(14)釜石緑地植栽帯の歌歌(岩手県釜石市青葉通り) 平成27年10月建立 (『一握の砂』より)
明治33年の三陸旅行は、明治29年に発生した三陸大津波の4年後で、啄木は釜石にも来ました。三陸大津波では死者2万人を超える被害者を出しております。釜石では啄木の足跡を後世に伝えようと、東日本大震災から4年目にあたる平成27年10月に啄木歌碑を釜石市青葉通りの緑地植栽帯に建立しました。
ゆゑもなく海が見たくて
海に来ぬ
こころ傷みてたへがたき日に
啄木
釜石は鉄の街として栄えてきましたが平成にはいり高炉を止めたこともあり最盛期には9万人いた人口も今では半分以下になっております。昭和の時代にはラグビーの街ともいわれ全日本選手権で7連覇の偉業を達した時もあります。