彦四郎の中国生活

中国滞在記

やはり異郷の地で、山頭火と放哉に出会う

2014-01-17 05:46:39 | 滞在記

 1月4日(土)より2週間、大学は前期試験期間に入った。試験期間に入ると、寮では勉強に集中しにくいためか、夜遅くまで空き教室で勉強にいそしむ学生が多く見られるようになった。私の担当している1回生と3回生の試験は、それぞれ13日と10日に実施した。
 3年生の「会話能力試験」は、一人10分×40人分で、午前8時半から午後3時半までの約7時間を休みなしで実施。最後の40人目も、隣の控え教室で約7時間を待つことになった。(携帯電話などで試験問題が漏れたりしないための措置:控室にも監督教員がいる。) 今週末の今日までに、成績等に関する関係文書を作成提出して、前期の仕事がようやく終了する。明後日の19日からは、約1か月間の冬休みに入る。そして、1月31日からは、「中国の春節」が約1週間。故郷で、家族そろって過ごすための民族大移動がすでに始まっている。
 試験をすべて終えた学生達は、故郷に帰郷する。閩江大学の学生は広域から来ているため、遠くは東北の「吉林省」まで40時間あまりかけて帰る学生もいる。キャリーバックと背中にリュツク・バックを背負う姿が、大学のバス停留所に多く見られるようになってきた。そして私は、1月19日から2月12日まで、日本に一時帰国予定。

 8月下旬から今日までの約5か月間は、とても長く感じられた。中国社会のさまざまな様子を見、いろいろなことを経験し、すでに1年間以上が経過したような気がする。大学の授業などでの学生達との交流はあるが、大学から1時間あまり離れている市内の旧キャンパスにある宿舎での一人暮らしは、中国語がほとんど聞き取れない中、「孤独や不安」を感じる日々も多くあった。そして、ある程度親しい間柄になったらなったで感じる、人間関係における「日本人と中国人との間の、考え方や実際行動様式の大きなギャップ」に対応できないとまどい--。
 そんな中国生活の中で、「山頭火と放哉」に出会ったように思う。淋しい時、孤独を感じる時、そして心が穏やかな時も、時折彼らの句集に共鳴し、慰めともなった。日本で彼らの句集を読んでいた時とまた違い、彼らの「叫びや感嘆・あきらめ・心穏やか」な心情などがより深く私の中に入ってきている。そんな彼らの句集より------。


[種田山頭火]1882-1940(享年57歳)
「まっすぐな道でさみしい」
「夕焼雲のうつくしければ人の恋しき」
「分け入っても分け入っても青い山」
「けふもいちにち風をあるいてきた」
「月が昇って何を待つでもなく」
「やっぱり一人はさみしい枯草」
「こころおちつけば水の音」
「すべってころんで山がひっそり」
「ふりかえらない道をいそぐ」

[尾崎放哉]1885-1926(享年41歳)
「ころりと横になる今日が終わって居る」
「雀のあたたかさを握る はなしてやる」
「咳をしても一人」
「呼びかえしてみたが話も無い」
「ゆっくり歩いても灯台に来てしまった」
「庭をはいてしまってから海を見ている」
「夕空見てから夜食の箸をとる」
「障子をあけておく 海も暮れきる」
「障子しめきって淋しさをみたす」
「鳳仙花の実をはねさせてみても淋しい」
「いつしかついてきた犬と浜辺に居る」