スタインウェイの
ピアノ調律師:シュテファン・クニュップファーに焦点をあてた異色ドキュメンタリー。
ピエール=ロラン・エマールがウィーンのコンツェルトハウスでJ.S.バッハ:フーガの技法をレコーディングする際の調律の模様を1年前から追ったもの。
その他、、A.ブレンデル、ラン・ラン、ティル・フェルナー、R.ブッフビンダーなど数々のスタインウェイ・アーティストたちも登場する。
ウィーンのコンチェルトハウスは去年、おととし、たびたび訪れたが大ホールばかりで、モーツァルトホールは知らなかった。
バックステージをのぞくのはファンならではの醍醐味、時を忘れて楽しんだ。
≪MEMO≫
「ピアノマニア」オフィシャルサイトより
エマールがJ.S.バッハの《フーガの技法》に関心を抱いたのは、今から30年ほど前に遡り、旧東ドイツを演奏旅行中に、《フーガの技法》のバッハの自筆譜のファックスと、初版のリプリントを手に入れたことがきっかけだったという。
以来、様々な版にあたるなど独自の研究を続け、その多様性に惹かれていった。そこでエマールは、バッハが1曲ごとに意図していたであろうチェンバロ、オルガン、あるいはクラヴィコードや室内楽といった多彩な響きを、信頼する調律師のシュテファンの力を借りて、1台のピアノによって再現して録音するという、野心的なプロジェクトに着手。
紆余曲折を経て完成したこのCDは、フランスのディアパゾン・ドール賞、音楽誌「ル・モンド・ドゥ・ラ・ムジーク」のショック賞などを受賞したほか、ビルボード・チャートのクラシック部門では初登場で1位に輝くなど、クオリティと売り上げの両面で、成功を収めた。
CD《ピエール=ロラン・エマール/J.S.バッハ:フーガの技法》 UNIVERSAL CLASSICS[UCCG-1386]
・J.S.バッハ《フーガの技法》とは
1740年代前半頃に書かれた、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)晩年の傑作とされる未完の曲集で、バッハ自身の手による自筆譜と、バッハの死の翌年に出版された1751年の初版、さらに、その翌年の第2版の出版譜が存在する。
1つのシンプルな主題が、対位法などを駆使することによって、曲ごとに多彩に形を変化させる14(~16)のフーガと、4つのカノンから成る。
視力の低下によって作曲が中断され、未完に終わった不可解で宙ぶらりんのフーガ1曲を遺したままバッハが他界してしまったため、成立に到った事情や曲の配列や重複の謎、楽器編成が不明であることなど、製作された背景にも曲の中身自体にも複雑なミステリーをはらんでいる。
《フーガの技法》が発表された当初は、全く注目されていなかったが、1838年にはカール・ツェルニーがピアノ用に校訂した譜面が出版され、さらに19世紀後半以降になると、名ピアニストらが演奏に取り組み始め、脚光を浴びるようになっていった。
バッハが作曲当時意図していた《フーガの技法》のあるべき本来の姿をめぐって、数多くの演奏家や研究者が魅了され続け、様々な解釈による研究書や関連書籍も出版されている。
・作中の演奏曲目(PLAY LIST)
* R.シューマン《幻想曲ハ長調 Op.17》/ラン・ラン
* ベートーヴェン《ピアノソナタ 第31番 変イ長調》/ブレンデル
* W.A.モーツァルト《ピアノ協奏曲 13番 ハ長調》/ラン・ラン
* J.S.バッハ《フーガの技法 第118番》/エマール
* ベートーヴェン《ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調》/フェルナー
* ラヴェル《「夜のガスパール」より”オンディーヌ”》/フェルナー
* リスト《ハンガリー狂詩曲 第6番 変ニ長調》/ランラン
* R.シューマン《詩人の恋》/J.ドレイク+イアン・ボストリッジ
* ブラームス《「夏の夕べ」 Op.85》/J.ドレイク+イアン・ボストリッジ
* シューベルト《即興曲ヘ短調D935 第1番 ヘ短調》/ブレンデル
* ベートーヴェン《エリーゼのために》/イグデスマン&ジョー
* サティ《ジムノペディ》/リチャード・ヒョンギ・ジョー
* ラフマニノフ《パガニーニの主題による狂詩曲》/ブッフビンダー
* エリオット・カーター《「カテナリ」》/エマール