梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

No.6 梅之的『勧進帳』雑感

2007年07月08日 | 芝居
メッセージをお寄せ下さった、新蔵さん、左字郎さん、升一さんが出演する<歌舞伎十八番の内 勧進帳>。勉強会の舞台でこの演目が上演されることといい、出演者全てが門閥外の名題、名題下俳優であることなど、誠に画期的な企画がついに実現いたしました。
上演をお許し下さり、監修・指導をお引き受け下さいました成田屋(團十郎)さんには深く感謝申し上げなくてはなりません。一同全力で取り組みますのでなにとぞご声援のほどよろしくお願い申し上げます。

さて、『勧進帳』は言わずと知れた歌舞伎界の代表演目。“歌舞伎十八番”を制定した7代目市川團十郎が初演、“劇聖”9代目市川團十郎が演出・演技を練り上げたものが今日のスタンダードとして伝わっております。
どの役どの場面にも<定式>があり、約束事、心得事ばかりなのもこの演目の重さを表しているのですが、ご覧頂くお客様にとりましてもお馴染みの狂言ゆえ、今さら<見どころ>や<解説>などは必要ないでしょう。

弁慶の台詞の量は大変なものですが、ほとんどが仏教用語、漢語ばかりの文語体。あらためて台本を読んでみますとある意味「勿体ぶった」言葉遣いであることに気がつきます。でもそれは、富樫の詰問に対して、あくまで山伏らしく応答するための弁慶の知恵、ある意味虚勢を張った応酬(現在でも難しい横文字を並べたてて聞く者をケムにまく“知識人”は多うございますな)なのかもしれません。(命の瀬戸際でこんなにボキャブラリーを駆使する弁慶ってスゴいですね)

『大恩教主の秋の月は 涅槃の雲に隠れ 生死長夜の永き夢 驚かすべき人もなし。
ここに中頃の帝おわします 御名を聖武皇帝と申し奉り 最愛の夫人に別れ 恋慕止みがたく
涕泣眼に荒く 涙玉を貫く思いを善路ににひるがえし 上求菩提のため盧遮那仏ト建立したもう。
しかるに去んじ治承の頃焼亡しおわんぬ。 かかる霊場絶えなんことを嘆き 俊乗坊重源勅命ナ蒙って 無常の勧門に涙を流し
上下の真俗を勧めて かの霊場を再建せんと 諸国に勧進す。
一紙半銭 奉財の輩は 現世にては無比の楽に誇り 当来にては数千蓮華の上に座せん。
帰命稽首 敬って白す。』


最初の見せ場、<勧進帳の読み上げ>だけでコレですよコレ。

「お釈迦様が亡くなられてから、この世の迷いを晴らしてくれる人もおりませんが…。
それほど遠くない昔、聖武天皇という帝がいらっしゃいましたが、最愛の夫人に死別してからというもの、恋しさは募り、流す涙は玉石に穴をあけなんとするほどでしたが、その思いを善行に向け、拝むことで悟りを得られるようにと、お釈迦様の像をお建てになりました。
ところが去る治承の頃、像は燃え尽きてしまいました。このような霊場が廃れてしまうことを嘆き、俊乗坊重源という僧侶が、天皇の命を受け、荒れ果てた姿に涙を流しつつも、在家出家の信者に働きかけて霊場再建の寄付を全国で募っております。
僅かな金品でも寄付して下さる方は、この世では比類のない安楽をえるでしょうし、来世においては極楽往生間違いなしです。ご寄付のほど、伏してお願い申し上げます。」

訳してみましたけど、しまりませんね。
意味がわかんなくたって聞き惚れちゃう台詞回し、言葉の力が『勧進帳』にはあふれています。新蔵さん弁慶と升一さん富樫の、“成田屋兄弟弟子”同士の<山伏問答>など、今から楽しみになりませんか?


それから、<四天王>の方々の演技にも是非ご注目頂きたいです。四天王はじっと控えている時間が多いお役ですから、ついつい弁慶や富樫の演技に目が行きがちなのですが、実は要所要所で弁慶たちの芝居に反応し、さりげない演技で舞台を締めてくださっているのです。「義経を守る!」ための存在である彼ら四天王が、どのような気持ちで舞台に<いる>のか、せっかくですので感じて頂きたいものです。

普段子役さんが勤める太刀持ちは、今回は我々出演者の中から出します。誰なのかは当日までのお楽しみ。でも出てきたら、なるほどねェと膝を打つかもしれませんよ。痺れを切らさないでね、T君!

…私たちの手で演じる『勧進帳』、どうぞご期待下さい!