てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

雪に惹かれて二条城

2008年01月25日 | 写真記
 前の日の晩に家を出るときから、すでに小雪がちらついていた。

 翌朝、夜勤帰りの電車が京都にだんだん近づいてくると、沿線の屋根が何やら白く薄化粧しているのが見える。ぼくは矢も盾もたまらずに、家に帰るのは後回しにして、二条城へ出かけることにした。住宅の屋根などではなく、もっと風情のあるところに、けがれのない新雪が積もっているのが見たかったのだ。

 地下鉄の出口を出ると、さっきまでやんでいた雪がまた降りはじめていた。でも、みるみる積もっていくというほどではなくて、コートにぶつかった雪のかけらはすぐに小さな雫となった。傘を差している人よりも差していない人のほうが多い。

 いつもは観光バスがひしめき、修学旅行生で賑わう二条城の門前も、このときばかりは閑散としている。入城券を買って入口へ向かうと、女性が滑り止めの凹凸のびっしりついた手袋を差し出し、もぎってくれた。


〔二条城東大手門〕


〔唐門の装飾は精緻かつ躍動的だ〕

 だが、ぼくが期待していたほど雪は積もっていなかった。屋根の上はかなり白く染まっていて、時おり雲の切れ間から射し込む日の光を受けてきらめくこともあったが、地面に雪はすでになく、ぬかるんでいるところが多かった。

 残業などしている間に、すっかり融けてしまったのだろう。新しい雪を踏むときの新鮮な、そしてちょっと後ろめたくないでもない奇妙な感触を期待していたぼくは、おあずけを食わされてしまった。


〔二の丸庭園には少しだけ雪が融け残っていた〕


〔蘇鉄を寒さから守る「こも巻き」。まるで現代アートのようだ〕


〔本丸庭園のずっしりとした石燈籠〕

                    ***

 さて、二条城をくまなく散策するにはあまり時間もないし、それに寒い。雪とも霧雨ともつかないものが降ったりやんだりしているし、足場もわるい。

 そこで、城内の一画に最近できた「展示・収蔵館」のなかへ入ってみることにした。実はこの日まで、狩野探幽の作と伝わる障壁画『松鷹図』(下図、部分)が公開されていて、そのことがずっと頭にあったのだが、わざわざ出かけようという気は起こらなかった。今日はうまい具合に、雪に誘い出されたかっこうだ。



 二の丸御殿には見事な障壁画がたくさんあるが、オリジナルを恒久的に保存するために実際の御殿の壁はレプリカに差し替え、本物は定期的にここで公開されることになっているという。ぼくは二条城に来たことは何度もあるが、この建物に足を踏み入れるのははじめてだった。

 中へ入ってみて、驚いた。展示室の三方を大きなガラスが取り囲み、その向こうに何面もの襖絵がずらりと並んでいる。そしていうまでもなく、それらは全部集まってひとつの大きな空間を作り上げているのだ。まるで御殿の中の一間に紛れ込み、たちまち豪華な襖に取り囲まれて、行き場を失ってしまったような感じさえする。

 『松鷹図』の実物を間近で観るのははじめてだが、その雄渾な表現に圧倒された。ふた抱えもありそうな松の巨木が、ボリューム感もそのままに壁に描かれている。見事な枝ぶりは部屋の長押(なげし)を飛び越して、見上げるほどの高さまで聳えている。

                    ***

 狩野探幽は、桃山時代の代表的絵師・狩野永徳の孫にあたる人物である。そのためか、『松鷹図』には桃山文化の特徴がよくあらわれていると書かれていたが、たしかに金箔を貼りめぐらせた派手な下地に堂々たる松が何本も描かれているところは、桃山時代の障壁画と変わらない。

 だが眺めているうち、松葉の繁みが徐々にこちらへ迫ってくるような錯覚を覚えた。真綿のようにふんわりと描かれた松葉が、襖から抜け出してこんもりと盛り上がっているかのようであった。

 この絵は、平面に束縛されていない。壁面の装飾ということに満ち足りていない。むしろ、隙あらばそこから飛び出そうとするかのようだ。それが新しい江戸文化の息吹のあらわれなのかもしれない、とぼくは考えた。

(了)


DATA:
 「新春特別展」
 2008年1月5日~1月25日
 元離宮二条城内「築城400年記念 展示・収蔵館」

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