梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

No.21 「梅之的『寺子屋』雑感

2007年07月27日 | 芝居
今回、播磨屋(吉右衛門)さんの監修・指導で勉強できることとなりました『菅原伝授手習鑑』のハイライト「寺子屋」。
義太夫狂言屈指の名作&大作を、若手中心のメンバーで上演できることは大変意義深く、出演者一同張り切っております。

今回は本興行でも時折しか上演されない<寺入り>からの上演となります。源蔵夫婦のもとへ、松王丸の女房千代が小太郎を伴って弟子入りのお願いに来る件からはじまりますので、ストーリーがわかりやすくなると思いますし、主君のために我が子を犠牲にする松王丸夫婦の哀しみもより深まるのではないでしょうか。千代の下男三助の、チャリがかった見せ場もございますし、涎くりもさらに活躍いたします。重苦しいとか難解とか、とかく丸本狂言につきものの印象を覆すような、ドラマとしての歌舞伎をお楽しみ頂けると思います。

さて、この狂言は、浄瑠璃本文を読みましても、大変味わい深いものがございます。竹田出雲・並木川柳・三好松洛・竹田小出雲という、当時の名だたる浄瑠璃作者が腕を振るった作品だけあって、その詞章、筋運びには、さすが手練の腕前といった趣きがございまして、そうしたコトバの魅力をも、演者は十分踏まえて演じなければなりますまい。役者の演技と義太夫の語り。これらが一体になれれば、この芝居の素晴らしさはより輝きを増すといえましょう。

一幕の最終、主君菅丞相の一子菅秀才の身替わりとなり幼い命を散らした、松王丸の一子小太郎のための弔いの場面では、皆様ご存知の《いろは送り》と俗称される浄瑠璃が語られます。

いろは書く子はあえなくも 散りぬる命是非もなや
明日の夜誰か添え乳せん らむうゐ(憂い)の目みる親心 
剣と死出の山けこえ あさき夢みし心地して 跡は門火にゑひもせず 
京は故郷と立ち別れ 鳥辺野さして連れ帰る


いろは歌を下敷きにしながら、幼い命が大義のために失われた悲しさ、無常観、せつなさがひしひしと伝わってくる詞章だと思いませんか?
とりわけ私が心うたれますのは、「鳥辺野さして連れ帰る」というところです。芝居では、松王夫婦、源蔵夫婦、そして菅丞相御台所の園生の前と一子菅秀才の計6人が<絵面の見得>でキマって幕となりますが、この浄瑠璃の詞を読む限りでは、明らかに松王夫婦は死んだ我が子、小太郎の亡骸を「連れ帰る」のです。その光景を想像してみて下さい。どんなに悲しい、つらい情景でしょう。
まだ「添え乳」していたような我が子、やっと「いろは」を習いだしたばっかりの息子を、わざと人手にかかるように送り出した夫婦の苦節、覚悟…。
あの立派な駕篭に葬られた小太郎と、松王夫婦が、どんな思いで芹生の里から当時の葬送場である鳥辺野へ帰っていったと思うと、本当に悲しくなるのです。そしてそんな一日の出来事(あるいは小太郎と過ごしてきた日々)が「浅き夢みし心地」だったなんて…。

門火に焚いた煙のように果敢ない一生を送った小太郎への鎮魂、武士としての生き様と親子の情の葛藤、深い想いをのせてこの浄瑠璃は語られます。
古くは役者たちの<割りぜりふ>として語られていたこの件を、本行に則して義太夫にとらせたのは、実は近世のことでございますが、居並ぶ人々が無言で焼香してゆくだけの場面を、素晴らしい見せ場とすることができたのは、ひとえに浄瑠璃の詞章、曲付けの素晴らしさでございましょう。
どうぞ皆様も、この幕切れのひと時を堪能していただきたいと存じます。