タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

古い山の友

2019年02月27日 | 山歩きから
    

先日紹介した写真ですが、、、、

このころの友だちのところへ遊びに行きました。

この写真には写っていない古い山友だちです。

彼はこの歳になっても山の中の町で仕事をしています。その職場にタカカノと行ったわけです。

タカカノも同じ山の仲間ですから話に花が咲きます。

いい加減なこともしていた若き日をお互いに知っているのですから、飾ることなど何もありません。

彼ら夫婦とのおしゃべり会は久しぶりでしたが、お陰様で楽しい時間を過ごすことが出来ました。

    

彼らと山の話をしていると、いつも話題になるのが、高名な登山家高見和成さんのことです。

登山をされている人なら誰でも知っている、というのは言いすぎかも分かりませんが、日本を代表する登山家でした。

NHKの「中高年の登山教室」にも寄稿している文章家でもありました。

その彼は冬の大山北壁で遭難死しました。

もう、そのような登山は止めておけば良かったのに、、、、彼が行っていた「自称文化人もどき」の活動をしていれば死ぬこともなかったのに、、、、、、

というのが私たちの思いであり、同じような思いを持っている高見さんの友だちは多いはずです。

    


私たちの山グループでログキャピンで宿泊したとき、彼を呼んだら、天ぷらをふるまってくれました。

何事にも凝り性の彼は、温度計で油の温度を測りながら天ぷらをつくっていました。

翌朝はヒマラヤ登山の時に覚えたチャパティをつくってくれました。

話すときチョットだけどもる癖があるのですが、その笑顔は素敵で多くの人に愛された登山家でした。

果実酒を何度かもらったことがありますが、彼は入れ物にする瓶に「Takami original」と書かれたラベルを貼っていました。

愛飲家だった彼は、近くの山に登るときは一升瓶を持って登っていたようですが、その一升瓶をそのまま持って行くのではなくて、それ用の籠に入れていました。その籠は奈良県の何とかさんにつくってもらった、、、、、とか。

山のレベルはタカ長たちとは違いすぎて、連れて行ってくれと頼んだこともありませんし、一度だって誘われたことはありません。

しかし、文化人もどきの活動では少しは彼に協力していたので、想い出はたくさんあるのです。

久しぶりに古い山の友だちと色々なことを話していると、どうしても彼の話が出てきます。

言っても仕方ないことですが、、、、、遭難死しなかったら今でもいろいろな遊びが出来ていたのに、、、、

そのように考えると残念でならないのです。

    

彼が遭難死した年の6月に仲間たちと大山に行きました。

今日の画像はその時のものですが、このような雲がかかった北壁に向かって慰霊したものです。

早いものであれから10年以上の時間が流れましたが、彼のことを思うとそれだけの時間が過ぎたような気がしません。

彼は私たちの心の奥に今も住んでいる、ということなのでしょうか?

ともあれ、今日は古い山の友だちといい時間を過ごすことができました。



3軍の宣伝です

2019年02月26日 | 山歩きから
    

思うところがあって、長い間物置で眠っていたガスバーナーを持ち出しました。

今日は天気が良いので、46番鉄塔に行って湯を沸かし、熱いコーヒーを楽しみたかったのです。

中国自然歩道を歩いて、70番ラインの高圧線の下で皆さんと分かれ、3軍の4名は46番鉄塔にひき返しました。

     

春ですね。46番鉄塔の下は風がありましたが、寒さを気にするほどではありません。

そこで湯を沸かし、、、、、、

    

コーヒーをいれます。

ガスバーナーは正常に作動してくれて、思ったより早く湯がわきました。

ガソリンを使用する「ホエーブス」は危険なので、整備しないと持ち出せませんが、その点ガスバーナーは簡単です。

一度だけ家で点火実験してから持って行きました。

     

熱いコーヒーを飲みながら井戸端会議。

このような時間を過ごすには最高の季節になりました。

おしゃべりしていたら、、、、

    

本隊の人たちが早めにやって来て、、、、

あらためて湯を沸かし、、、、

皆が持っているコーヒーやお菓子を出しあい、ミニショップ(?)を開くことになりました。

3軍ショップにこれだけの人が集まることを想定していなかったので、限られたコーヒーをシェアすることになったようです。

それもいいじゃないですか。遠慮する間柄ではないのですから、、、、、。

とにかく、今日の3軍は最高でした。

これから気候が良くなればますます良くなります。

体調の良くない人はもちろんですが、気分転換をしたい健脚の人も歓迎しますから、是非3軍に来て下さい。

3軍はいいですよ。





風光る

2019年02月25日 | 山歩きから
    

独りで裏山を歩きました。

そのコースです。いつもの駐車場からスタート、50番鉄塔⇒71番鉄塔⇒大杉集落⇒中国自然歩道⇒いつもの駐車場。

この軌跡を時計回りに歩きました。

勝手知ったるわが裏山ですが、思い返してみると、このような歩き方をするのはあまりなかったような、、、、、。



面白いことに気がつきました。大雑把な時間ですが、いつもの駐車場から

第一休憩所まで30分  そこから50番鉄塔まで30分

そこから71番鉄塔まで30分 そこから大杉集落まで30分

そこから自然歩道入り口まで30分、、、、そして、、、、

自然歩道の入り口からいつもの駐車場まで60分。

つまり30分の倍数でコースが決まっています。

このコースタイムは案外正確なことに気づきました。タカ長の歩きにはロスタイム、つまり道草があるので多少のブレはありますが、それは誤差の範囲です。

8時過ぎにいつもの駐車場を出発し、大杉集落をスタートしたのが10時10分でした。

このように正確な30分ピッチの山歩きが出来るコースでした。

    


50番鉄塔には光があふれていました。

少しだけ風がありましたが、冷たい風ではありません。汗かきのタカ長は、上半身は夏スタイルでした。

そこに吹く風が気持ち良かったです。

海のほうは光っていて、海面は良く見えませんでした。明るすぎました。

この風景に見送られて尾根を北に向けて縦走、71番鉄塔を過ぎて大杉集落に向かいます。

    

71番鉄塔から見まわしても、雪のある山は見えませんでした。

すぐに歩き始め、、、、

    

大杉集落につきました。

ここも風が光っていました。

この風景を撮ってから10:10出発。

    

今度は71番鉄塔を見上げながら荒谷林道を下り、中国自然歩道へ。

そこからのんびり歩きでいつもの駐車場に帰ってきました。

    

スマホが記録した本日のデータです。

精度はどの程度のものか分かりませんが、大きくは違わないはずです。

歩数は15,300。

天気に恵まれて快適に歩くことが出来た今日の裏山歩きでした。






正直だなぁ

2019年02月24日 | 日々雑感
    

毎月第4日曜日は団地の「日曜市」です。

その核となるのは山陰浜田からの鮮魚ですが、それだけではありません。

この日曜市は団地住民の交流の場ですから、自分の家庭菜園で採れた野菜を販売したり、近くのパン屋さんが店を出したりします。

焼き芋を販売する人もいます。要は賑わいづくりですから、色々な人が色々なことをされることがいいのです。

    

私たち山グループはコーヒーショップ(?)を開き、女性グループはぜんざいなども販売しています。

その店は鮮魚が届く前から店開きしています。

    

それらを買って、そばのテーブルに集まって井戸端会議です。

そのような日曜市ですが、今日は天気が良くて来場者が増えました。

正直なものです、天気が良いと人も集まるのです。

    

井戸端会議をしているときに魚屋さんがやって来ました。

タカ長は魚の値段など分かりませんが、何より新鮮な魚が届くことが人気を呼んでいるのでしょう。

    

これだけの人が来ますが、この中でプロの人は魚屋さんとパン屋さんが一人ずつ、計2名だけです。

そのため魚屋さんやパン屋さんのレジ係など団地の仲間が努めています。

そのようなボランテァをしているので、価格的にも安いはずです。

何はともあれ、今日は天気が良くて、多くの来場者が楽しい時間を過ごしました。

それは良いのですが、、、、来週のファミリー登山の日はいまのところ雨予報です。

そちらのほうが気になります。



    

あの頃の山メシ~7

2019年02月23日 | 山歩きから
菅平高原で

「あの頃の山メシ」シリーズで使う写真を探していたら、このような写真が見つかりました。菅平高原で撮ったものです。

    

その年のゴールデンウイークは大荒れで、山では遭難事故が多発しました。
タカ長たちは登山とは言えない高原めぐりをしていたので、山岳遭難を心配することはありませんでしたが、、、、、

夜間の強風のためテントのそばにあった東屋が風で倒れてしまいました。そのときの写真です。

テントを張る場所が少し違っていたら、あの屋根が睡眠中のタカ長たちを直撃して、大変
なことになっていたかも分かりません。
そのように考えると今でもゾッとします。その証拠写真です。

    

広い菅平高原のどこにテントを張ったのか、そのような具体的な記憶はありません。そのテントをベースに高原を歩いたり、根子岳や四阿山に登ったり、、、、、

    

どちらの山頂で撮ったのか記録していませんでしたが、山頂から見おろした山は冬同然だった記憶はあります。

    

下山したあとは足を洗い、汗を拭いてから夕食の準備、、、、
そのときどのような夕食を準備したのでしょうか。

    

その記憶はありません。徳永哲哉ガイドの本に触発されて書き始めた山メシシリーズですが、その中身の記憶が残っていないことに我ながら驚いています。

3軍歩きそして、、、、

2019年02月22日 | 山歩きから
仲間たちとの裏山歩き、今日もタカ長は3軍担当です。

3軍というのはプロ野球にならって、故障者リストに入った人を別メニューで歩いて頂くものです。今は膝に問題をかかえた人などが3軍にリストアップされています。

    

この制度、始めてから時間が経っていませんが、我ながらいいことを考えたと自画自賛しています。今は1軍では無理な人が3軍で歩いていますが、タカ長の思いでは、3軍は故障者だけのものではありません。

体調には問題がないけど、今日はのんびり歩きたいから3軍で、、、、とか、、、、
昨日は忙しくて寝不足になったから3軍へ、、、、
というような人がいてもいいのです。

    

わが裏山は分県登山ガイド式に表示すると、体力度は「1.5」にはなると考えています。そのためタカ長は「裏山を歩くことができれば、全国どこの山でも歩ける」と言っているのです。

そのような裏山ですから、故障者リストに入っていない人でも、その日の気分で少し楽な「体力度0.8」くらいのコースを歩きたくなっても何の不思議もありません。

そのうえ高齢化の問題です。

加齢にともなって脚力差が出てきます。そのとき自分は「体力度1.5の山」を歩くことが出来ないから裏山歩きを遠慮する、というのが一番良くないパターンだと思うのです。

そこで3軍制度です。

この呼び名は仮称ですから、おいおい正式名を考えるとして、要するに別メニューで裏山を歩く人がいてもいいと思うのです。

    

今日の軌跡です。
3軍は椿尾根の第1休憩所からひき返して、自然歩道に入り46番鉄塔に行きました。

46番鉄塔でコーヒータイムを楽しみましたが、1軍の人たちが想定より早く下りてきたので、チョッと忙しいコーヒータイムになりました。

その理由は下記の通りです。

ご近所さんのしだれ梅が見ごろになったので、皆で行って見させてもらうことにしたからです。

その写真を紹介します。

       

       

    

見事なしだれ梅ですが、ご主人によると今年のできは「イマイチ」ということでした。

今日のデータです。

      

今日はスマホのスイッチを切るのを忘れたので、自宅までの高度差になっています。

その部分を補正して考えると累計標高差が400メートル以上で、歩数は7000歩超でした。

3軍でなくてもこれだけ歩けば、健康維持のための運動としては十分ではないでしょうか。

この数字からも3軍の存在意味が見えるようです。

久しぶりの単独行

2019年02月21日 | 山歩きから
今日の画像は昨日のものです。ここに写っている登山者は、先行されていたIさんたちのグループです。

昨日は2万歩以上歩いたので今日は休養日です。

今朝は疲れて起き上がれなかった、というようなことはありませんでしたが、まぁ、無理をする必要はないかぁ、、、、というような気分です。

    

昨日の極楽寺山登山、デジカメ写真に記録されている時間をチェックしてみました。
それによると、廿日市駅から極楽寺まで、分県登山ガイドのコースタイム通りに登っていました。

子細に見ると若干のプラスがありましたが、市街地で工事用車両に邪魔されて思い通りに歩けなかった、というような時間ロスもあったので、それらのことを考慮するとほぼコースタイム通り、と言う訳です。

    

わが裏山を独りで歩くことはめずらしくありませんが、廿日市駅から独りで登った記憶はありません。おそらく初めてのことです。

このコースは、昨日紹介したように「体力度2」の山です。そのためかどうか自分でも分かりませんが、とにかく昨日は「単独行」のつもりでマジメに歩きました。

    

登るペースはもちろんですが、登山道のどこをどのように登るか、そこに足をどのように置いて、そのとき腰の向きをどうするか、そのようなことまで気を配りながら歩きました。

    

間違っても足を痛めるよう、小さなトラブルさえも許されない単独行ですから、当然といえば当然のことです。久しぶりに「単独行の緊張感」らしきものを感じた登山でした。

    

登山中は時計もスマホもまったく見なかったので、今日になって時間をチェックしたくなったのですが、、、、、

その結果を見て、まだまだ登れると自信を持ったような、、、、

だからといって、昨日の疲れかたから「体力的な安全度」が低くなっているように感じたような、、、、、

とにかく、色々なことを感じさせてくれた「単独行」でした。

チョットだけきつい裏山

2019年02月20日 | 山歩きから
昨日は雨で一日チンしていました。

その雨も上がったので、裏山を歩いてきました。

    

そのコースです。

タカ長たちが「裏山」と言っているのは、山と渓谷社の分県登山ガイドにも紹介されている極楽寺山のことです。

いつもはその山塊の東斜面を歩いていますが、今日は思い立って南から登りました。

    

バスとJRを乗り継いで廿日市駅まで行きます。

そこで登山準備をしていざ山頂へ。

    

踏切にさしかかると次の列車が通り過ぎて行きました。

少しだけ市街地を歩いてから山道に入ります。

その入り口では小さな宅地開発の工事が行われていて、念のため作業をしている人に登山口を確認しました。初めての人は戸惑われるかも???

わが裏山、といってもこのコースを歩くことは多くはないのです。

山道に入ればこちらのもの、あとは楽勝コースです、、、、、と言いたいところですが、この歳になると「楽勝」ではなくなってきました。

    

しばらく行くと、先行していたIさんのグループに追いつき、相前後して登ることになりました。

Iさんとはこれまで2度ばかり県内の山でお目にかかっています。

    

その人たちが広島湾の展望を楽しんでおられる間に先行させて頂きました。

ドンガメ歩きのノーストップがタカ長のペースなのです。

     

深い森の中を歩くようになると山頂部です。

この時間は曇っていて、おまけに誰もいなかったので意図した写真が撮れませんでした。

しばらく行くと、、、、、

    

山門の前に着きます。

写真的にはいいところですが、ここからの階段登りは足にこたえます。

もう少し若いころ、、、、

歳をとって山に登れなくなったらお寺参りをしよう、、、、と仲間たちと話していました。

しかし、それがとんでもない目標であることがすぐに分かりました。

この極楽寺に限ったことではありませんが、どこの寺にも多くの階段があり、その階段の段差も大きいのが普通です。

何年も前に四国八十八ヶ所に行ったときにそのことを思い知らされました。

その時代は「今年80のお兄さん」が参拝することなど想定されていなかったのでしょう。

しかし、今は「人生百年時代」です。お寺の階段を見ていると、歳をとったらお寺めぐりをしよう、とは言えなくなりました。

     

手すりにすがりながら登ると杉の巨樹(左)が迎えてくれます。極楽寺に到着です。

展望台で2~3枚写真を撮ったあと山頂に向かいました。

今日は天気がどんよりしていて、気に入った写真を撮ることは出来ませんでした。

    

山頂で昼食を済ませ、拙宅に向けて下山しました。

極楽寺山の山頂にはこれといった展望はありません。

ここから先はタカ長たちの「日常コース」です。特記するようなドラマもありませんでした。

    

分県登山ガイドによると、この極楽寺山の体力度は「2」にランクされています。

広島県には「3」以上の山はありませんから、今日のこのコースは、広島県では第一級のハードコースと言っていいのかも分かりません。

でも、日帰りで1000メートル以上を登降するのは正直疲れます。

団地に帰った時に会った人から「どこに行ったのか」と聞かれ、廿日市の駅から極楽寺山の山頂を通って帰ったところです、と答えたら、、、、

「すごいですね」と言われました。そこで、、、、

「一応健脚ですから、、、、」と答えたのですが、、、、

この返答には少し無理があったようです。

標高差が1000メートル以上あり、歩数が2万歩を超えているのですから、少しくらい疲れるのが「普通」ですね。


あの頃の山メシ~6

2019年02月19日 | 山歩きから
北沢峠

天気予報通り雨になりました。

話題もないので、青春のころの山メシの話題です。

ソロキャンプで、標高的に一番高いところにテントを張ったのは南アルプスの北沢峠です。標高2000メートルくらいでしょうか。

今ではシャトルバスで行くことのできる北沢峠ですが、当時は戸台から歩いていました。テント装備一切を持って標高差1000メートルを登るのは、体力のないタカ長にはきついものでした。

    

その時の戸台川です。奥に見える山が鋸岳の稜線です。
到着した日は雨で、戸台川の様子を見ただけで戸台山荘にひき返して自炊した、とメモ書きしていました。しかし、雨の記憶はありません。

北沢峠に登る日は天気が回復しました。メモには沢に石を投げて足場を作り渡渉した、とあります。しかし、その記憶もありません。

戸台川ぞいを登って行くときに丸太橋を渡るところがあり、重いザックを担いで渡るのがとても怖かった記憶だけは残っています。

    

そのようなことをしながら登った北沢峠のテン場です。ここに写っているのが自分のテントなのか、他の登山者のものか、その記憶もありません。

とにかく、ここをベースにして甲斐駒ヶ岳や仙丈岳に登りました。

仙丈岳の山頂での記念写真です。山頂についたときはガスっていましたが、そのガスもやがて晴れ、雄大な展望が広がりました。その時の記憶は鮮明に残っています。

       

この登山の時に見た北岳の気品のある姿は今もって忘れることができません。そのような風景を見て、この日のタカ長は上機嫌だったのでしょう、我ながらいい顔をしています。

この時の登山は、その後は天気に恵まれ、予備日が余ったので、甲斐駒ヶ岳から北沢峠に下りた後あわただしくテントを撤収し、その足で戸台に下りました。余った時間を利用して戸隠高原のほうを歩きたかったからです。

弱い、弱いと言っても、今のタカ長からみたら別次元の行動力です。やはり、若いって素晴らしいことなのですね。

    

半世紀も昔のことなので忘れてしまったのでしょうが、本当にあの時の山メシはどのように準備したのでしょうか?一切を広島から持って行ったのか、途中の町で調達したのか、その記憶もありません。

山男、といわれる屈強の仲間たちから落ちこぼれた軟弱なタカ長でしたが、それでもテント装備一切を担いで北沢峠に登ったのです。

自慢にも何にもならない、ささやかな山歴ですが、それがタカ長の青春でした。

タカ長的には今も忘れられない北沢峠での生活です。

カガラ山下見登山

2019年02月17日 | 山歩きから
yamakashiさんとカガラ山に行きました。

広島では有名な武田山のそばにある小さな山ですが、正直にいうと最近知った山です。

仲間たちと何度か登ったことがある武田山に登る別コースをチェックするのが目的でした。

    

山陽自動車道広島ICのそば、武田山トンネルの上にある山です。

高度図で三角形に見えるのは武田山で、その左の、ピークともいえないようなところがカガラ山です。

JR可部線大町駅から歩き始め、市街地を歩いて登山口に向かいました。

上の軌跡図で、歩いた軌跡と山陽自動車道を示す緑の線が接しているところがカガラ山です。

    

今回はYAMAPの軌跡を見ることが出来るので、迷うこともなく登山口に着きました。

ここから山道に入ります。

    

今回は最短コースをさけて、名水を賞味できるコースをとりました。

写真のチェックが出来ていないので、画像的にはパスです。そのあと、、、、

    

岩がゴロゴロしている尾根を登ると視界が開けてきて、左側に数字以上に立派な武田山が姿を現します。

今日は天気が良いので、山の景色や市街地を見ながらゆっくりと登ります。

    

初めての道は平凡な登りも非凡な道に見えます。

    

人工林が無かったので嬉しくなりました。

下から見ると山ともいえないような小さな高みですが、実際に歩いてみると味があります。

それを賞味しながら登って行くと、、、、、

    

はい、カガラ山の山頂に到着です。

ご覧のような晴れで、風はない山頂でした。

すぐそばを山陽自動車道が走っているはずですが、車の走行音は聞こえても自動車道は見えませんでした。

    

この山頂のウリはこの風景、三角形の武田山の風景でしょう。

カガラ山の倍の高さのある武田山が思った以上に立派に見えました。

    

山頂にいた地元の登山者にシャッターを押してもらった写真です。

彼が一番気に入っているアングルだそうです。

カガラ山で休憩したあと武田山に登り、下祗園駅に下りました。

武田山は人気の山で家族連れや若いカップルの姿もありました。

途中ではトレランしている若いグループにも遭遇、そう、今日は日曜日でした。

ウイークデイばかり歩いていると、日曜日のこのような風景は新鮮でした。

日曜日はJRの利用もしやすいので、たまには「日曜プラン」を考えないといけないなぁ、、、、

というようなことを話しながら下山しました。

    

早めに下山したので数字的にはこんなものです。歩数は1.3万くらいでした。

タカ長たちにはちょうど良い山歩きが出来るコースでした。