このような雑誌を買いました。
このブログでも何度か書きましたが、タカ長の登山はピークハント型の180度逆のものでした。
気に入った山には何度でも行きましたが、関心のない山には登る気がしなくて、未踏のまま時が流れました。
この祖母山には興味がありましたが、これまで登る機会がありませんでした。
阿蘇山や久住山には何度も言っているのですから、機会がなかったのではなくて、機会を作らなかったというほうが正確だと思います。
そのような状態で時が流れ、この歳になって、後がなくなって、、、、
やはり一度くらいは登らないと、、、、と考えていた時にこの本を知りワンクリックしたわけです。
この頃の山歩きは、タカ長的にはしっくりこなくて、何となくストレスがたまってゆくような気がしています。
その原因は色々あるのでしょうが、人に責任転嫁しても仕方ないので、タカ長の問題として考えると、、、、
要するに自分のチームを掌握することができなくなっているのかもわかりません。
このような状況で、多くの人を引きつれて山に行ってもその責任が取れないので、、、、
そのような登山は誰かにゆずり、タカ長はこじんまりとした登山がしたい、と考えるようになっているのです。
このような心境の変化が起きるのも加齢現象でしょうか?
そのようななかで、行き先として考えているのがこの祖母山と穂高です。
春は祖母山で秋が穂高、、、、といっても穂高の稜線を足を痛めることもなく歩ききる自信もないので、穂高といっても涸沢までのつもりです。
タカカノと涸沢でテント暮らしをしながら穂高の稜線を歩くなど、タカ長なりの思い出が色々ある穂高にお別れの挨拶に行くのも悪くないなぁ、、、
というような理由で、涸沢行きを考えているのです。
来年は80歳になり、脚力も体力もおとろえていくばかりなので、来年を逃したら穂高に行くチャンスはなくなるはずです。
紅葉の写真を撮りに涸沢に行くのが登山といえるのかどうか分かりませんが、、、、
タカ長的にはそれも立派な登山、純粋にその登山をしたいと考えているのです。