マルガリータのつぶやき

フォトジェニックな「趣味の記録」:マルガリータの庭、国内海外の旅、グルメ、美術・音楽・映画、自分勝手流読書、etc

ガンで逝ったSさんのこと

2011-08-29 18:24:17 | イベント・記念日・ユニーク交遊録
このカテゴリー「ユニーク交友録」は、双方のプライバシーある故、なかなか書けないでいましたが、
故人になられたかたならと… ここのところ、Sさんが思い出されてしかたがない。
5才年上で、亡くなられたのが5年前ですから、ちょうど今の私の年齢でお別れしたわけです。

 ご主人より譲り受けた、亡くなる1か月前病床での作品

その3年前の9月のトルコツァーが出会いでした。
そのころのトルコツァーはトルコ航空で行く直行便など贅沢で、
我々もマレーシア航空でクアラルンプール、ドバイと、何時間もロスしながら行ったものです。

Sさんは友人夫婦と3人連れで、私は長女と二人、10日間の長丁場です。
5日目くらいから、体調を崩す人が出始め、オリーブのせいですが、
うちの長女もダウン、所在ない私はSさんのシングル部屋に入り込み、駄弁ることに。

梅干しにおかゆパックなど長女にいただいた後の、Sさんの言葉は、なかなかこたえるものでした。
「Aちゃんは、あなたに甘えたいのに甘えられないできたのよ、さみしいのよ。たまにべったりいるので気を使いすぎてダウンなのよ。」
反駁する論拠もなく、それからは私なりに何かと長女に気を使って事なきを得ましたが、
“世話焼きの唯我独尊の独善の~”性格に直撃された感じでした。

帰国後、11月初めに写真交換会を口実にバーベキューを秦野のSさん宅で。
12月の入院連絡には驚かされました。予定の行動だったのです。
東海大相模のガン病棟、皆で新宿からロマンスカーでくりだし、帰りはこちらの方がかえって元気をもらってました。
それから何度か入退院を繰り返しましたが、ペットの数値におびえながらもその都度、復活、
家族ぐるみのお付き合いが続きましたが、

またもや、この季節、9月の電話を受けたのが、私が成田で搭乗10分前、何か言いたそうでしたが。
後から聞くと、モントリオール国際児童画展に入賞して表彰式に一緒に行ってもらいたかったのだと。
私の日程から、言っても仕方ないとご主人と行かれて、後でさんざんグチを聞かされる羽目に。

その11月に入院、その時は珍しく「今度ばかりは参った!」「まだ帰らないで」などいっていて~
年明けの原宿での個展の通知にまたまた復活かとほっとしたのが、その後メールに返事が来ない、電話も通じない、
こちらもなにかと忙しく、3か月後にメールをしたら折り返し、ご主人から電話です。「実は…」

お葬式も終わっていました。最後はメールも見られなくなっていたとか。
携帯の名義もそのままに連絡が来た人に対処しているのだと、手元の携帯を見るご主人の表情が今も思い出されます。

具合が悪くなると、細かい字が苦痛でちょっとの返事も打てなくなるということが、わたしも最近わかりました。
生前、事あるごとに言われていた言葉「60を超える時が危ないのよ。気をつけなさい。」
あたってましたよ、Sさん、見事にやられました、
わたしにはあなたのように画才もないし、せめて「マルガリータの遺言」とでも変更するしか


福島章 『父親殺し』

2011-08-28 21:55:51 | 本 MEMO


書店の“ふ”欄、藤原智美の隣にあって、福島章にこんな本が?という感じで購入、
精神分析、犯罪心理、精神鑑定で有名な方ですが、70年代の若者の反乱の分析と同時に、
著者の医学者としての心情履歴がタペストリーのように織り込まれている異色さには、びっくりしました。

指導教授の指示に従い「精神分裂病」と診断すれば、心神喪失か心神耗弱で無期懲役か無罪になる可能性があった事例、
結果的には正しい診断だった「刑事責任能力あり」だが、被告人の死刑までの20何年の心情吐露と社会分析には考えさせられました。

被告人に対し逆転移までおこし、真剣に取り組みすぎた結果、
 ・指導教授に対する<父親殺し>の<行動化> ~自分には学問上の子供がいない。
 ・「犯罪者という種類の人間が、自分に関心を抱かない人間には憎しみも抱かず、矛先も向けないが、
   なまじの関心や理解を示す人間には、徹底的に彼らの攻撃性をぶつけてくるものだ…」
  「…自分に対する他人の理解や共感をそれとして受け止め、それを理解し答える能力が著しく欠けていた…」

70年代、学生運動等で<父親殺し>をした世代は、自分が<父親>であることを意識的、無意識的に拒んでいたので、
自分の子供をうまく育てることができなかった。
 
今や、本格的な<父親なき社会>の出現、かつて父親を殺した若者たちは、年をとっても、自分たちが父親になることができない。


精神医学、刑事裁判のあいまいさ、それに携わる方々のご苦労、
偶然に手に入れた書物でした、やはり本は開架から。

6鉢の新着バラ&クレマチス

2011-08-27 21:51:20 | マルガリータの庭・8月
長かった8月も、ついに最後の土日、久しぶりにジョイフル幸手にでかけました。
バラも、汚染問題の堆肥もほしくはなく、習慣でサアーッと状況を見ておきたかっただけなのですが、
ここでももう、ちょっとした“顔”で、「安くしましょうか」みたいに声をかけられて、

一鉢手に取れば、あとはあれもこれもの世界で、
何故か持ってなかった「ナエマ」「シャンテ・ロゼ・ミサト」に~デルバール5鉢に京成一鉢、





かたわらの、綺麗なセンニンソウも…といった具合です。
  

誰が鉢増しとかするんでしょうか

Hanging(ハンギング)とは?

2011-08-26 20:51:58 | 本 MEMO
昨日の『藤原智美』稿の続きです。

「ハンギングバスケット」とは、小さいカセットに苗を20以上差し込み、空中につるして飾る一種の寄せ植え、
英国が本場で、日本でも技術の向上と普及のために“マスター”が活躍しているのですが…

私のマスター資格活用がなかなか始動しないのが、「ハンギング」は和製英語?という思い込みからで、
ハンギング~つるす~絞首刑~の連想が浮かんでは消え、自縄自縛で動きが取れない状態に陥ってしまっていたせい。

ところが先日のボストン近郊の園芸店で見た「Hanging Sale」の文字が『藤原智美』を読んでいる最中に浮かび上がり、
「アメリカでもハンギング?~もともとの単語だった~」と不思議に納得がいってしまったのです。
    (いまだ本当のところは分からないのですが


もう一つの「ハンギング」、
ゲーリー・クーパー晩年の異色西部劇「縛り首の木」は、クーパーらしさが色々出ていて、何度も見ました。
ドイツの名女優マりア・シェル(弟がマクシミリアン・シェル)をハリウッドデビューさせるにあたり、
老いたりとはいえクーパーを配したのでしょう。
  

クーパーは相手役への好悪がスクリーンに出てしまう、永遠の大根?
そういうところが、ファンにはまたたまらないところなのですが。
この作品でも、まったく気乗りしない様子で、マリア・シェルが気の毒になってしまいます。
体調もすでに、だいぶ悪かったのでしょう、

西部劇スターが皆、がんで短命に亡くなったのは核実験場ネヴァダのロケで灰を吸い込んだから、というのは、
今や大注目作家、広瀬隆の『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』に詳しいですが、
気がつけば、クーパー享年60才を超えてしまった私、クーパーの分まで見果てぬ夢を追うべきなのかどうか

藤原智美の2冊から

2011-08-25 10:39:54 | 本 MEMO
      

軽い気持ちで読み始めましたが、この著者の文体リズムが心地よくて、続けてもう一冊も読了。
“文体に恋する”などはじめてのことで、悪体調で内省するばかりの日々で感性も鋭敏に?
「書いた文章を音読して、校正する」手法の成果でしょうか。


『文は一行目から書かなくていい』2011.5.30
 
 最終章の「心に引っかかったピースをすくいあげる」の項、文章の統合力うんぬんを読んでいる最中に不思議な体験をしました。
文章の統合力とは、
 「重要なとっておきのもの(いい思い付きや有益な情報や知識など)が、バラバラな断片として自分のなかに散らばっている」
 「つまりはそれらを統合する力…  言葉の統合力」
 「トランプゲームの神経衰弱に似ている~ 書くということは、心の動きに引っかかったピースを、すくいあげて言葉にする行為」
 
   「伝わる」文章を書くことの秘訣を一つにまとめるとすると、
       それは日々の心の動きをないがしろにせず、自分の内面に目をとめて、
       それを言葉として残しておくこと以外にないのです。
       回りくどい方法のようですが、これが文章術の王道です。


やっと、不思議な体験談ですが、読んでいるうちに先日来のモヤモヤしていた事柄が一つに統合したのです。
①G・クーパー「縛り首の木」(The Hanging Tree)、②ハンギングマスター、③東海岸で見た「Hanging Sale 」の看板
 ~明日につづく~

今日のバラ ギー・サヴォア

2011-08-24 15:27:04 | 今日のバラ
6月に伺った新潟柏崎のI氏からのお便りにも、「バラも少しずつ動き始めました」と。
週末の長雨にも負けずにギー・サヴォア
最初の一花、つぼみから開花まで見られました。

  

    久しぶりの朝日、気持ち良い7時前の光の中で

     フランスバラらしいあでやかさで、新庭入口アーチの顔になる日も近いのでは。

      

  左上のタグにもあるように ギー・サヴォアは世界中のセレブが集うパリの三ツ星レストラン、予約も難しそうですね。

雨に煙る、池の平湿原の花

2011-08-20 20:55:43 | 軽井沢 箱根 鎌倉 葉山 日光 房総 
雨天決行! 7月にシャトルバスに乗らないで後悔、後悔池の平湿原リベンジです。

マイカー規制が解けた直後か、今日は駐車場まで乗り入れられるようですが…
 

林道はその名の通り一車線、右片側はがけ崩れあとの赤土、赤岩にネットがはるか上からかかり、
左側は、よく見えないが崖のよう、雨で少々怖い。
2,3台のすれ違った車は、折よく皆、待避線近くだったので一同皆、「ラッキー!」でした。
  

2000mの高山、雨と寒さの上に軽装備のわれわれは、ツァーの中高年の準備怠りないいでたちに圧倒されました。
あの人たちも、残り少ない花期を楽しみに来たのでしょう、雨をもものともせず。
 

   

 夏の終わりの風情です☆

 なんとも幻想的☆

 
  
 
 

追~ 高山植物の女王コマクサ  何年か前に訪れた時に粗い網で覆われた中にひっそりと咲いていたのが思い出されます。


雨の北軽サイクリング

2011-08-19 20:54:23 | 軽井沢 箱根 鎌倉 葉山 日光 房総 
朝から降ったり止んだりの雨模様です。保安員が屋上から何かを点検してます。
     屋上から下の池をのぞくと~

めずらしくもジャスミン様と、ホテルの自転車でコンビニまで(アップダウンの悪路往復6キロ)、
  

 足が長すぎる?

雨の合間に行くつもりが、コンビニにつくあたりからぽつぽつときて、
帰路は本降りの中を、登りになると自転車を降りて~、ゴアテックスでもずぶぬれに。
(この時の冷えが翌日の背痛の原因かも?)

午後から、こゆき様、アキト様、1188様、順次到着、
あさってから2週間のチェコ出張のアキト様の歓送を兼ねて、<ラ・ベリエール>のフレンチを楽しみました。

  

                

軽井沢も暑い、熱い

2011-08-18 20:50:08 | 軽井沢 箱根 鎌倉 葉山 日光 房総 
寒い国から帰ってきて、昨日、一昨日くらいは、「夏はこうじゃなくちゃ」など余裕でいられましたが、
昨夜から今朝の暑さは半端でない、避難区域!の2階の温度計は昨夜から今朝までズゥ~ッと34度を下がらない
今夏最後の猛暑日らしいです。
言うだけ。発音するだけで暑くなりそうな『練馬』です。今夜は軽井沢、と思える事だけが救いです。

新宿でDr.Rに診て頂いて一安心、
乗り継ぎよく上野からPM1時半過ぎには軽井沢、あっという間で、「気持ちが追いつかない…ジャスミン様」
  妙技連山も暑さで?ぼやけて煙っています。

予想通り、軽井沢アウトレットも暑い、人込みも熱い、
 

わんちゃんも、特に毛並ふさふさの大型犬は、かわいそう、これで2頭目の目撃、
  うちわより、水の方が…

  
かわいそうな“JIPPEI”?ちゃん、この後、姿が見えなくなったので回復してくれた?

それでも北軽の1130mまで来ると、さすがに一息入れられる状態で、恒例の浅間ウォッチング~
   

    

冷たい軽井沢の水を飲み、温泉、夕食後は、心地よい睡魔に襲われました(いまだ9時前)
 

旅の LIGHTHOUSES ①

2011-08-16 21:37:21 | アメリカ   
海岸線を行く旅、初期の移住者達(連邦政府)が英仏からの海岸防衛~灯台にかけた必死な歴史を学びました。






カナダ HALIFAX   PEGGY’S COVE LIGHTHOUSE '11,8,7




カナダ ST MARTINS  11.8.11  土産物屋の写真と、インフォになっているレプリカ
    

                        (本物は、双子の橋のそばにあったはず)

 灯台は、この景色の中に?橋に夢中で、灯台を探す気なく…

③ 続く~





ポートランド~セーラム~ボストン

2011-08-15 04:02:52 | アメリカ   
リージェンシーのクラシックなイングリッシュ・ブレックファスト、執事?も格式ある中にユーモアあり、
  

~高速で、1時間半、途中の園芸店に引っかかったりしながら~
  
 夏物最終セール、ハンギングが9.99ドル、800円。

魔女狩りのセーラムまで。
ボストン空港14時なので1時間半しかないが、時間が必要な町だったのです(*_*)
どの館も小1時間はかけたい盛りだくさんの内容で、赤い歩くトレイルなど往ったり来たりしていたらなにも見られない。
車でめぼしい建物の外観のみ見て、後ろ髪を引かれつつ…
   

レストラン?

  
N.ホーソーン『七破風の家』 あらすじ 忍者屋敷みたいだとか。


 Derby Wharf
「七破風」の前庭より左右にひらけるSalem Harbor 右が 往年の埠頭で、もっともセーラムらしいと感じたダービー埠頭灯台
  セーラム入植より前のプリマスetcでは農耕地を内陸に求めてインディアンとの対立を招いたが、
  セーラムは海外貿易中心で、この埠頭に様々な荷が揚げられたという。

 

 

その後空港まで、この旅初めての渋滞15分、跳ね橋の待ち時間でした。
 

こんな思いまでしてきたボストン空港では、空の混雑で、搭乗口で1時間、飛行機内で1時間以上の待ち!
 

やっと経由地N.Y.JFK空港です。
 特にスペインバルセロナ行乗り継ぎは切羽詰まったことに、
 二人分ある太ったおばさんが、グループのパスポートを集めて駆け去ったのには、こちらも幸運を祈るばかりでした。

東京行はそれでも2時間あり、ほっとしましたが、
やはりラッシュで、滑走路が15番目とかで40分近く機内で待ちました。
  

<追~>
旅の終わりの感想がまだでした。

直上の機内写真に偶然写りこんでいる副島隆彦 「大災害から復活する日本」の文中にある、
 “……残念ながら日本はこの二つの大国(アメリカと中国のこと~マルガリータ註)の中間で生きる小国でしかない。
   日本の運命は、だから『風の谷のナウシカ』なのだ。
   宮崎駿監督が描いた、二つの強大な国の真ん中の風の谷のところで生きているナウシカという国だ。
   薄く微量に放射能で汚染された空気の中で生きていく国民なのである。……”

という気分がこの旅にはずっとついて回っていたのを、改めて意識しました。
この部分はまだ読んでいなかったのですが。

それにしても、カナダ、アメリカの人たちは優しかった、
東海岸の冷たさは、全然感じませんでした。田舎ばかりの旅もいいもんです。
アメリカン航空の帰りも、同じ客室乗務員で、彼女(ボスのおばさん)も大喜び、
16席のファーストクラスに6人しかいなくて、それはそれは至れり尽くせりでした。

総括になってない?


   


カムデンからポートランド

2011-08-14 10:37:33 | アメリカ   
カムデンの朝の港に降り、映画の跳ね橋を探し回りましたが、分からずじまい、
  

Owl's Head の灯台が素晴らしく、 そこでのパンフから、突然の灯台ウォッチャーに一同変身です。

Marshall Point Light はこのエリアの知る人ぞ知る~の穴場かも。



1号線を南下、フリーポートの町全体がアウトレット、 円高、セールで、荷物を気にしながらも、靴にバッグにシャツに(笑)

ポートランドで、灯台5個追跡、


この旅最後のリージェンシーホテルは、趣ある歴史的ホテル




街に3軒ある日本食店のうち、フロント一押しの『与作』の寿司は当たり!でした。
  
味噌汁は味噌スープといって蓮華付き、食事の最初に出てきてしまった。

旅の最後の晩餐で、こちらもリラックス、中年おじさん(52才)の日本人スタッフと意気投合、話がとまらない。

覚書風に~ ①自分はボストン18年のあと、ここポートランドは1年。物価が安く住みやすい。
       ②ポートランドはアイスホッケイとスキー、レッドソックス2軍の街、自分もスキーが大好き
       ③この店の客は99.9%がアメリカ人
       ④本当の金持ちは、アイランダー(島を買い取り)、冬はフロリダへ
       ⑤74~80年の日本食ブーム時に34才くらいでこちらに来た日本食職人がリタイアする時期だが後継がいない。
       ⑥ロブスターはわさび醤油か、中国風に黒く揚げて…が最高
       ⑦こちらの車は5キロ/ℓ、Eになってすぐストンと止まる事もあるから要注意

満腹で、腹ごなしに夜の街を散策、初めてぐっすりと眠れました。
     

旅のハイライト カムデン

2011-08-13 12:48:32 | アメリカ   
映画「イン・ザ・ベッドルーム」 (11月アップの映画評)でみた景色が忘れられず、
紅葉の最高の季節まで待てず、ついにやってきました。

 
 カムデンの港を見下ろす丘公園から、紅葉時は見事です。

  この塔の屋上から撮ったのが上の写真です。

 
 上写真の丘と塔を港側から撮ると…

  映画ではこのアーチが再三出てきます。見つけるのに少し苦労しました。

 

 

   
 地元の人気店、活気がすごい、待たされました。