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マルガリータのつぶやき

フォトジェニックな「趣味の記録」:マルガリータの庭、国内海外の旅、グルメ、美術・音楽・映画、自分勝手流読書、etc

「世紀末ミュンヘン」山本定佑

2012-02-21 20:00:23 | 本 MEMO
 

世紀末のミュンヘン本は、数限りなくあるそうですが、私にとってはこの本が基本書になりそうです。
著者のミュンヘン大学留学時の家が、偶然に、シュバービング、カイザー通りだったことから始まるタイムスリップ。

リルケ、トーマス・マン、カンディンスキー、クレー、レーニン、ヒトラー…。若者がミュンヘンを目指した。
基本書の例にもれず、通読~参考書~また通読~の、楽しい繰り返しのはじまりです。


「ドイツ・ミュンヘンの散歩道」

2012-02-15 19:34:57 | 本 MEMO
1月のクロアチアに同道したものの、スーツケースの底に沈没したままだった「ドイツ・ミュンヘンの散歩道」

 疲れているような、そうでないような、肩が凝ってるような凝ってないような日がな一日、思い出すはミュンヘン、
写真が半分の本は(〝マルガリータ”ブログみたいです(笑))こんなコンディション時には最適とばかり…

ドイツ大好き、ドイツ歴20年の著者はいう;
 《バイエルンの州都ミュンヘンは、ほかの都市とは異なる陽気さと鷹揚さを持つ。》

 ・グリュ-ス・ゴット!(グーテン・タークは南ドイツではこうなる)
 ・バイエルンのここちよさ
 ・ミュンヘンからアルペン街道へ
 ・ガーデンライフ
 ・暑さの感じ方
 ・大人の威厳
 ・霧の街

いってみれば「日本人から見たバイエルン歳時記」ですが、
ゆったりとしたバイエルン時間に癒されていったのは、不思議でした。
 

文中、「ミュンヘンで一週間休暇をといるとしたら、こんなのはどうだろう。」から始まる提案には、いよいよミュンヘン熱が上がってきてしまい
   一つのペンションに落ち着き、
       昼は市内観光にイギリス庭園、ビア・ガーデン、カフェテラス
       夜は開場意一時間前の当日券で、クラシックコンサート、オペラ
       
       ローテンブルグまで2時間半(列車)
       ノイスヴァンシュタイン城まで2時間
       ザルツブルグへも2時間(ICE)
       アルペン街道 べルヒテスガーデン~ケールシュタインハウス、
                 ケーニヒ湖、ライト、イム、ヴィンケル、シリアー湖、ガルミッシュ
       ロマンチック街道 リンダーホーフ、オーバーアマガウ、ヴィース教会、フュッセン

 昼の市内観光と夜のオペラくらいは、ミュンヘンに行ってしまえば、今すぐにでもなんとかなる     
 

「八日目の蝉」角田光代

2012-02-08 10:40:36 | 本 MEMO
DVD「八日目の蝉」をみて原作にあたり、それでもよく分からず、というか、
まだまだ奥がありそうという期待で、続けて「三面記事小説」「対岸の彼女」という、この2,3日でした。
「空中庭園」(’03)の読後感がよいものでなく、その後の角田光代を知らずに、映像で再発見というお粗末でした。

 読むほどに「早稲女」(早稲田の女子学生;よいイメージでなく)の雰囲気を感じてしまい、微苦笑。
  「愛をとりこぼす」タイプといったら。(反論も、もちろんあるでしょうが)
   一度も愛を向けられなかった女性より、はるかに深い傷を負い、失くした愛を激しく嘆く。
   多くのオペラのヒロインたちもこの苦痛にのたうちまわり、絶望的な愛の戦いに挑むことに。

横道にそれました、と言いたいところですが、「早稲女」の芯はそんな程度では収まらないのです。
「八日目の蝉」文庫版の池澤夏樹解説の「つまりこれは相当に過激なフェミニズムの小説なのである。」、
この解説に喝采、と言いたい。
 〈ダメ男、頼りにならない男、VS 着実にエレガントに次の世代を用意してきた女たち〉

「野いばら」梶村啓二

2012-02-05 20:50:43 | 本 MEMO
野いばら~ 題名と美しい装丁から、書店の平積みを目の端でとらえていたのは去年の発売当初からです。
日経小説大賞選考委員座談会(辻原登、樹のぶ子、伊集院静)で絶賛されているのを見て、また宣伝コピーを見て
背中を押されるように、読み進めました。
   

     《攘夷の嵐ふき荒れる幕末の横浜から、種子は21世紀の英国田園地帯へ。
       清楚な白い花をつけ、愛の物語が蘇る。》
      日経小説大賞受賞  選考委員会満場一致の傑作歴史ロマン

     
帯には  《音楽と花は似ている。流れ着いた旅先で美しく蘇る。
      幕末の横浜から21世紀の英国へ。
      匂い立つ白い花の群生は、時の奔流の中で懸命に生きた人々の一瞬を永遠に輝かせる。》


読後印象ですが、
「昨今、新人の作品で、これほど文章に対する完璧な信頼をもって、読み進めることのできた経験は、私にはない」辻原登氏選評
にあるとおりの、驚き、快感でした。

これほどの文章の力をもつ作家が、他にいたら教えてほしいくらいです。
たしかに、英国人がこんな微妙な感性を伝えられるのか、とか、粗削りで気になるところもあり、
第3段落横浜あたりで、一度投げ出したくはなりましたが、それもつかの間で。

ユキの美しさと聡明さは、同性ながら嫉妬したくなるほどですが、きれいなお話は綺麗なままで、と納得。
これから多数の書評が出ると思われますが、それはそれ、

はかなく烈しい愛の物語を得て、この感動と幸福感の余韻は何日も、あるいは何年も続くでしょう。

『夜と霧』 新訳と旧訳

2011-10-21 12:35:42 | 本 MEMO
       

        

いかに新訳でも、この『夜と霧』は再読できないだろうと…
アウシュビッツの現場の重く、息苦しい体験と、むしろ後からじわじわとくるおぞましさの記憶からです。

 7,8年前の厳冬1月、ポーランドツァーでクラクフからオシフィエンチム(ドイツ名アウシュビッツ)に。
 「ARBEIT MACHT FREI」門から収容棟を廻り、最後にガス室。 気分が悪くなりうずくまる女性もいました。
  写真で見ていた通りでしたが、必死な形相の解説員の説明、監視塔にあがり上から見る荒涼とした全体像。
 
 なぜ、こんな恐ろしい場所に立たなければならないのか、ひとりの生存者のことばに、
 「アウシュビッツより恐ろしいものは一つだけ、 人類がそのような場所が存在したことを忘れてしまうことだ。」


それが二日で読み通してしまったのは、新訳者の池田香代子さんの人柄に好感をもっていたから。
 
2001年、『世界がもし100人の村だったら』の出版記念会、池袋ジュンク堂で親しくお話し、ソフトムードながら芯のある方だなと。
 先日もCS「パックインジャーナル」で、コメンテイターとして相変わらずのムードで原発反対論を繰り広げていました。
 以前の同番組でやはり紅一点、落合恵子さんの反対論とは一線を画す説得力でした。

同じことは、霜山徳爾が、旧版訳者のことばとして「新訳者の…優しい心 育ちのよい文字」という表現をしています。

これに続く、訳者あとがきで、1947 年刊の旧版と1977年刊の新刊の異同の指摘は、興味深かったです☆

・旧版に多出した「モラル」ということばが新版で二か所のみ
    ここで扱われるべきは精神医学であり、さらにはより根源的な人間性なのだ と考えたのでは?
   冷静な科学者の立場からかいたつもりが、… やや主情的な方向に筆がすべった と見たのでは?

・旧版には「ユダヤ」という言葉が一度も使われていない
    なにより普遍性をもたせたかったから、 一民族の悲劇ではなく人類そのものの悲劇として、体験提示したかったのでは、
   収容所には、ジプシー、同性愛者、社会主義者等がいたことを踏まえていた?

新版で新たに付け加えられたエピソードに一つに「ユダヤ人」が二度出てくる
    「ユダヤ人被収容者たち」と名指ししたのは、改訂版が出た1977年のイスラエル事情(ユダヤ人移住のさらなる奨励)では?
   対アラブ政策、中東戦争、度を越して攻撃的になるという受難の民、にたいして、この「夜と霧」の作者は
   「立場を異にする他者同志が許しあい、尊厳を認め合うことの重要性を訴えるために、この逸話を新たに挿入し、
     憎悪や復讐に走らず、他者を公正にもてなした「ユダヤ人被収容者」を登場させたかったのでだ、と私は見る。」


収容所解放直後に書かれた旧版と、4度の中東戦争の同時代史を経て書かれた新版。
日本版訳者も、太平洋戦争戦場体験を持つ旧訳者に、平和な時代に生きてきた新訳者、
できれば、両版ともに、読み継がれていってほしいです。
ご紹介がなければ、新版の存在も知らずに封印していたにちがいない『夜と霧』、R氏に感謝します。


≪追≫
辛いアウシュビッツ見学ののち、ワルシャワ、新世界通り南端のシェラトンにはいり、
フロントで当日のテアトル・ヴィエルキ、オペラ「ハルカ」最上席(3千円弱)がとれました。
このツァーは少人数で旅慣れた人が多く、時間があると単独行動即決、もう一組はバレー、私とジャスミン様はオペラに的を絞って。

「ハルカ」は、モニュシコ(ポーランド国民歌劇の父、ポーランドではショパンの次に偉大)作、ポーランド歌劇中最大傑作といわれ、
       地主vs農民の分かり易い内容、ヴィエルキ劇場の世界最大規模の劇場空間、
       音楽学生集団(東欧独特のあだっぽい美人ぞろい)の熱心な鑑賞姿が印象に残りました。

       モニュシコは世界に向けてでなく、ポーランド人のために作曲し、困難な時代に生きる人々のこころを支えた。
       その精神は弟子たちにも受け継がれ続けている。 (読んで旅する世界の歴史と文化 中欧 より)            

目指すなら「塩野七生」

2011-10-01 13:39:00 | 本 MEMO
塩野七生の文庫版「ローマ人の物語」全43巻完結で、書店のキャンペーンも真っ盛りです。
私もこの秋、スペシャルガイドブックなど片手に、一気に読み通そうかと考えています。

     

もう一回とりだした2編にも後押しされて~、

 ☆『の読書術』で、福田和也は社交的に高級な作家 として、須賀敦子、白洲正子、塩野七生 の3人を挙げていて、
 
   同時代人の塩野七生を、「大きい、と同時に贅沢な、豪奢な感じがあり、しかも間口が広い。」
  「その知的な読者層は、イタリア史…ばかりでなく、独特の人間観で描いた、官能的なものととらえている。
  彼らのお好みは『チェーザレ・ボルジア…』」
  
  学ぶべき「男への対し方」として、『わが友マキアヴェッリ』『男たちへ』を薦めて、
  「決して媚びはしない、しかしまた硬直的なものでもまったくない。男性にたいして、悪と欲望を挑発し、
   優雅と泥臭さをともに要求する、その働きかけの、語り口と姿勢を学んでいただきたい。」
  
 ☆『人びとのかたち』塩野七生 

       

  私の塩野七生デビュー本、映画論集です。
  1990~1994年に「フォーサイト」に掲載されたもので、100あまりの映画が登場していますが、
  
  今、読みかえしてみて、あらためて、全編ゲーリー・クーパーへのオマージュの感。
  私もこのころはクーパー一色で、クーパーに言及している箇所には緑のサインペンの傍線!なのですぐわかります。

  特に傑作なのは、ビリー・ワイルダーの評言のくだりで、
  
  「彼はモンタナの生まれだ(比較は悪いが岩手県の出身という感じ)
   だが、たぐいまれな天成のエレガンスの持ち主だった…眺めるだけでも美しかった。
   彼が女という女にモテた秘密だが、内容のある話をすることではなく聴くことを知っていた~
   話しつづける女から視線は離さず
   「まさか」「ほんとかい」「そういう話、初めて聴くよ」と女に胸のうちを吐露させているうちに…」

  極めつけは、最後の息子との会話(抄)、
  息子;「ママの大好きなクーパーとカエサルは多くの共通点があるけれど、クーパーは偉大なる平凡、カエサルは偉大なる非凡…
      誠実なクーパーのプロポーズは即結婚、生涯の幸せの保障、カエサルは政治上、クレオパトラだろうが2か月がせいぜい
      どうする、ママ。」
  塩野;「たとえ2か月でも、カエサルを選ぶ」

だったら私も,(だから私も?)「ローマ人の物語」にじっくりとはまらなければ。

  連載小説を、毎回読む人種と、完結してハードカバーになったものを一気に読む輩と。
  私は、聞くに及ばず、後者です。 43巻一気に参りましょうか。

  

福岡伸一『フェルメール光の王国』

2011-09-30 18:57:40 | 本 MEMO
R氏からいただきました。  これが私の、福岡伸一本の第一冊目でなくてよかった。
この直前に『世界は分けてもわからない』を ななめ に読んで、初めての著者の感じをつかんでいたからです。

  定評のある著者に多数の著書がある場合に、最初に何を読むかは思案のしどころです。
  何から始めたらよいのか、ガイド本さえ必要な時もあるようです。
  (「ローマ人の物語」の塩野七生は、あるガイド本に「聖マルコ殺人事件」からがよいとあり、私も同感です。)
それくらいに福岡伸一初心者なので、この本にも難儀して1節読んでは空を仰ぐといった感じでした。

≪重層的≫
当初、ANA 機内誌向けに足かけ4年間、掲載されたもので、「福岡伸一にとってはある種足かせ」?と読み進めましたが、
加筆、修正もありましょうが、「科学と芸術のあいだを遊泳する著者の新境地!」の帯に間違いのない仕上がりに。

紀行文にして、科学書にして、極上の美術ミステリーにして、という重層的内容で、
こんな重層的、複層的な本が今まであったろうか、と思います。

≪同時代性≫
17世紀、特にフェルメールの1660年代を軸に、同時代人を横一線に並べて空想の世界に遊ぶ楽しさ。
同年生まれ(1632年)のレーウェンフック、スピノザから始まって、ガリレオ、カッシーニと世界観が刷新されていった時代模様。
野口英世(1904年渡米)とアメリカに渡ってきたばかりのフェルメールとの交差?の想像。

≪フェルメール研究専門家、美術史家を知る愉しみ≫
ウィーロックをはじめとして トレ・ビュルガー、

≪旅の極意≫
一つのテーマを追う旅の途中に、かねて関心の人物にせまる旅の愉悦。
ベルリンでの ルドルフ・シューハイマー(動的平衡)、
パリでの ガロア、
アイルランドでの ライアン・ワトソン
N.Y.での野口英世

 これらすべてを、ある一点に帰納させていくこの著者の才能は贅沢です。
 
≪こんな本が作りたかった≫
あとがきの最後に「こんな本が作りたかった」とあります。
確固とした意志のもとに、
読者の「頭の中に一陣の涼風が吹きぬけるよう」(『動的平衡』に対する内田樹の評)な構成力です。


    “意味のない追~” ジェフリー・アーチャーは、「自分は初めと終わりだけ決めて、それで書き始めるんだ」と。
              作者にして~ 読書子も先ずはあとがき、次に冒頭章、次に最終章、という順もよくある例らしい。



☆ デルフトのANTIEKで求めたデルフトタイル、破損予防に枠にいれられている。
 
1670年とあり、その時代の建物の取り壊しの際のものという店主の言を信じて購入。高価でしたが他店はレプリカばかりだったので。

  デルフト陶器、ベルギーのブリュージュで購入、こちらはテント張りの店で。


映画『真珠の耳飾りの少女』より
 

 

少女の父はタイル職人の設定、
『ヴァージナルの前に立つ女』でよく分かりますが、日本の幅木に似た用途で足元にそって。



伊集院静 『なぎさホテル』

2011-09-15 17:31:24 | 本 MEMO
伊集院静との最初の出会いはゴルフ本">『夢のゴルフコースへ 米国西海岸編』『同、米国東海岸編』 Fairway of Dreams
「いつしかプレーをしてみたい、一生の間に、一度行ってみたい夢のゴルフコースがある」の冒頭から、写真(宮本卓)の美しさとともに、読了までしばしの夢時間を過ごしたものです。

ベブルビーチ、リビエラC.C、とプレーをしながらの記事中で、パブリックにしてリンクで場所はサンタバーバラ(ロスの少し北)の「サンドパイパー」コースが忘れられなくなり、
一度目はロスから様子見に出かけ、クラブハウスでサンドイッチ&スープをほうばりながらの観戦、
2度目は次の年、今度こそはプレーする意気込みで、サンフランシスコからロスをに向けての旅の途中、サンタバーバラのフォーシーズンに泊まり、ホテルから予約を入れてもらう周到さで目標完遂、ただ歩いているだけでも夢心地になりそうなコースでした。

 

 

それもこれも、伊集院静の静かなる熱狂?の文章にうなされての行動だったと思うし、また翌年か?は東海岸編を訪ね歩きました。


次の出会いは「週刊現代」のコラム「それがどうした」で、家に投げ出されていたのですが、その内容、特にコラムの執筆陣の(以前とまるで違う)充実ぶりに驚いて、以後の愛読者ぶりはご存じのとおり。
新しく代わった編集者が伊集院のアドバイスに従って内容を一新したのだと後で知りました。
今や、週刊誌売上№1、価格も400円と№1、ヌードグラビアなどいらないからその分安くという女性読者も多いのでは?(笑)

このコラムが先ごろ単行本「大人の流儀」で大ベストセラーになりました。ご本人は、普通のことを書いているだけなのにどうして?と言っているのが可笑しいですね。
先日、こゆき様が「伊集院の本読んだ?」というので、毎週読んでるから、と答えて本も見ずにいたのが、
こゆき様の部屋で忘れられていた「伊集院静の流儀」を見つけて、(大人の流儀の続編でしょう)、伊集院世界を改めて堪能しました。

そしてこの間から気になっていた、「なぎさホテル」を、読むなら今、と。
重く、暗い内容を、かる~く、海面をなぞっていくようなタッチで、夏の終わりにぴったり、時間をつくって読んでみてください。
著者が28才から夏目雅子との結婚までの7年間を過ごした「逗子なぎさホテル」、湘南で初めて建てられた木造2階建ての洋館式ホテルです。

    

著者のどん底時代を綴った自伝的随想、「絶望から再生」へ、
私は、“打つ”生活からは先が見えない、よく薬(覚せい剤)にはまらなかったな、など感じながらも、やがて、自分をこうも洗練された表現であらわされるものかなど、羨望から感動へ。静かな夢時間でした。

「7年間」を著者とともに歩み、最後に著者が『ある覚悟』に目覚め、再生するときに、気がつけば私にも「ある覚悟」が芽生えていたのです。  また機会がありましたら~

   
          <なぎさホテルの映像が見られます>


『リンゴが教えてくれたこと』

2011-09-09 23:27:10 | 本 MEMO
柏崎のI様、6月のオープンガーデンに伺い、その後の無沙汰にもかかわらず、その節のお写真をお送りくださり、
私もあわててブログ記事を返送させていただき、折り返しの8月29日付のお便りに、やっとのお返事です。

おすすめの『リンゴが教えてくれたこと』、さっそく読みました。優しく愉快な語り口のようで、実は恐ろしいほど奥が深い。

      

  農薬禍の只中にいて、「いい加減、無農薬の覚悟を決めなければ」と思っていたタイミングでした。

  6月の新潟行き当日の朝に、黒点病にストロビー撒布、虫にオルトラン大袋を一気に一袋全部まきおえて…
  新幹線内で頭頂部がムズムズしてきて、あまりの気持ち悪さに心配になり、新潟の皮膚科で診察を受けたのですが。
  頭皮にはなんの症状もなく、新幹線の冷風にやられたのでしょう、という見立てでしたが、

  今思うと、私の今夏の受難はすべてこの日から始まったのです。
  2泊目の岩室温泉では、足先からもムズムズと広がり、温泉浴直後の2時間は嘘のようおさまるという、不思議な体験でした。
  その後、背中に集中して、背中全体のひどいかゆみ~筋肉のこわばり~吹き出物1~3個~ひりひり、ピリピリで眠れない日々~
  この2か月、皮膚科、別の皮膚科、内科、別の内科、耳鼻科、歯科、大学病院神経内科~と歩き回りました。

  原発、余震で揺れる中で、突然の隣家購入話、金額駆け引き、取り壊し、庭設計に植栽、業者応対、近所トラブルと心労続き、
  異常な暑さと長雨で長引く工事、(その間2度の海外に、5度以上の国内旅、動きすぎ!)、長女結婚式、
  疲れで免疫力も落ちない方がおかしい。(忘れていました~高齢もあります)

それでも、“免疫力”のここまでの低下は、あの殺虫剤、殺菌剤を吸い込んだせい、というのが私の結論です。
農薬恐るべし!ということがやっと身に染みてわかった今、巡り合ったこの本は“神の福音”? 


「リンゴは古来、農薬で作るといわれるほど病虫害が多く、人々はその戦いに明け暮れてきた…」から始まる本書が、
まず「農薬はつらい」と農薬で苦しむ家族の話は、想像以上のものでした。

物心ついたころの劇薬パラチオン、ダイホルタン、石灰ボルドー液(硫酸銅と生石灰の混合液)を手散布すると、超アルカリ性のやけどで皮膚が剥け、痕が真っ赤に。「散布をすると女房は一週間畑に出られなくなってしまいました」

何とか農薬を減らしたいと考えるようになり、「自然農法」「有機農法」で「安全な」リンゴをという思いが強くなり、
その時から10年以上の無収穫(無収入)時代の話です。
第3章「死を覚悟して見つけたこと」の極限の極貧生活も凄い。夜のアルバイト先でヤクザに殴られ全部の歯をなくすに至ったとか。

そういう時代から成功に至るまでの創意工夫やアドバイスは、キラキラとまばゆいばかりの話です。
実際の問題に突き当たった時にその都度、バイブルのようにひもとけば、また新しい発見が現れそうです。
とても一回位読んだだけでは、わかりえない世界が広がっているようです。


「(この本から)私のバラ栽培の考えが正しかったと確信できました。」とのI様のお便りには、
 経験浅い私のLight・Housu(灯台)を見出したような思いがしました。これからもよろしくお願いいたします。 




澁澤龍彦 『毒薬の手帖』

2011-09-05 21:55:15 | 本 MEMO
農薬、殺虫剤の薬害について考えていますが、“理系オンチ”の悲しさ、書庫をみても表題本とかミステリーの毒とか…
                    
    

文庫版あとがきにあるように、本書は「エピソードを中心とした毒の文化史のごときものである」「エジプト、ギリシャから現代まで」

とても面白いのです。
こんな折でもなかったら、細かい字で自分流をつらぬく博学の異才の書に付き合っている暇はなかったかも。

N.ホーソーン『ラパチーニの娘』を紹介する前段としての、箱根美術館の毒草園のくだりなどは、
見過ごしていたような、いないようなで、歯がゆい限りです。
このような文学本で時間をつぶしている場合では、など思いながらも、最終章へ、

「集団殺戮の時代」252ページ;
「近代文明が生活にばらまいた、多くの有害な物質」の第4の登場する「これらの中で最も怖ろしい農薬、殺虫剤」として、
千葉大、小林龍雄氏の言を引用して、
「最近日本でも、害虫駆除のためにテップ(テトラエチールピロフォスファート)やパラチオンなど種々な有機リン化合物が撒布用として使われているが、これによる人体障害作用も各地で問題になっている」そうだ。

現在は規制対象も多くなって、この限りではないと思いますが、澁澤侮るべからず、といった感じですか。

福島章 『父親殺し』

2011-08-28 21:55:51 | 本 MEMO


書店の“ふ”欄、藤原智美の隣にあって、福島章にこんな本が?という感じで購入、
精神分析、犯罪心理、精神鑑定で有名な方ですが、70年代の若者の反乱の分析と同時に、
著者の医学者としての心情履歴がタペストリーのように織り込まれている異色さには、びっくりしました。

指導教授の指示に従い「精神分裂病」と診断すれば、心神喪失か心神耗弱で無期懲役か無罪になる可能性があった事例、
結果的には正しい診断だった「刑事責任能力あり」だが、被告人の死刑までの20何年の心情吐露と社会分析には考えさせられました。

被告人に対し逆転移までおこし、真剣に取り組みすぎた結果、
 ・指導教授に対する<父親殺し>の<行動化> ~自分には学問上の子供がいない。
 ・「犯罪者という種類の人間が、自分に関心を抱かない人間には憎しみも抱かず、矛先も向けないが、
   なまじの関心や理解を示す人間には、徹底的に彼らの攻撃性をぶつけてくるものだ…」
  「…自分に対する他人の理解や共感をそれとして受け止め、それを理解し答える能力が著しく欠けていた…」

70年代、学生運動等で<父親殺し>をした世代は、自分が<父親>であることを意識的、無意識的に拒んでいたので、
自分の子供をうまく育てることができなかった。
 
今や、本格的な<父親なき社会>の出現、かつて父親を殺した若者たちは、年をとっても、自分たちが父親になることができない。


精神医学、刑事裁判のあいまいさ、それに携わる方々のご苦労、
偶然に手に入れた書物でした、やはり本は開架から。

Hanging(ハンギング)とは?

2011-08-26 20:51:58 | 本 MEMO
昨日の『藤原智美』稿の続きです。

「ハンギングバスケット」とは、小さいカセットに苗を20以上差し込み、空中につるして飾る一種の寄せ植え、
英国が本場で、日本でも技術の向上と普及のために“マスター”が活躍しているのですが…

私のマスター資格活用がなかなか始動しないのが、「ハンギング」は和製英語?という思い込みからで、
ハンギング~つるす~絞首刑~の連想が浮かんでは消え、自縄自縛で動きが取れない状態に陥ってしまっていたせい。

ところが先日のボストン近郊の園芸店で見た「Hanging Sale」の文字が『藤原智美』を読んでいる最中に浮かび上がり、
「アメリカでもハンギング?~もともとの単語だった~」と不思議に納得がいってしまったのです。
    (いまだ本当のところは分からないのですが


もう一つの「ハンギング」、
ゲーリー・クーパー晩年の異色西部劇「縛り首の木」は、クーパーらしさが色々出ていて、何度も見ました。
ドイツの名女優マりア・シェル(弟がマクシミリアン・シェル)をハリウッドデビューさせるにあたり、
老いたりとはいえクーパーを配したのでしょう。
  

クーパーは相手役への好悪がスクリーンに出てしまう、永遠の大根?
そういうところが、ファンにはまたたまらないところなのですが。
この作品でも、まったく気乗りしない様子で、マリア・シェルが気の毒になってしまいます。
体調もすでに、だいぶ悪かったのでしょう、

西部劇スターが皆、がんで短命に亡くなったのは核実験場ネヴァダのロケで灰を吸い込んだから、というのは、
今や大注目作家、広瀬隆の『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』に詳しいですが、
気がつけば、クーパー享年60才を超えてしまった私、クーパーの分まで見果てぬ夢を追うべきなのかどうか

藤原智美の2冊から

2011-08-25 10:39:54 | 本 MEMO
      

軽い気持ちで読み始めましたが、この著者の文体リズムが心地よくて、続けてもう一冊も読了。
“文体に恋する”などはじめてのことで、悪体調で内省するばかりの日々で感性も鋭敏に?
「書いた文章を音読して、校正する」手法の成果でしょうか。


『文は一行目から書かなくていい』2011.5.30
 
 最終章の「心に引っかかったピースをすくいあげる」の項、文章の統合力うんぬんを読んでいる最中に不思議な体験をしました。
文章の統合力とは、
 「重要なとっておきのもの(いい思い付きや有益な情報や知識など)が、バラバラな断片として自分のなかに散らばっている」
 「つまりはそれらを統合する力…  言葉の統合力」
 「トランプゲームの神経衰弱に似ている~ 書くということは、心の動きに引っかかったピースを、すくいあげて言葉にする行為」
 
   「伝わる」文章を書くことの秘訣を一つにまとめるとすると、
       それは日々の心の動きをないがしろにせず、自分の内面に目をとめて、
       それを言葉として残しておくこと以外にないのです。
       回りくどい方法のようですが、これが文章術の王道です。


やっと、不思議な体験談ですが、読んでいるうちに先日来のモヤモヤしていた事柄が一つに統合したのです。
①G・クーパー「縛り首の木」(The Hanging Tree)、②ハンギングマスター、③東海岸で見た「Hanging Sale 」の看板
 ~明日につづく~

西村賢太&ゴローデラックス

2011-07-24 22:59:40 | 本 MEMO
'11芥川賞作家、西村賢太の小説を読みたいと思いながら、
何しろ、「私小説」です、いろいろな評判を聞くにつれ、最初に読むのはどれ?と考え出して…
 
  “…おまけに賢太は中卒で、父が強姦魔で秋恵は何処へ行ったか分からないまま、
   私小説で純文学で芥川賞と、まったくもってよく分らない男である”           (高田文夫の解説文より)

決めかねている時に、5月に初の随筆集『一私小説書きの弁』 が出たので、これで予備知識をなんて読みだしたのですが、

 放蕩なのか、一途なのか、複雑さについていけずに
   原作にいくふんぎりがつかないで、同時に購入した『苦役列車』(受賞作)も机上におかれたまま、気が付けば7月下旬です。

そして先週21日深夜、眠れないでつけたテレビ、“ゴロウデラックス”が始まったところでした。
スマップの吾郎君とゲストに西村賢太、小島慶子がからんで~
”ヘェ~! テレビにそれもバラエティに出るの?”という驚きで最後まで注視、メモまで取りながら。

西村賢太のかつて住んだ鶯谷近辺、焼き鳥や、立ち食い、三畳間を訪れ、街娼、吐きどころと、吾郎君はもろ辟易~
次は、吾郎君の行きつけの汐留コンラッドの28階、ワイングラスの持ち方から注意され、焼酎がいいと言い出す始末~
またまた鶯谷の行きつけの安い店に戻り~

それから4日目の今日、散歩の途中の本屋で目についた『暗渠の宿』、

 今度はスイスイとよくわかるではありませんか、
   表題作に続いて、デビュー作『けがれなき酒のへど』まで一気に読了。(内容感想はのちほど)

「西村賢太はテレビなんかにでてはだめだ」という意見ももっともと思いますが、
その異彩ぶり、難解な造語、言い回しなどから、とっつきにくいのも事実です。
この番組のような取り上げ方はグーではないかと、あれこれ2,3日、この番組のことが頭から離れませんでした、。

番組中で西村賢太、親指と人差し指でまる(お金)をつくって、「いまはこれができたから、考えも変わってきた」など…
どう変わっていくんでしょうかね


追~ ゴローデラックスの4月開始からの詳しい全内容のブログを見ていましたら、第1回が西村賢太だったとは。
   この番組の入れ込み具合がわかり、妙に納得!



池上彰『先送りできない日本』

2011-07-21 23:42:41 | 本 MEMO
最高気温24℃☆ 何をしても心地よい。
長そで、ウインドブレーカーで朝の散歩は軽井沢、北海道以上の心地よさ
ツンドクの本を引っ張り出して、あれも読みたい、これは買っただけで忘れていた、とか。

この池上彰も見出しだけで読んだ気になっていましたが、落ち着いて読みだすと知らないことばかりでした。

     

「知らないでいたら恥をかく」内容は、折よく?発表された与謝野経済相の『経済白書』の読みも深まった感!

今、日本中探しても数少ないこのような警世の書を、”避暑地以上”の環境で読めて本好きにはたまらない一日でした。