このカテゴリー「ユニーク交友録」は、双方のプライバシーある故、なかなか書けないでいましたが、
故人になられたかたならと… ここのところ、Sさんが思い出されてしかたがない。
5才年上で、亡くなられたのが5年前ですから、ちょうど今の私の年齢でお別れしたわけです。
ご主人より譲り受けた、亡くなる1か月前病床での作品
その3年前の9月のトルコツァーが出会いでした。
そのころのトルコツァーはトルコ航空で行く直行便など贅沢で、
我々もマレーシア航空でクアラルンプール、ドバイと、何時間もロスしながら行ったものです。
Sさんは友人夫婦と3人連れで、私は長女と二人、10日間の長丁場です。
5日目くらいから、体調を崩す人が出始め、オリーブのせいですが、
うちの長女もダウン、所在ない私はSさんのシングル部屋に入り込み、駄弁ることに。
梅干しにおかゆパックなど長女にいただいた後の、Sさんの言葉は、なかなかこたえるものでした。
「Aちゃんは、あなたに甘えたいのに甘えられないできたのよ、さみしいのよ。たまにべったりいるので気を使いすぎてダウンなのよ。」
反駁する論拠もなく、それからは私なりに何かと長女に気を使って事なきを得ましたが、
“世話焼きの唯我独尊の独善の~”性格に直撃された感じでした。
帰国後、11月初めに写真交換会を口実にバーベキューを秦野のSさん宅で。
12月の入院連絡には驚かされました。予定の行動だったのです。
東海大相模のガン病棟、皆で新宿からロマンスカーでくりだし、帰りはこちらの方がかえって元気をもらってました。
それから何度か入退院を繰り返しましたが、ペットの数値におびえながらもその都度、復活、
家族ぐるみのお付き合いが続きましたが、
またもや、この季節、9月の電話を受けたのが、私が成田で
搭乗10分前、何か言いたそうでしたが。
後から聞くと、モントリオール国際児童画展に入賞して表彰式に一緒に行ってもらいたかったのだと。
私の日程から、言っても仕方ないとご主人と行かれて、後でさんざんグチを聞かされる羽目に。
その11月に入院、その時は珍しく「今度ばかりは参った!」「まだ帰らないで」などいっていて~
年明けの原宿での個展の通知にまたまた復活かとほっとしたのが、その後メールに返事が来ない、電話も通じない、
こちらもなにかと忙しく、3か月後にメールをしたら折り返し、ご主人から電話です。「実は…」
お葬式も終わっていました。最後はメールも見られなくなっていたとか。
携帯の名義もそのままに連絡が来た人に対処しているのだと、手元の携帯を見るご主人の表情が今も思い出されます。
具合が悪くなると、細かい字が苦痛でちょっとの返事も打てなくなるということが、わたしも最近わかりました。
生前、事あるごとに言われていた言葉「60を超える時が危ないのよ。気をつけなさい。」
あたってましたよ、Sさん、見事にやられました、
わたしにはあなたのように画才もないし、せめて
「マルガリータの遺言」とでも変更するしか