ジャッド『無題』(1977年)

 ぼくにとって難解な現代アーティストはまだまだいるが、そのなかのひとりが、ドナルド・ジャッドである。しかし、世間でその名前や作風がどれほど認知されているかは分からない。というのも、我々は知らず知らずのうちに、ジャッドの作品世界のなかに暮らしているようなものだからだ。

 ぼくがジャッドの名をはじめて知ったのは、かつてNHKで放映された「夢の美術館 20世紀アート100選」という番組だったような気がする。それまでピカソやミロやシャガールなど、いわゆる20世紀の美術作品について関心がないわけではなかった。ただ、美術の価値を根本から問い直すような前衛的な作品には、一種のアレルギーを抱いていたふしがあって、ジャッドという存在はいつの間にか黙殺していたのであろう。

 その番組で紹介された彼の作品は、どこに所蔵されている何という題名のものか忘れたが、ぼくの興味を惹くことはなかった。一見したところそれは、工業製品の部品にしか見えないのである。鉄とかステンレスとかいう素材を直線的に組み合わせたフォルムは、機械音が響き渡る工場のなかに入っていけばいくらでも眼にすることができるように思われた。

 実際、現代美術が並んでいる展覧会場を歩いていると、部屋の隅に置いてある湿度計か何かの既製品が、不意に出品作のひとつのように見えてくる瞬間がある。それは、かつてマルセル・デュシャンが男性用便器を作品として展示したことの後遺症なのかもしれないが、個人の技術で作られたものイコール美術品とは呼べない何かが、いまだにぼくの脳裏に巣食っているからだろう。

 国立国際美術館に展示されていた『無題』も、そんな作品のひとつなのである。

                    ***

 などと書きながら、それが“作品”と呼ばれることに、ぼくはいまだに抵抗があることを認めないわけにはいかない。

 それというのも、ジャッドは自分の創作物を、自分の手で作ってはいないからだ。おそらくは設計図のようなものを書いて、工場かどこかに発注する。いわば、本当の部品のようにして作られたものらしいのである。

 たとえばウォーホルとかリキテンスタインとかが、その作品をどこまで自分の手で描いたのか、正直なところよく分からない。ぼくもジャッドの既製品のような作品が、ジャッド自身の精巧なテクニックでもって制作されたのなら感心もするけれど、職人に依頼して作ってもらったのなら、もはや“ジャッドの作品”ではないのではないか、といいたくなる。さらに、困難な技術を習得することに日々奮闘している他の芸術家や工芸家からすれば“手抜き”といわれても仕方ないのではないか、と。

 “手抜き”・・・これは、現代美術について語る上でのタブーのようなものだと思う。優れたアーティストは、凡人をはるかに上回る超人的な技術をもっているものだが、現代美術に関しては、そうとも限らない。絵や彫刻がヘタクソでも、他人の手を借りて自作をひねり出し、それが美術館に並べられ、ときには数億で取り引きされてしまうこともある。

 これが健全な状態なのだろうか、ぼくには何ともいえない。


〔野外に置かれたジャッドの『無題』(1984年)は雨で錆びついていた(2013年9月10日、滋賀県立近代美術館で撮影)〕

つづきを読む
この随想を最初から読む

再び、現代美術に肩まで浸かる(3)

2018年06月22日 | 美術随想

バーネット・ニューマン『夜の女王I』(1951年)

 ところで今回、現代美術のことを書こうと思ったきっかけは、先日また国立国際美術館に出向き、全館を使った一大所蔵品展を観たからだ。

 そのタイトルは「視覚芸術百態 19のテーマによる196の作品」というもので、規模からいうと途方もなく大きい。ただ、ぼくは現代美術作品の前ではあまり時間を費やすこともなく、サクサクと次に行ってしまうので、196点の作品といえども、予想よりはるかに早く観終わってしまった。

 だいたい、ぼくは現代美術の前でいかに時間を過ごすべきか、よく分からないのである。通常の(というと語弊があるが)展覧会では、会場の混み具合にもよるけれど、一枚の絵を鑑賞するのに数分かかることも珍しくない。細部に眼を近づけたり、一歩下がって全体を眺めたり、それこそ舐めるように全体を味わっていると、時間の経つのも忘れて作品に没入してしまうことがあるのだ。

 これをぼくなりのいい方で「作品との対話」と呼んでいる。対話といっても実際に言葉に出すわけではなく、作品とこちら側との間に、何らかの双方向的な、命の交流のようなものが現出するのである。これは文学を読むときにも、音楽を聴くときにも同じではないかと思うが、お仕着せのように芸術を受け取るだけではない、前向きな心の動きといったものを感じることができる。

                    ***

 しかしながら、作品に向かって何かを語りかけようとしても、冷たく跳ね返されてしまうことがないわけではない。ああ、歯が立たないな、と思うのはそんなときだ。特に、現代美術のある種の作品にはそういったケースが多いような気がする。

 たとえば、バーネット・ニューマン。『夜の女王I』は観たところ、紺色に塗りつぶされたキャンバスに、白い線が一本入っているきりである。ここから、何を感じ取るか。ぼくなどは正直なところ、首を傾げてしまう。

 バーネット・ニューマンというと、かつてDIC川村記念美術館に『アンナの光』という絵が所蔵されていたことがある。ぼくは実物を観たことがなく、テレビで少し拝見しただけだが、画面のほとんどが赤く塗られただけのシロモノだった。ただその作品は、数年前、100億円余りで売却されたという。

 そういえば某テレビ局で、家の蔵などから出てきたお宝を鑑定してもらう番組があるが、それはプロの鑑定家が虫眼鏡などを使って詳細に観察し、本物か贋作かを見分けるというものである。ときには依頼者がびっくりするような高値がつくこともある。ただ、ニューマンのようなニセモノ作りの容易な(とぼくには思える)作品のどこから100億という価値が出てくるのか、よく理解できないというのが本当のところなのだ。

 もしこの作品を「○○鑑定団」に出品したら、どれぐらいの値段がつくのだろう?

つづきを読む
この随想を最初から読む

再び、現代美術に肩まで浸かる(2)

2018年06月19日 | 美術随想

〔国立新美術館で展示された草間彌生のインスタレーション(2017年4月14日撮影)〕

 ふと思いついたのだが、現代美術には外向きと内向きの相反するベクトルがあるのではないか、と思う。いいかえれば、外交的なものと内向的なものに二分されているのではないかということである。

 たとえば、最近特に人気を集めている草間彌生。今や知らない人はないというほど著名になったこの人物は、ポップな水玉模様やカボチャの造形など、キャッチーな作品で広く認知されているようである。だが、ぼくの知るかぎり、草間の存在が世間で広く認められるようになったのはごく最近のことに過ぎない。

                    ***

 ぼくがはじめて彼女の名を知ったのは、もう30年ほども前の、文芸誌の広告であった。そう、ぼくは草間のことをアーティストとしてではなく、作家として知ったのだ。その著書のタイトルからして(確か『クリストファー男娼窟』だったか?)意味不明で、土偶か何かをあしらったような奇妙な広告は、ぼくに嫌悪感しかもたらさなかった。どうせまた、新進気鋭の若き小説家が、零細出版社の大仰な宣伝工作に乗じて売り出そうとしているかに思われた。

 そのとき以来、草間の存在は忘れていたのだが、ある日、美術館で再びその名前に出くわすことになった。それがどこだったのか、移転前の国立国際美術館だったのか、今となってははっきりしない。ただ、銀色のサツマイモともペニスともつかないものが密集した異様な立体作品は、あの土偶のイラストのついた宣伝広告と相まって、ぼくの頭のなかで理解しがたい謎として膨れ上がっていった。

 何やら、病的なもの。健全な価値観では了解し得ない、不分明なもの。ぼくが草野の芸術作品から受けた最初のイメージは、そんな感じだったのである。実際、草間の精神状態には病的なところがあって、若いころから幻聴や幻覚に悩まされていたらしい。今もって、喋り方も普通とはいえない。彼女は、いわば病苦の“はけ口”を芸術に見出したのである。

                    ***

 ところが、最近よく見る彼女のポップでキャッチーなアートは何なのか。初期の作品に衝撃を受けたことのあるぼくは、いまだにその“健康的”な作品から受ける違和感を解消できないでいる。

 草間自身のドロドロした内面、外界との決定的な齟齬、そこから生み出される呻吟のようなものとして、彼女の芸術表現はあったはずだ。しかし、子供でも喜ぶような原色と明快な造形に裏打ちされた昨今の作品は、草間の知名度を上げる一方で、病める人間の混沌とした分かりにくさから遠く離れてきてしまったのではないか?

 裏を返せば、現代という時代の難解さが、視覚を楽しませる単純なアートの存在を求めるようになってきたのかもしれない。最近の写真でよく見る、赤いウィッグをかぶって水玉の衣装に身を包んだ草間彌生は、文化勲章にまで上り詰めた彼女の到達点というよりも、奇怪な仮装の姿というか、世を忍ぶ仮の姿に見えて仕方がないのである。

つづきを読む
この随想を最初から読む

再び、現代美術に肩まで浸かる(1)

2018年06月14日 | 美術随想

〔EXPO’70パビリオン内部にある大阪万博テーマ館の模型(2016年12月10日撮影)〕

 最近になって、吹田市の万博記念公園にある岡本太郎作『太陽の塔』が注目を集めている。

 というのも、これまで非公開だった塔の内部の「生命の樹」が改修され、48年ぶりに一般公開されているからである。その模様はテレビ番組でも特集され、責任者である平野暁臣氏(岡本太郎の親戚にあたる)は出ずっぱりで、今年の前半を代表するトピックスのひとつを形成していた。

 ぼくも昔は「太陽の塔」が好きで、何度も観に行ったことがある。とはいっても、ぼくが生まれたのは大阪万博のあった翌年なので、テーマ館として機能していた姿は知らない。その後、緑豊かな公園として整備された跡地のなかに佇立する巨大な彫刻のようにして、ひたすら外側から塔を眺めていたにすぎないのだ。まるで、内臓の抜かれた剥製を愛でるかのように・・・。

                    ***

 ただ、最近は万博記念公園へ足を運ぶ機会も少なくなった。何といっても、公園内にあった美術館が移転してしまい、吹田へ行く用事がなくなってしまったことが大きな原因だろう。

 前にも書いたが、その「国立国際美術館」は中之島に移転し、今ではその珍奇な外観にも驚かないぐらい馴染んでしまったが、別の見方をすれば、その観客の少なさに驚かされることもなくはない。今はやりの伊藤若冲とか、フェルメールとかの展覧会なら、数時間待ちの行列も覚悟しなければならないご時世なのに、この美術館では列に並んだ記憶がまったくないのだ。

 それはもちろん、「国立国際美術館」が、現代美術に特化した特殊なコレクションを有する美術館だからである。逆にいえば、現代美術にアレルギーのある人は決してここには来ないだろう。だが、現代美術に理解のある少数(?)の観覧者たちで、果たして運営が成り立つのだろうか、という疑問も捨てがたい。

                    ***

 思い出すのが、何年か前に同館で開かれた工藤哲巳の展覧会のことである。工藤のことは一般的にあまり知られていないのではないかと思うが、熱心な観衆たちでそこそこ賑わっていた。ただ、工藤の作品について自由に語り合うというワークショップのようなイベントがあったのだが、予約なしで自由に参加ができるという割に誰も参加者がいなかったらしく、係員の人が会場内から出てきて「どなたかお越しになりませんか」などと控えめに呼びかけていたものだった。

 たしかに、現代美術は鑑賞することはできても、それについて語るというのは、かなり困難を極めることだという気がする。いうまでもなく、色が綺麗だとか、描写が正確だなどという評価は、現代美術には当てはまらない。では、いったい何について語るべきなのか・・・。それはおそらく、日常生活から遠くかけ離れた、哲学にも似た、何かそんなものだ。

 10年ほど前に、「現代美術に肩まで浸かる ―国立国際美術館私記―」という連載をこのブログ上で書いたが、未完に終わった。久しぶりに同じテーマを引っ張り出して、思いつくままを綴ってみようと思い立ったが、果たしてどうなることか?

つづきを読む