瀬崎祐の本棚

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「花火」 望月遊馬 (2019/10)

2019-12-06 17:59:50 | 詩集
 望月遊馬発行の個人誌なのか、それとも小詩集なのか。A5版、16頁に詩5編を載せている。静かにそっと差し出されてきた風情なのだが、内容は豊かで充実していた。表紙の指先が乱舞する鉛筆画も望月のもの。

 収められた作品の中には燃えるものがしばしばあらわれる。海底では微生物が「ゆたかな心臓を燃やしている」(「夏のすこしの余熱の」)し、北の山には「燃えさかる心臓が埋まっている」ようなのだ(「花火」)。そして冒頭の作品「流星群」では「父のおもざしが燃え」るのだ。そのものたちが存在するためには不可欠なものが燃えて形を失っていく。話者はそれらが失われた世界に立っているのだ。その地点から物語が始まるのだ。

   見あげると膨大な流星群
   知らぬ間に夜空に手をあわせる
   そこに居合わせたひとたちの残酷な願いだけが
   星のかけらのように残った

 「花火」。広島に育った者には原爆の厄災は未生の時から付いている。先の「流星群」にはオッペンハイマーの名もあらわれた。今も地の中では心臓が燃えているのだ。かつての日に全身が焼けただれた人々が水を求めた太田川放水路の「川べりには構造のわからない舟がある」という。

   入口がどこで出口がどこか
   部屋から部屋へまどい 窓のむこうにぽっかりと島がある
   わからぬ間に櫂は手もとで光っている
   もう会うことのない者が
   対岸に虚ろなまま打ちあがっている

 そんな地にあって話者の視線は虚しさを受け止めるように揺れている。最終部分は「列車はもうすぐ/夏の光を通過する」。話者の虚しさなど素知らぬまぶしい風景が、どこまでも広島の地を重くする。
コメント
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