(16)十和田荘の歌碑(青森県十和田市) 昭和48年8月建立(『盛岡中学校校友会雑誌』より)
明治34年7月、中学4年の啄木は、学友と十和田湖を訪れ、遊悲恋の伝説を取材し、ここでの歌2首を「白蘋」のペンネームで『校友会雑
誌』(明治35年3月号)に発表しました。
十和田荘の歌碑
啄木
夕雲に丹櫂はあせぬ
湖ちかき草舎くさはら
人しづかなり
この歌と、もう1首は次の歌です。
「薨(いらか)射る春のひかりの立ちかへり市のみ寺に小鳩むれとぶ」
遊悲恋の伝説とは錦木塚伝説のことで、今から千数百年前のこと、錦木のあたりに政子姫という娘がいた。錦木を売る若者が政子姫を見て心の底から好きになってしまった。毎日毎日、男は求婚のしるしの錦木を姫の門の前へ立てた。若者は雨の降る日も風の吹く日も、雪の降る日も一日も休まず錦木を立てた。しかしあと一束で千束になるという日、体がすっかり弱っていたため門の前に降りつもった雪の中に倒れて死んでしまった。姫もその二、三日後、あとを追うように死んだ。姫の父は二人をたいそう哀れに思い、千束の錦木といっしょに一つの墓へ夫婦としてほうむった。その墓のことを錦木塚とよんでいます。
『盛岡中学校校友会雑誌』明治35年3月号 署名 白蘋
1.曙に春の驕りの鑿(のみ)の香や奈良の木立に人想ひあり
2.右手のべて扇にうけぬ藤棚の藤の滴の香に匂へとぞ
3.羊よぶ調みだれぬ野の中の古江のあたり桃の花散る
4.鞍壺(くらつぼ)に桜かつ散る森の下道塔(あららぎ)高く月出でにけり
5.森の水に墨染衣名を云はずうしや経の手涙にぬれぬ
6.夕雲に丹摺(にずり)はあせぬ湖(うみ)ちかき草舎くさはら人しずかなり
7.薧(いらか)射る春のひかりの立ちかへり市(いち)のみ寺に小鳩むれとぶ