彦四郎の中国生活

中国滞在記

講義「日本近現代文学」❺太宰を読む「人間への信頼と不信のハザマで生きる」学生たちの思い―

2017-01-23 13:41:21 | 滞在記

7、「なかなか『きっかけ』を捉えられなくて、結局『失格』のままに終わりました」  陳雅斐

 人間への信頼は きっかけが必要だと思います。メロスと友の信頼関係を見せつけられて、すぐに素直になる王様は、やっぱり「人を信じたい」と思ったのです。そこに、メロスのことこそ王様は人を信じるきっかけなのです。一方、『人間失格』の中に、主人公は人を信じるのを恐れていて、なかなか「きっかけ」を捉えられなくて、結局「失格」のままに終わりました。

 人間と信頼関係を結ぶのは難しいですが、私的には、メロスのように人に信じられるきっかけになるために、もしくは 人を信じるきっかけを見つけるために、人と向き合うのは重要だと思っています。そして、いつか誰かと信頼関係を結ぶと、達成感が非常に大きいではないでしょうかと思っています。

8、「人間は信じられるか―人を信じるからこそ人に信じられる―」 聶 暁茹

 人間は信じられるのか。『人間失格』を読んだ後、私はその疑問を持っていた。主人公は 人間を信じたいけど裏切られる。人間として失格になる世界に希望をもたない彼は自殺した。何か 読んだ後 すごい喪失感を感じた。それに対して、『走れメロス』の中に、メロスと彼の友人二人は信じ合い、疑うことなく、最後に生きている。彼らの信頼関係と友情に感心した。

 同じ作者の作品でも、二つ 全然違う観点を表した。この世界に 裏切ることがあるけれど、私は人間を信じたい。他人へ自分の真心を持って付き合っていきたい。その人はきっと自分に打たれると思う。人間を信じないなら、友もないだろう。人を信じるからこそ人に信じられると思う。だけど、すべての人を簡単に信じられない。自分の判断を持って他人と付き合った方がいいと思う。

9、「信頼とは『信じて頼る』と書きます。」  王子凡

 信頼とは「信じて頼る」と書きます。人を信じることと、頼ることを同時にするわけです。でも、これ、言葉の意味はなんとなくわかることが 難しく感じませんか。

 自立は、そんな風に 誰にも頼らず、「一人で生きる」ことを選択してきます。それは、誰かに頼ってもどうしょうもなかった痛みや原因なのですが、ところが、やがては 自分一人の力では問題を乗り越えられない時が訪れます。その時こそ、周りの人の助けが必要になり、「信じて頼る」ことが求められるようになります。

 そして、一人で生きることを手放して、周りの力を借りて 問題を乗り越えた時、大きなステップアップを成し遂げることができ、多くの恩恵を受けることができるのです。そのための一番の基礎が「信頼」なのです。

10、「他人への不信感は我々生まれてからある基本能力です。しかし、これが過剰になると---」 任天楽

 『人間失格』は、小説家太宰治による中編小説で、彼の代表作品です。小説の中の「無垢の信頼心は罪の原泉なりや。」という話は、私にショックさせる。

 人生において、信頼できる人間と信頼できない人間 どちらが多いのかと言われれば、それは信頼できない方が圧倒的に多いだろう。他人への不信感は、我々が生まれてからある基本能力です。しかし、これが過剰になると、他人を信頼できない弊害が生まれる。人と仲良くなれない、深い悩みを相談できる友人がいない。

 最初に信頼する側が難しい、自分を信頼してくれている人に対して 誠実に接し、信頼で返す事は そんなに難しくない。やはり、私たちは メロスのように、世間の美しいものに着目する、人間を信じることは大切です。

11、「幸せも不幸も自分の心が作るもので---」  鍾俊強

 『人間失格』を読んでから、人間を信じるべきだと思う。文章の感触は あんまり うんざりで 私をイライラさせることが沢山ある。しかし、内容は 社会において 所謂 日蔭者の陰惨な身内を見極めて しかも 社会にも反抗の意思が少なくとも 少々含んでいるんだ。

 この小説を読み返さなければ、自分自身について見つめなおす機会はなかったかもしれない。でも、私は、この小説の一端から 希望を得た。生き辛さから、少し解放された。幸せも不幸も自分の心が作るもので、自分の考え方や捉え方によって全てが変わっていくのだと、私はこの小説に教えられた。ただ単に 単純な気持ちになるか、ほんの些細な一言から希望を得ることができるか、またそれも自分で決めることができると思うと、明るい気持ちになるのである。

◆人は「人への信頼感と不信感のハザマ(狭間)の中で、日々を生きている」と思うが、人を信頼して生きようという心が旺盛な時期と低調な時期(不信感が勝る)とを 個人差はいろいろあるが 人生の中でさまざま経験していくことになるだろう。周りの人が最も信じられなくなるのは、自分という人間に対して「信頼感」がもてなくなってしまう時かと思う。自分だけでなく周りの身近な人をも信じられなくなる。辛いことだ。孤独で辛い。生きていく意欲はもちろんなくなる。

 太宰治が『走れメロス』を執筆したのは1940年ころで、結婚と初めての子供の出産という時期でもあり、かなり精神的にも彼の生涯の中で気持ちが安定していた時期でもあった。そして、メロスと親友、王の3人を巡るこの物語は 太宰自身の希望の一つでもあったのかもしれない。一方、『人間失格』が執筆されたのは、彼が自殺する3〜4か月前の、1948年であった。再び始めていた「薬物」と 喀血などの健康の深刻な状況、そして 彼の女性関係などを巡る状況に 彼は「自己嫌悪」を深めていたに違いない。太宰は 「人間とはどんな存在なのか?」という 一つの面を 彼の命を懸けて(削って)文学という表現で この世界に残してくれた人だった。

◆中国という国で 一人で生活していると、人に頼らざるを得ないことも 日本での生活と違ってとても多くなる。悲しいかな、情けない気持ちになることも多々ある。信頼できる人でなくても 気をつかいながらも頼まなくてはいけないし 生きていけない。「人は必要な時には接近してくるし、必要性が薄れたら 接近してこなくなる」ということは 日本で生活していたら そんなに強く深刻に感じなかったことだが 今は つくづく思わされたりする。人とはそんなふうに生きるものなのだ、それはまた 私もそうである。人間に対する「信頼感」と「不信感」、これはいつの時代でも どこの国でも 人間が生きることでの 永遠のテーマだろう。学生たちは たかだかまだ20才前後だが けっこう このテーマについては 深く考えられていることに ある意味感心させられた。

◆世界がこれからどうなっていくのかが大変分かりにくくなっていくし、大きな混乱や 戦争がより多くなる可能性も出てきている。「国と国との信頼関係」は「人と人との信頼関係」よりも ずっと複雑で難しいことだ。日本と中国、日本と韓国、日本とアメリカ、日本とフィリピン、日本とロシア それぞれの「信頼と不信」は 各国の事情によって 簡単に時の その国の指導者たちによって作られていく側面がある。権力を維持するために 相手国を陥れて 戦争も起こすのが 政治というものだ。この2017年、どんな1年間になるだろうか、激動の 「他国に対する不信感」が渦巻く年になるような予感はすでにする。

 学生が書いた中国の「他人を陥れようなどと考えてはならないが、他人から陥れられないような警戒心を失ってはならない。」という諺が 微妙に気になる世界情勢の新たな幕開けとなった2017年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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